第9話 報じない自由、語られない未来
日本のメディアは「自由な報道」を掲げている。しかし、その「自由」が何を意味しているのか、疑問に思うことがある。報じるべき真実が覆い隠され、重要な問題がほとんど語られない一方で、視聴率や広告収入を狙った話題ばかりが取り上げられる。この「報じない自由」が、私たちの未来を語ることを妨げているように感じる。
たとえば、大手メディアのニュースを見ていると、日常生活に直結する政策や社会問題が深く掘り下げられることは少ない。それどころか、報道の多くが政治家のスキャンダルやゴシップに終始し、根本的な問題が隠されているように見える。視聴者にとって関心を引きやすいトピックは目立つが、それが国民全体の利益に繋がる議論を呼び起こすかというと、疑問が残る。
特に、少子高齢化や障害者支援の問題など、日本社会が直面する深刻な課題については、断片的な報道が多い。たとえば「出生率の低下」が取り上げられる際も、その背景や解決策について深く掘り下げられることはほとんどない。同様に、障害者支援に関するニュースも「一部の成功例」や「制度が整備された」といったポジティブな面に焦点を当て、現場の苦悩や支援の不十分さが語られない。
また、報じる内容だけでなく、「どのように報じるか」も大きな問題だ。メディアの多くは、視聴者や読者の感情を煽るような報道に注力しており、冷静な議論を促す内容が不足している。センセーショナルな見出しや偏った視点で構成された記事は、短期的には注目を集めるかもしれないが、社会全体の理解や意識を深めることには繋がらない。
さらに、こうしたメディアの報道姿勢は、国民一人ひとりの「考える力」を奪っているとも言える。何が重要で、どのように行動すべきかを自分で判断するための情報が提供されない中で、人々は与えられた情報にただ流されるだけの受け身の存在になってしまう。結果として、重要な社会問題が解決されないまま放置され、未来にツケを回す構造が続いていく。
では、この状況をどう変えるべきなのだろうか。一つの方法は、私たち自身がメディアに依存しすぎないことだ。現代では、インターネットやSNSを活用して、多様な情報源にアクセスすることができる。異なる視点を持つ情報を比較し、自分なりの考えを形成することが重要だ。
もう一つは、メディアリテラシーを高めることだ。報道内容を鵜呑みにせず、背後にある意図や偏りを見抜く力を持つことで、メディアが提供する情報の限界を補うことができる。これは、個々人の努力だけでなく、教育現場でのリテラシー教育を通じて広めることが必要だ。
最終的に、メディアが「報じない自由」を行使する中で、私たちは「語る責任」を持たなければならない。隠された真実や語られない未来について、自分たちの言葉で語り合う場を作ることが、社会を前進させるための鍵となるだろう。
報じない自由があるなら、私たちは「知る自由」を求め、それを行動に変える義務がある。そして、その自由と責任を実行に移すことで、未来をより明るいものにしていけるのではないだろうか。メディアの沈黙を嘆くよりも、私たち自身が語ることで、未来を作る力を取り戻していきたい。
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