魔装ガールズ 第2話

 夏休みになった。というか、もう夏休みも2週間、八月にはいったところ。

 本来始まる予定日から随分と前倒しになったのはうれしくもあるが。同時にその分に冬休みが短くなるので複雑な気分だ。

 そんなことを、半ば以上に崩れ落ちた校舎を見ながらひなたは思う。

 どこをどう見ても破壊しつくされて、授業は当然、できない。

 というか夏休み中に改修工事が終わるとは到底思えない。

「夏休み延長だってんならうれしいけどさ」

 野次馬はひと段落して少なくなったので、ひなたは独り言ちる。

 蝉の声がうざったく響いてこそいるが、今年の夏は冷える。冷夏という奴だ。夏が寒ければ冬があたたかくなる場合も多い。寒いのが苦手なひなたとしてはありがたいことこの上ないが、野菜が高くなるので若葉は嫌がるだろうなと思うと、あんまりいいものでもないのかもしれない。

 崩れかけの元校舎を後にする。もう、ここに来ることはないだろうと、そんな予感がある。

「ひまね……」

 ぶっ壊れた学校でも見れば少しはこの、風通しが良すぎて冷える心を温められるかとも思ったが、そううまい話はないらしい。全然面白くもない。

「それもこれも若葉がいないせいね」

 ひなたは帰路につきながら彼女の数少ない友人である孤宮若葉を思った。数少ないというか一人だけなのではあるのだが、その若葉がここ最近、随分ひなたと会っていない。『小河』へ行っても昼は見知らぬおばさんがパートにいそしみ、夜は堅気感のあんまりしないアジア系の方々――陳さんの昔からのお知り合いらしい、詳しいことは知らないほうがいい気配がする――がいるばかり。

 景気がいいのかしらん? そんな訳ないのだけれど。だったら若葉はあんなに日々苦労することなく、もっとちゃらんぽらんに遊び歩けるはず。

 連絡しても遠くでバイトにいそしむことにしているとか。

「バイト、ね……」

 若葉が働いて得たお金は若葉の遊ぶ金になればいいなとは思う。大体、子供が家計の心配や店の実質的な会計なんてしなくていいはずなのだ。そんなだから、学校以外であんまり会えない。

 ようは、ひなたは若葉に会いたいのだ。せっかく夏休みなのに、全然会えなくて寂しいのだ。何かと性格に難があるひなたにとって友達といえるのは彼女だけなので。もちろん、本人は頑なにそんなこと認めないだろうけど。

 ひなた天を仰ぐ。腹曇りの空はそのまま、青空は遥か分厚い雲の上で見えないまま。

「――っとにどこにいるのよ若葉ァ――!」



 がん、ごん、ガガガギギギ、ガヅン。

 地下室としかいいようのないところだ。1キロ平米はありそうなだだっ広い何もない空間。四方がコンクリで固められ、そのうち一面だけ強化ガラス張りになっている。

 そんないかにもな場所で若葉はずっかんばっかん飛び回っている……正しくはぶつかり回っている。

 若葉は現在、服というにはあまりにもメカニカルすぎる装甲を身に纏っている。硬そうでいていてしなやかな外装、関節部から見えるコードが白い光の流線を通している。だが特筆すべきはその左腕に装着された、スタイリッシュ感があるそれ以外の部分と一線を画しているごつい装置、そしてその装置がつけている、およそこの世のものとは思えない不可思議な輝きをたたえた真白の宝玉だ。未知のエネルギーを供給し続けるソレは宝玉jewelとしか呼ばれていない。現在の地球科学では説明がつかない無限に近い、全く未知の膨大なエネルギーを内で生成し続けている。普段はため込んでいるのだが、特定の人間に触れるとそのエネルギーが外部に流出を始める。それ単体ではただの使い方がわからないエネルギーでしかないのだが、それをその特定の人物が意思をもって使用するとそれはUBの体組織を崩壊させる光線になったり、破壊そのものとしか言えない光線と化したりもする。また装甲着(アームド)を動かしたり飛ばしたりする原動力となる。

