第7話「泥だらけの、ざまぁ」


「今頃あの子、ずぶ濡れじゃないの?」

「かわいそ~、せっかく食事にありつけると思ったでしょうにね」

「いい気味よ、昨日の夜だって、何だかわからないけど大騒ぎ起こしたらしいし、私達の仕事の邪魔しないで欲しいわ」

侯爵家のメイド達の控え室で、メイド達数人が先ほどアルメリアに仕掛けた悪戯について笑い合っていた。

彼女達はアルメリアの性格が変わったのを知らず、昨夜の騒動の詳細も知らない。

メイド長が体調不良を理由に休みを取っているので事情を知らされていないのだ。

また、その更に前に、メイド長がアルメリアに脅された事も、その場に立ち会っていないので知らなかった。

彼女達にしてみれば、しなくても良かったアルメリアへの食事を運ぶ仕事が増えたのに、一旦中断され、さらにもう一度仕事が再開される、という手間が何度も発生したので、

やるならやる、やらないならやらないとどっちかにしてくれ、というメイド長不在の苛立ちを、当事者のアルメリアにぶつけただけなのだ。

アルメリア多少のショックを受けたならこちらの気が済む、むしろ水を被るくらいで済ませてやるのだから感謝して欲しい、という程度のものだった。


事情を知っているメイド達は真っ青になって彼女達から離れ、どうする、執事か家令に報告するかとこそこそ話していた。

彼女達もまた、それまでのアルメリアに対する嫌がらせに加担していた事もあって、アルメリアに対する感情は似たようなものではあったが、今は状況が変わっているのだ。

と、突然その控室の扉が大きな音と共に開いた。アルメリアが蹴り開けたのだ。

驚いた控室内の面々が見たものは、バケツ片手に怒りの形相で部屋に入ってくるアルメリアの姿だった。

「あ、あの、アルメリア様?」

嫌な予感がしてアルメリアに声をかけようとしたメイドもいたが、その声を遮るかのようにアルメリアは怒鳴った。

「あの悪戯を仕掛けたのは誰!?」

その声にある者は黙り、ある者は爆笑した。


「あらぁ、ずぶ濡れじゃない、どうしたのかしら~?」

「直撃受けてる、受けるわ~」

「食事ならまた届けてあげるわよ~? 一食くらい我慢しなさいよ」

悪戯を仕掛けたメイド達が、からかうかのようにアルメリアに声をかけ、笑い合っていた。

アルメリアはそれを見て、誰が仕掛けたのかを察し、彼女達の所へつかつかと歩いていく。

椅子に座った彼女達を睨むが、アルメリアを見る目はまだ蔑むかのようなものだった。

まだ水に濡れており、古びた服を着ているものだから、彼女達の知るアルメリアではない、という認識が遅れたのだ。


無言でアルメリアはメイド達の中の一人の胸ぐらを掴み、片腕で持ち上げた。同時に、邪眼で睨みつける。

「ちょっと! 何するのよ! ひぃっ?」

いかに腕力が強くとも、アルメリアはまだ15才の少女の体格だった。それが成人女性を片腕一本で持ち上げる事の異常さに、ようやくアルメリアの様子がおかしい事に気づく。

さらに魔力を込めた邪眼による威圧は、メイド長も一瞬で心がへし折れた程で、一般人が抵抗できるものではない。

「あ、アルメリア様! どうかその子達を許してあげてください!」

「その子達はアルメリア様が突然魔法を使えるようになった事を知らないんです! どうか! どうか命だけはお助けを!」

「どうか、お慈悲を!」


その懇願で、掴み上げられているメイドも状況をようやく理解した。

魔法を使える者は希少で、素手でも人を殺めるくらいは簡単にできる。というのは彼女も知っていた。

同時に、この王国ではそういった魔力犯罪や事故が起こらないように、16才になる年までは魔力を封じられ、魔法学園で卒業後も魔法を使う事を厳しく管理されるという事も。

だが、ここにその魔力を封印されていない者がいる。何をするか全くわからない、そういう存在に自分達は喧嘩をふっかけたようなものなのだ。


だが、ガタガタと震え始めたメイドたちに、バケツを見せてアルメリアがかけた言葉は、

「これは何?」

「……え?」

メイドはアルメリアの質問が理解できなかった。なおもアルメリアは質問を続ける。

「この中に入っていたのは何?と聞いているの」

「み……、水、です?」

メイドは質問の意図がわからず、思った事を疑問形で口にするしかなかった。


「ねぇ、ふざけてるの?」

「アルメリア様! 重ねてお願いします、どうか許して下さい! この子達には後で言って聞かせますので!」

別のメイドはなんとかアルメリアをなだめようとする。元々仮にも侯爵家の血を引く、認知さえしてもらえれば貴族として認められるような少女に仕掛けていい悪戯ではない。

そもそもアルメリアが侯爵の実子として認められていなかったのは魔法が使えないからで、今目の前で魔法を使っているというからには、この後で自分たち全員にどのような報復があるかはわかったものではなかったからだ。


