第26話 時間に追われる社会の矛盾
私たちは日々、時間に追われて生きている。「時間を無駄にしない」「効率よく動く」ことが美徳とされ、スケジュールに追われる生活が当たり前になっている。しかし、その一方で、「時間を有意義に使えている」と感じる人はどれほどいるのだろうか。時間を効率的に使おうとするあまり、本当に大切なことを見失っているのではないだろうか。
たとえば、仕事の場面では「生産性」が重視される。限られた時間内でどれだけ多くの成果を上げられるかが評価される指標となる。しかし、この「効率の追求」が、かえって心身に大きな負担をかける結果を招いている。残業を減らすために仕事を詰め込み、休憩を削り、結果的に疲弊する。時間を節約しようとする行動が、逆に人間らしい余裕を奪っている。
また、家庭や日常生活でも、時間の効率化が求められる場面が増えている。時短家電やスマートホームが普及し、家事や日常のタスクを素早く片付けられるようになった。それでも、「自由な時間」が増えたと実感する人は少ない。空いた時間は新たな仕事や用事で埋められ、結局、忙しさから抜け出せない状況が続いている。
さらに、私たちは時間を効率的に使おうとする一方で、無意識のうちに時間を浪費していることもある。たとえば、SNSや動画配信サービスに没頭して気づけば数時間が過ぎている、という経験は誰しもあるだろう。それが悪いわけではないが、「なんとなく時間を過ごす」ことが積み重なると、後になって虚しさを感じることもある。
では、なぜ私たちはこれほど時間に追われ、なおかつ時間を浪費してしまうのだろうか。その背景には、「時間は有限であり、無駄にしてはいけない」という強いプレッシャーがあるのかもしれない。この考え方が、「時間を埋めること」が目的化する原因となり、本来の目的を見失わせている。
また、現代社会が「速さ」を重視する風潮に染まっていることも一因だ。情報が即座に手に入る時代では、「すぐに答えを出す」「即時対応する」ことが求められる。これにより、私たちは常に速く動くことを期待され、自分のペースで時間を使う余裕を失っている。
では、この矛盾に満ちた「時間に追われる社会」から抜け出すためにはどうすればいいのだろうか。一つの方法は、「余白の時間」を意識的に作ることだ。何も予定を入れない時間を確保し、その時間をあえて何もしない贅沢に使う。散歩をしたり、ぼんやりと考え事をしたりすることで、心に余裕が生まれる。
また、「やらないこと」を決めることも有効だ。すべてのタスクをこなそうとするのではなく、本当に大切なことだけを選び取ることで、時間の使い方に優先順位をつける。断る勇気を持つことで、自分の時間を守ることができる。
さらに、時間の価値を「成果」ではなく「充実感」で測る視点を持つことが重要だ。効率よりも、どれだけ自分が満足できる時間を過ごせたかを考えることで、時間に対するプレッシャーから解放される。たとえば、趣味に没頭する時間や、大切な人と過ごす時間を増やすことで、時間の質を高めることができる。
時間は有限だが、それ以上に大切なのは、その時間をどう感じ、どう使うかということだ。私たちが「効率」だけを追い求めるのをやめ、自分らしい時間の使い方を見つけることができれば、時間に追われる生活から少しずつ解放されるのではないだろうか。そのために、今この瞬間の「時間」に意識を向けることが、最初の一歩になるのだと思う。
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