 この宝玉と呼ばれる代物、出どころは極秘事項とされているが、発見され、現在の人間の手に渡ったのは1999年のことである。奇しくも世界で初めてUB――当時はその奇怪すぎる造形から魔獣などとも呼ばれていた――が出現したのと同じ時期だった。

 して、その宝玉を扱える特定の人間の中に孤宮若葉が入っていた。それでスカウトを受けて、紆余曲折を経てこうして宝玉を使用しUBという、これまた未知に塗れた謎存在と戦う立ち位置につくことと相成った。

 若葉は現在、宝玉の力を制御するために開発された装甲着(アームド)という媒体を着こんで実際に力を引き出し、訓練しているのだが。

「んぅ~、だめだねぇ、宝玉の力……というより装甲着(アームド)そのものを使いこなせていない感じだねぇ」

 甘ったるい水飴に砂糖の弾丸を打ち込んだかのような声の男性とも女性ともつかない声がコンクリ固めの室内に響いた。装甲着開発者の或守のものである。

「君のほうで宝玉の力を引き出しすぎているよぉ、装甲着は宝玉の力を制御するためのものであって引き出すものではないよぉ」

「は、はいぃ……」

 わかっている、なんだったら10回は聞いた文言だった。

 そう、装甲着は強すぎる宝玉の力を人間が扱える程度に制御し、運用するための装置である。全力で宝玉の力を引き出すと、引き出した人物の肉体に何らかの影響が出るとのデータがすでに得られていた。だが、それでも現在、十分にUBに対抗しえているのだから恐ろしいのは宝玉の秘めるポテンシャルである。もしそれを全開で引き出せば――というところまで耳タコである。

 全開で引き出せばどうなるねん。

「うぅん、じゃあもう一回飛び回ってみてぇ?」

「はーい。ギア・オンっと」

 話はほどほどにもう一度装甲着を装着する。訓練はなんども行うから訓練なのだ。

 装甲着アームドを着た若葉は何度目かの飛行を行う。

 左腕にある宝玉を意識して、そこから少しずつ糸を細く手繰るようなイメージ。装甲着の内側にあるコードを血管のように意識して、その中に糸を通していく。燃料がくべられ、歯車が回り始める。DVDレコーダが回るように。

 きりきりと、装甲着と、装甲着に触れる肌から独特の熱が伝わってくる。

 浮遊、意識して、念じる。地面から足が離れる感覚に背筋が粟立つ。くっ、と唾を飲み込んで意識しないようにする。それから全身から糸の熱を放つイメージで空中に自身を固定。それからエネルギーの放つ「向き」を意識して移動――飛行する。……うん。

「うまくいったねぇ、成功率はぼちぼちだぁよぉね。本番でそんな速度だったら体のいい餌だけど」

「ほめるなら調子づかせてくれませんかねぇ⁉」

或守は実にやりづらい相手である、これはたぶん、対UB班の総意である。



 そうは言ったが例外もいるもので。

「おつかれ、若葉」

 紫苑の髪が揺れる。幻想的なまでに白い肌には幾筋かの汗が滴り、それをタオルで雑にぬぐいながらカナリアは若葉に声をかける。

 千樹カナリアは若葉がこうして、この仕事を始める前、それもどうやらそれなりに前から戦っているらしい先輩である。

 紫苑の髪と同じ色の薄めたアメジストのような瞳。タンクトップにハーフパンツというスポーディな恰好でそこからすらりと白い肌が伸びるが、特筆すべきは、その手足の長さである。すらりと伸びる白い肌の長い手足は彼女の生まれ持ったモデル顔負けの美しさを引き立たせている。顔負けというか顔も小さい。175はくだらない高身長でこの小顔、絶対というか見ただけで八頭身はある。もはやここまで美人だと嫉妬する気も起きない。

