第13話 数字がすべての社会の危険性

私たちが住む社会では、「数字」がすべてを支配しているかのように感じることがある。売上高、視聴率、GDP、テストの点数。あらゆる場面で、成功や価値が数値化され、それを基準に評価が下される。しかし、この「数字信仰」が、私たちの本質的な幸福や社会の持続可能性を損なっているのではないだろうか。


たとえば、経済指標としてのGDPがある。日本では、GDPが成長していれば経済が良好だと判断される。しかし、この指標には、環境破壊や社会的不平等といったマイナス面が含まれていない。森林を伐採して開発を進めればGDPは上がるが、それが本当に社会の幸福に繋がるのだろうか。また、働きすぎによる過労死や精神的な負担が増えたとしても、その労働の結果として生まれた生産はGDPにはプラスとして計上される。このような数字の背後に隠された現実を見過ごすことは、大きなリスクだ。


教育の場でも同じだ。テストの点数や偏差値が子どもの能力を測る絶対的な基準とされている。しかし、点数で測れるのはあくまで知識の一部であり、人間の創造性や感受性、思考力を正確に評価することはできない。これが原因で、子どもたちは点数を上げるための「効率的な学び」に追い込まれ、好奇心や探究心が失われていくことがある。学校教育が、「数字」という狭い価値観に縛られている限り、子どもたちの可能性を広げることは難しい。


さらに、ビジネスの世界では「売上」や「利益率」といった数字が重視されるあまり、従業員の健康や職場環境が後回しにされることがある。過度な競争の中で、人々は疲弊し、時には心身を壊してしまう。それでも企業は「数字」を追い続ける。なぜなら、それが評価される基準だからだ。しかし、従業員を大切にし、持続可能な働き方を実現することが、結果的には企業の成長に繋がるのではないだろうか。


この「数字信仰」がもたらす最大の問題は、「数字で測れないもの」が軽視されることだ。幸福感や人とのつながり、自然との調和といった価値は、数値化が難しい。だからといって、それらが重要でないわけではない。むしろ、これらの「非数値的なもの」が私たちの生活を豊かにし、社会をより良いものにしているのだ。


では、この数字偏重の社会をどう変えていくべきなのか。一つの方法は、評価基準を多様化することだ。経済指標だけではなく、環境指標や幸福度指標を政策判断に取り入れる。教育では、点数だけでなく、子どもたちの創造性や協調性、独自の能力を評価する仕組みを作る。ビジネスの場では、従業員満足度や社会貢献度を重要な指標として位置づける。


もう一つは、私たち一人ひとりが「数字にとらわれすぎない生き方」を選ぶことだ。成功や幸せを、収入や肩書きといった数字で測るのではなく、自分にとって本当に大切なものを基準に考える。たとえば、家族や友人と過ごす時間、好きなことに打ち込む喜び、自然の中で感じる安らぎ――これらは数字では表せないが、人生を豊かにしてくれる。


数字は重要なツールであり、無視することはできない。しかし、数字はあくまで手段であって目的ではない。私たちが目指すべきは、数字の裏にある本質を見抜き、「数字では測れない価値」を大切にする社会だ。そのために、私たちは今一度、自分たちが追い求めているものが何なのかを問い直すべきではないだろうか。

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