第6話 数字ばかりを追いかける社会

日本社会では、「数字」が何よりも優先される場面が多い。経済成長率、雇用統計、試験の点数、企業の業績など、すべてを数値化し、それを基準に評価し、判断する。しかし、こうした「数字信仰」は、私たちの生活や社会の本質を見失わせているのではないだろうか。


たとえば、経済政策ではGDPや株価といった指標が重視される。しかし、これらの数値が上向いているからといって、私たち一人ひとりの生活が必ずしも豊かになるわけではない。実際、経済成長が続いていると言われる一方で、格差は拡大し、生活に苦しむ人々が増えている。数字はよくても、その背後にある人々の暮らしは置き去りにされているのだ。


教育の現場でも同じことが起きている。生徒の成績や学校の進学率が重視されるあまり、教育の本質が見失われがちだ。個々の子どもたちが何を感じ、どのように成長しているのかよりも、テストの点数や偏差値が優先される。その結果、教育が子どもの個性や多様性を育む場ではなく、数値競争のための場になってしまっている。


さらに、障害者支援の分野でも、数字に縛られることが少なくない。支援の成果が「何人の障害者が就労したか」や「施設の利用者数」といった数値で評価される一方で、支援を受けた人々の満足度や生活の質は軽視される。このような数字優先の評価基準は、支援が形骸化する一因となっている。


こうした社会では、「数字に現れないもの」が見落とされてしまう。人々の感情や幸福感、つながりといった要素は数値化できないが、それが私たちの生活を豊かにする上で最も重要なものではないだろうか。数字だけを追いかけていると、こうした本質的な価値が軽視され、社会全体が冷たく、非人間的なものになっていく。


数字を全く無視することはできないし、数値化には一定のメリットがあるのも事実だ。しかし、数字を絶対視し、その背後にある「見えないもの」に目を向けない社会は、長期的に見て持続可能ではないだろう。


では、どうすればこの「数字信仰」から脱却できるのか。まず必要なのは、数字の背後にある「物語」を意識することだ。経済指標の裏にある人々の暮らし、テストの点数の背後にある子どもたちの努力や葛藤、支援の数値の中に隠れた当事者の声。それらを掘り下げ、理解する姿勢が求められる。


また、私たち一人ひとりが「数字では測れない価値」を大切にすることも重要だ。友人や家族との時間、日々の小さな幸せ、自己成長の喜び――これらはどれも数字には表せないが、私たちの人生を豊かにしてくれるものだ。こうした「数字ではないもの」を意識的に評価し、共有する文化を育むことが、冷たさを増す社会を温かくする第一歩となるだろう。


数字ばかりを追いかける社会では、私たちの本当の幸せは見えてこない。だからこそ、私たちは数字の背後にある本質に目を向けるべきだ。その一歩が、もっと人間らしい社会を作る鍵になると私は信じている。

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