「そういう事を聞いているわけじゃないし、そういう事に怒ってるわけではないのよ、どうして、ただの水なのかと聞いているのよ!」

「「「……はい?」」」

だが、アルメリアはさらにわけのわからない事を言うので、周囲のメイド達は混乱するしかなかった。


「ねぇ貴女、私の何もかもが気に入らないんでしょう? 酷い目に遭って欲しいし、幸せになんてなって欲しくないし、死んで欲しいとか思ってるんでしょう?」

「い、いえ、何もそこまでは……」

人というものは、今まで見下していた者に反抗されると混乱するものだし、自分がまるで極悪人みたいに言われると急に罪悪感を覚えるものだ。その混乱にたたみかけるようにアルメリアは言葉を続ける。

「ねぇ、どうして本とかのようにできないの? 生ぬるいのよ! 人に嫌がらせをするなら徹底的にやりなさいよ! 泥とか油まみれの水をぶっかけるとか! いっそ燃え盛る油でもかけてみなさいよ!」

「そんな事できませんよ!?」

「アルメリア様! 本で書かれている事が実際にあったら、それはもう人が捕まるような事件なんですよ!」


修羅のように生きてきた前世を思い出したアルメリアにしてみれば、彼女達の悪戯はお上品すぎたのだ。

彼女達とて平民とはいえ、貴族に混じっているとどうしてもそこまでする発想が思い浮かばない。

いや、悪戯なんて本来それくらいで良いはずなのだが、アルメリアの方は前世の経験に加えて様々な書物や物語を読んでいるので、悪戯や嫌がらせとは人間性を否定し、尊厳すら破壊するくらいでないと、という認識のズレが発生していた。