「もう、若葉の訓練は終わり?」

「はい、うちは今日はもう上がりです。カナリアさんは?」

「ん。私も今日は終わり」

 当然だが、カナリアと若葉の訓練メニューは違う。若葉は現時点で基礎体力――こちらは案外元からあるのでさほどの苦労はない――となにより装甲着(アームド)の扱いに慣れるところである。先日の初陣でのあれは装甲着(アームド)を扱うというよりも、ぶん回してぶっぱしたというのが正しいのでやはり、ある程度或使いこなせるようにならなくては、万が一というものがある。

「でも、この装甲着、すっごい防御力だからあんまり万が一って考えづらいですけどね」

 これまた先日の戦いを思い出して若葉はなははと軽く笑った。

 音速で急上昇、そのままでUBの巨体に減速なしで激突、無軌道光線放射からの雲の上から落ちてきて、なお肉体自体は無傷というのはどう考えてもまともではない。ついでにそれだけの気圧差をまともに浴びたはずなのに高山病にもなっていなかった。

「装甲着(アームド)の防御は、装甲自体ではなく宝玉から引き出したエネルギーの膜によるものだと聞いた。気圧差による人体への負荷もその膜が相殺しているらしい」「まあ後はカナリアさんが落下速度の相殺と着地の手助けをしてくれたっていうのが、うちが無傷でいられた理由なんでしょうけど……ほんとに、重ね重ね、ありがとうございました」

「いいの。私も若葉の前で二度も負けて、その二度とも若葉に助けられちゃったから」

 と、カナリアはその二度の戦いを思い出して、微かに顔をしかめた。

「……私、全然活躍してない……」

「そ、そんなことないですよ⁉ カナリアさんもめっちゃ活躍してました、えと、ほら、あのときとか……あの時っていつ?」

 ずーん、と落ち込んだ黒い線が見えそうなオーラを出すカナリア。表情の動き自体は小さいのだが、デフォが無表情なのでこういう変化はわかりやすかったりする。クールビューティな雰囲気をこれでもかと出しているカナリアだが、よくよく見ているとコロコロ表情が変わったり、よくよく話すとかなり、ともすれば或守の言動すら特に疑問を抱かない程度には天然だったりなのを知れたのがこのひと月足らずの間での若葉の一番の一番の収穫だと思う。

「ま、ま、今日はもう遅いですし、帰りましょう! ね! 先輩!」

「……うん、わかった。あと、先輩は……」

「あ、そうでしたね」

 カナリアはあまり先輩と呼ばれるのを好まなかった。というより、目上の人間にするような扱いを受けるのが苦手らしい。でも流石に呼び捨てやらため口にするのは若葉の倫理観というか常識観というものが許してくれないので。

「帰りましょうか、カナリアさん」

 簡単な敬語とさん付けで通すことにしている。



 訓練施設から外に出ると、すでにそらは黒に染まっていた。

 時刻は9時半。いかに8月といえど流石に日が落ちる時間帯だった。

 若葉はカナリアと二人で夜道を歩く。女の子二人で夜道は危なげな気が最初こそしたが、場所が都内なので十分に明るいのと、最寄り駅は数分で着くこと、以前カナリアの万引き撃退現場を目撃している若葉としては今現在全く、その手の心配をしていない。カナリアの身体能力と戦闘能力を少なくとも知っている若葉的は暴漢が2,3ダースで襲い掛かってきても大丈夫なのではとすら考えている。

 若葉は知らないが、ヤのつく自由業の方々が一度、組単位で襲い掛かってきて撃退せしめたことがあるカナリアである。

 最寄り駅までの数分間、特になんでもない話を二人はしながら歩いた。若葉がこの仕事を始めてからは見慣れた光景である。

 不意に、若葉の携帯が鳴った。みると『小河』(自宅)の番号だ。通話ボタンを押して、耳に当てる。

「もしもし」

『あ、若葉? あんた何時帰り?』聞きなれた母親の声だ。

「今帰りだけど?」

『帰りにマヨネーズ買ってきて、明日の朝、米とかしかないからさ』

「あー、そういや明日仕入れだっけ?」

 定休日に仕入れを行うのが『小河』の習わしだ。当然というか食材はほとんど枯渇しているので、その日の食事はたいてい簡単なものになる。母はきっと朝食をマヨネーズご飯にするつもりなのだろう。と、そこまで考えたところで嫌な予感に当たってしまった。

