第5話 考えない人々が生む社会の危うさ
情報があふれ、瞬時に手に入る時代になった。しかし、その一方で「考えない人々」が増えているように感じる。ニュースやSNSで流れてくる情報をそのまま鵜呑みにし、自分で調べたり疑問を持ったりすることをしない。そうした姿勢が、社会全体にどのような影響を与えるのかを考えたことがあるだろうか。
たとえば、選挙の投票行動を見てみる。多くの人が、候補者の政策や背景を深く考えることなく、「なんとなく」投票しているように思える。テレビでよく見かけるから、有名だから、誰かが「この人がいい」と言っていたから――そんな理由で一票が投じられることも少なくない。その結果、政策ではなくイメージや勢いだけで選ばれた政治家が、私たちの未来を決める立場に立つ。そして、その結果に不満を感じても、誰も責任を取らず、また次の選挙でも同じことが繰り返される。
考えない人々の問題は、政治だけにとどまらない。企業の広告や商品戦略、メディアの報道、SNS上のトレンドに流されるままに行動することが日常化している。特にSNSでは、センセーショナルな言葉や目立つビジュアルが拡散され、本質を欠いた情報が「真実」として扱われることが多い。そうした情報を深く考えずに共有することで、誤解や偏見が広まり、社会に無用な分断を生むことになる。
さらに、障害者やマイノリティに対する無理解も、考えない人々の問題の一端だろう。障害者に対して「かわいそう」「助けてあげるべき存在」という固定観念を持ち、その背景や現実を知ろうとしない。そのため、形だけの支援が「これで十分だ」とされ、本当に必要な改革や取り組みが進まない。
では、なぜ人々は考えなくなったのだろうか。その理由のひとつに、情報過多の時代特有の「疲れ」があるのではないだろうか。次から次へと押し寄せるニュースや意見に圧倒され、どれが正しいのかを判断する余裕を失っている。そして、思考を停止し、他人や社会に「考える責任」を押し付けてしまう。これが考えない人々を増やす一因になっている。
しかし、考えないままでいることの代償は大きい。それは、自分の未来を他人任せにするということだ。社会がどう変わるのか、どのような価値観が広がるのか、その選択権を放棄してしまうことになる。そして、最終的には自分自身がその結果に苦しむことになる。
だからこそ、私たちには「考える」ことが求められている。すべての情報を鵜呑みにせず、疑問を持ち、自分なりに答えを探す姿勢が必要だ。これは、時間がかかるし、面倒なことかもしれない。しかし、それを怠れば、私たちは誰かの思惑に振り回されるだけの存在になってしまう。
考えることは、未来を作る力だ。他人任せにするのではなく、自分の人生や社会に対して責任を持つ。その第一歩として、まずは身近な情報や出来事に疑問を持つことから始めてみてはどうだろうか。考える力が増えれば、きっとこの社会は少しずつでも良い方向に進んでいくはずだ。
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