「意味が分からないわ! なら、みんなどうして私に対して嫌がらせなんてしてるのよ!」

「私達にも、もう何がなんだかわかりません!」

意味のわからない事をわめくアルメリア、混乱するしか無いメイド達、カオスにも程がある状況だった。


「……表へ出なさい」

突然、声のトーンを落とすアルメリアの言葉に、皆は震え上がった。下手をすると一人ひとり処刑していく、と言わんばかりの迫力があったのだ。

悪戯をした者達数人が、まるで死刑台へ連れて行かれるかのような面持ちでアルメリアの後に続き、残りのメイドたちもそれを追う。

屋敷の裏手に出た皆が見たものは、ずらっと並べられたバケツだった。中には何かの液体が入っている。

アルメリアはその並んだバケツを越えた向こうへと進み、メイド達を振り返る。

「さぁ、そのバケツを手に取りなさい」

「あの……、これは?」

「油とか泥とか色々混じった水よ、それを一人ひとり手に持って、私にぶっかけなさい」

「「「……え?」」」

てっきり、復讐として一人ひとり全員にそのバケツの液体をぶっかけられるのかと思ったが、逆だった。何をしたいのか本当にわからない。


「貴女達の根性を叩き直してあげるわ、嫌がらせをするなら徹底的にやりなさい。私の尊厳を汚し、徹底的に心を折ってみせなさい!」

アルメリアは両手を広げ、貴女達の全てを受け入れるから、とい言うかのような態度だったが、そんな事を受け入れられても困る。

相手は貴族令嬢に等しいのだ、下手にこれ以上何かをしたら自分たちの死刑執行礼状に自分でサインをするようなものだ。

「お許し下さいアルメリア様! そんな事できません!」

「私達に人をやめろって言うんですか!?」

「お願いです! 私達にそんな事をさせないで下さい!」

メイド達は服が汚れるのもかまわず膝をついてアルメリアの前に屈ひざまずき、懇願した。だが、返ってきた言葉は、


「やりなさい」

使用人に対する貴族の命令は絶対だった。皆、真っ青な顔で泣きながらバケツを手に横一列に並ぶ。

「さぁ! 今から私を、考えつく限りの言葉で罵倒しながら来なさい!」

「お許しくださいいいいいいいい!! この穀潰しいいいいい!」

ばっしゃーんと、バケツの汚水がアルメリアにぶっかけられる、申し訳無さそうにしながらも、思い切りだ。

「……事実だから罵倒というにはちょっと弱いわね。まぁ良いでしょう、さぁ次ッ!」

「く……、食っちゃ寝してるだけの役立たずうううううう!」ばっしゃーん。

「い、良いわね! 良い感じに心を折ろうとしてきたわね! さぁ次!」

「半分だけ貴族の半端者おおおおおおお!」ばっしゃーん。

「もっとよ! もっと! 私に現実をわからせて!」

ばっしゃーん、ばっしゃーん、ばっしゃーん……。どんなプレイだこれは。


用意されていたバケツの汚水を全てかけ終えたメイドたちは、自分たちはこれからどうなるのか、と怯え、全員泣き崩れていた。

その前でアルメリアは腰に手を当て仁王立ちだ、汚水にまみれ、髪も服もドロドロではあるが、その表情は謎の達成感に輝いていた。

「皆様、良くぞ壁を乗り越えましたね、これからはイビリ、虐め、虐待は徹底的にやるのですよ!」

意味がわからない、どうして自分たちは泣きながら貴族令嬢を虐待させられているのか、しかもその相手は今日も元気いっぱいだ。メイド達は全員心をへし折られ尽くしていた。

「もしも今後、私に対する嫌がらせが手ぬるい、生ぬるいと判断した場合は、何度でも手本を見せて差し上げますわ、この私自身で。だから安心して虐待なさい!」

だから何故虐待されたがる、何故自分自身が手本になりたがるのだ、とメイドたちは思うが、それを口にできる者はいない。

これからは下手な事が一切できない、中途半端に手出しをして、こんな事を何度もやらされたくないし、アルメリア本人は良くても侯爵が何と言ってくるかもわからないのだから。


「さぁ、今回の特訓はこれで終わりよ! みんな自分の仕事に戻ってちょうだい!」

「「「有難うございましたっ!」」」

アルメリアの号令で皆はヤケクソ混じりでお礼を言い、とぼとぼと仕事に戻っていくが、一人だけ残っていた者がいた、先程アルメリアに掴み上げられていたメイドだ。

「あら、どうしたの?」

「その、この場を綺麗にしようかと」

現場は水や油や泥でメチャクチャなのだ、このメイドは掃除を買って出る事で、アルメリアの心証を少しでも良くしようとしたのだ、だがそれがまずかった。


「あらぁ? ちょっと違うわねぇ、こういう場合は『これはおまけよ!』とでも言って、バケツのぶっかけを追加すべきなのよ? ほら」

「えっ……?」

アルメリアは指先に魔力を込めると、周辺の液体を集めてバケツに戻した。

「さぁ、それを私にぶっかけなさい、そして『なんて惨めなのかしら、そこは自分で掃除しなさいよね!』とでも言いながら立ち去りなさい? さぁ、これを」

そのバケツを手渡し、ぶっかけられるべく定位置に戻る。

「さぁ! もう一度! 自分の壁を越えるのです!」

「??????」

バケツを手渡されたメイドはもう情緒も何も破壊されて何をどうしていいかわからなくなっていた。ばっしゃーんとぶっかけ、

「な、なんてみ、みじめなのかしら? そこは掃除しておきなさ……、もう嫌ああああああああああああああああ!!」

と、泣きながら屋敷へ走っていった。


「ふむ、まぁ今日の所はこれくらいで良いでしょう」

アルメリアは先ほどの要領でバケツに汚水を戻し、手早くそれを流した後、自分の体も綺麗にしようとしたが、この魔法は土魔法の働きを利用しているので完全には綺麗にならない。

油なら燃やしてしまうのだが、自分の身体の表面ではしたくない。

「まぁ全部は無理よね、丁度良いから水浴びでもしようかしら。考えたい事もあるもの」



そして、立ち去るアルメリアを見ている者がいた、この侯爵邸に潜り込んで監視をしていた。

その監視員は自分が見たものを手早くメモにまとめ、外部へとそれを送った。

そのメモはまた別のものに受け渡され、内容を確認した後は証拠を残さないように燃やされた。だがここで首をかしげた。

おおまかな内容は『令嬢がメイドに命じて罵らせながら汚水を自分にぶっかけさせていた』という意味不明なものだったからだ。

常識的に考えてそんな事をする令嬢なんているはずがない、中継者は少し考えると記憶している内容を思い直す事にした。


その後も、何人もの人を介して情報は王宮へと伝えられる、最後に手にしたのはエルドリック王子だった。

この前日に不審者が侯爵邸内で暴れまわったらしい、という報告を受けていたので、

王子は婚約者であるヴェロニカの周辺で何かあった場合、即座に情報を伝えるように手配していたのだ。

「何だと……? 令嬢が? ヴェロニカ、なのか? にわかには信じられないが」

王子は、正しいのかそうでないのか微妙な情報を受け取ってしまった。

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