第10話 隠蔽体質が作る不信の連鎖
日本社会には、何か問題が起きたときにそれを隠す「隠蔽体質」が根強く存在している。企業や行政、教育現場、さらには地域社会まで、あらゆる場面でこの傾向が見られる。表面的には秩序や安定を保っているように見えても、実際には真実が隠され、不信感が広がる構造ができあがっている。
たとえば、企業の不祥事が報じられる際、その多くが「内部告発」や「外部からの指摘」によって明るみに出る。自主的に問題を公表し、対策を講じた例はほとんど見当たらない。それどころか、不正が発覚した後も事実を小出しにし、世論の反応を見ながら対応を後回しにするケースが目立つ。その背後には、「自分たちの組織を守るために隠す」という古い体質が根付いている。
行政も例外ではない。統計データの改ざんや、公文書の改竄・破棄といった問題は、近年何度も大きな話題になった。これらは一時的に批判を受けるが、結局は「誰も責任を取らない」まま終わることが多い。その結果、国民の信頼は失われ、「どうせまた隠される」という不信感が広がっている。
さらに教育の現場でも、いじめ問題や教師の不適切な行動が隠蔽される事例が後を絶たない。学校や教育委員会は「学校の評判」を守るために問題を隠そうとするが、その背後では被害を受ける子どもや家庭が置き去りにされる。このような隠蔽体質が、子どもたちに「間違いを隠すことが正しい」という間違ったメッセージを送っている可能性もある。
この隠蔽体質が生む最大の問題は、「不信の連鎖」だ。真実を隠された経験を繰り返す中で、国民は政治や行政、企業、そして社会そのものに対する信頼を失っていく。一度失われた信頼を取り戻すのは容易ではない。それどころか、疑念を抱いた人々は、SNSやネット上でさらに極端な情報に引き寄せられることで、社会の分断が深まる悪循環を生む。
では、なぜここまで隠蔽体質が根付いているのだろうか。その理由の一つは、「責任を取ること」がリスクとして扱われる文化だ。何か問題が起きたときに率直に認め、それを改善する姿勢が評価されるのではなく、責任を追及される恐怖が優先される。この文化が、組織や個人が問題を隠す行動を助長している。
もう一つは、「表面を取り繕うこと」が評価される傾向だ。見た目がきれいであれば、内部の問題が見えなくても良しとされる風潮が、社会全体に広がっている。こうした価値観が、問題の本質を解決するのではなく、隠す方向にエネルギーを向けさせてしまう。
では、この隠蔽体質をどうすれば変えられるのか。一つの方法は、「真実を明らかにすること」がリスクではなく、むしろ評価される社会を作ることだ。問題を認め、それを解決する過程を透明性を持って公表することで、信頼を築くことができる。たとえば、企業や行政が積極的に内部の課題を公開し、改善に向けた取り組みを進める姿勢を示すことが、信頼回復の第一歩となる。
また、私たち一人ひとりが、隠蔽を許さない姿勢を持つことも重要だ。問題が隠されたままにされないよう、声を上げ続けることで、組織や社会にプレッシャーをかけることができる。透明性を求める市民の声が強まれば、隠蔽体質を変える力になるだろう。
隠蔽は短期的には問題を避ける方法かもしれないが、長期的にはさらなる問題と不信を生むだけだ。真実を隠す社会では、未来への希望もまた隠されてしまう。私たち自身が真実を求め、透明性を追求することで、不信の連鎖を断ち切ることができるのではないだろうか。
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