「……ねえ、お母さん。うちの晩御飯は?」

『は? ないわよ?』

「え、えぇ……嘘でしょ? 家の冷蔵庫にも店のにも?」

『何もないから買いに行くんでしょうが。なに? あんた、外で食べてくるんじゃないの?』

「そんなお金ないよぉ」

『働いてるんでしょう?』

「月収制だからまだもらえてないし、何より貰えるお給料はかなりの割合で家に落としてるでしょう?」

『……そう、……そういえばそうだったわね。……ちょっと待って、じゃあマヨネーズは?』

「買えません」

『帰りの電車はどうなっとるん?』

「スイカです」

『なんてことや?』

「それはこっちの台詞やねん」

『なんやねん、そん言い草』


 それから意味のない押し問答が5分にわたり続くが割愛。


 携帯の通話終了ボタンを押す若葉、そして天を仰いだ。月のない夜だ。盛大に溜息を吐いた。汗ばんだ微妙な長さの茶髪が鬱陶しく思える。

「どうかしたの、若葉? 変な顔」

「一瞬罵倒されたかと思いました」

「罵倒? どうして?」

 とっさのボケに無表情のまま小首をかしげるカナリアになんだか罪悪感を抱いてしまう若葉。ちょっと心が息苦しいのでかくかくしかじか事情を説明した。

「……うん」

 カナリアはふむ、と小首を軽く傾げたまま細い顎に指先を触れる。それからは、と思いついた感じで若葉に向かって聞いた。

「うちくる?」



 訓練施設からの最寄り駅。東京メトロの某駅の『小河』へ向かう路線とは違う路線。普段カナリアが帰宅する路線にカナリアと一緒に乗り込む。

 カナリアの自宅にお呼ばれされて、そのまま二つ返事で答えてしまった。まだ出会ってひと月経っていない相手だというのに……。

 若葉は別にそこまで社交的な人間じゃない。ただ接客業を行っていたために初対面だろうとなんだろうと硬くなったり上がったりしないで済むし、滞りなく会話が行えるが、性根のところは結構、一人が好きだったり、人と深く関わり合いになるのを好まなかったりする。ほどほどに仲良く位がちょうどいいのだ。実際、ひなたの自宅にだっていったことはない。というか、知人の家に行くことなんて、初めての経験さえあった。

 断ろうと一瞬思ったのに断れなかったのは、あの紫水晶の何気ない瞳が持つ魔力のせいだ。

 四角い箱に揺られる。すぐ隣には瞳を静かに閉じた、人形のように耽美なカナリア。揺らめく水面のような幽かな呼吸だけが彼女が幻想でない証だ。

 緊張しているのだろうか? 若葉は自分の全身に力が入っているのを感じた。

 きっと、他人の家に行くなんて初めてに緊張しているんだろう、そう思うことにした。

 車窓からは何も見えない、規則的にぽつぽつとライトが光るだけだ。



 正直、ほいほいと美人すぎる先輩の自宅についてきてしまったのを早くも後悔している。

 千樹カナリアはそれなりに人気の少ない、それなりに栄えていない雰囲気の駅で降りて、それから30分ほど歩いたところにある「日下部」と書かれた表札がひっかかった。ほったてご……かなり年季の入った一軒家に入った。

 目を白黒させながら若葉が後に続いた。がらりと立て付けの悪い戸が開かれると、長くない廊下があった。

「ただいま」

 カナリアは慣れた様子で、靴を脱ぎ、グレーの靴下を履いたまま軋む廊下をすたすたと歩き、突き当りを右に。若葉もそれに倣った。

「ただいま」

「もう聞いたよ」

 カナリアのあいさつにそんな風に返す、険しい顔の老婆がいた。

「うん。そうだった。じゃあ私は夕食の支度をするから、若葉はここで待ってて」

「……はい?」

 そして今に至る。


 すぐ隣の部屋が台所なのだろう。さっきからレンジでチンする音が絶え間なく聞こえてくる。せめて料理らしい音声を鳴らしてほしい。包丁の音とか、米を研ぐ音とか、野菜をすりおろす音とか、煮込む音とか。

 そうでもないと間が持たないというかなんというか。

「……」

 六畳間といえる空間である。中央にちゃぶ台が据え付けてあって、正座している若葉の対面に老婆がいた。

 老婆と呼ぶには若々しすぎるかもしれない。目算での年齢はせいぜい50代前半。いっても還暦を過ぎて間もないといったところだろうか。頭髪は白髪がほとんど、でその間に黒髪が見え隠れしている、がさついた髪だ。痛んでいるだろうにその年になって抜けないのは毛根が強いのであろうとなんとなく若葉は思う。黒い切れ目の目つきは険しく、眉間を中心に濃い皺が顔全体にある。しゃくれた顎は険しく、肩の張り方や手足の位置、姿勢の良さ等から決して衰えた肉体の持ち主でないことが伺える。背丈はおそらく若葉と変わらないくらいだろう。彼女は険しい顔つきの目つきで若葉を見据えていた。おそらく彼女が表札にかかっていた日下部氏なのだろう。そうでなければ居直り強盗の類かなにかだ。

 気まずい沈黙が流れる。空気が重たい。やたらと日下部(推定)氏からあふれ出る重圧感というものがすさまじかった。どうしてこんな人と二人きりにならねばならぬのであろうか。そもそもとしてこの人とカナリアの関係は何なのか。苗字も違うし、それ以前に見れば見るほどに似ていない。完全に血のつながりはないといわんばかりに似ていない。ともかくこの重苦しい現状を打破しなくては胃が悲鳴を上げる。若葉はからからに乾いた喉を震わせようとして。

「あんた、名前はなんてんだい?」

 先に静寂を打破したのは日下部(推定)だった。

「え、はっ、若葉です! 孤宮若葉!」

「そうかい、アタシャ、日下部ってもんだ。今は、千樹の保護者みたいなことをしている。………ふん、体のいい寄生虫みたいなもんだがね」

 自嘲するように日下部は言った。

「あんたも、あの娘とおんなじこと、してるのかい?」

「え、あ、はい。先輩にはいつもお世話に」

「はん! あれが人の世話をするように見えるか。世話をかけさせてるんだろ。いつも悪いね」

「そ、そのようなことは……」

「遠慮しなくていいさ。あの娘のことは、あんたよりアタシのほうが知っているだろうしさ……あの娘は、他人の世話を焼くには未熟に過ぎるよ」

 日下部の物言いは遠慮というものがなかった。そのうえであながち間違いでもないのが言葉に困るところだった。

 ふと、居間の扉が開かれた。料理を乗せた大皿を持ったカナリアがそこから現れる。

「ん? なんの話をしていたの」

「なんだ、晩飯の支度は終わったのかい? 今、あんたの話をこの孤宮とかいう娘としてたんだよ」

「私の? どんな話」

「あんたがこの小娘に迷惑をかけてるねって話さ」

 こ、小娘と来たか……! と若葉は内心で独り言ちる。対してカナリアは日下部の、ともすればかなりキツイ言い方に対して薄く笑みを浮かべて。

「うん。若葉には二回も大きな迷惑をかけてしまっている。今のところ、あんまりいいかっこ出来てない。から、これから頑張りたい」

「そいつァ、殊勝な心掛けだね」

 カナリアのそんな言葉に、嫌味のない口調で日下部は答えた。

そのやり取りだけで、二人の関係は良好なものだとなんとなく分かった。

「ん。とにかくご飯」

 カナリアは片手で持った大皿の料理をちゃぶ台に置いた。

「―――」

 その皿に乗っかったものに絶句した。日下部もやれやれと言わんばかりの渋い顔をしている。

 大皿の上には冷凍食品が無造作に盛られている。雑、実に雑。とにかく温めて次々と皿の上に乗せたといった感じだ。

「こ、これはいったい……?」

「言うな小娘。アタシも料理ができないから毎日こんな感じだ」

「えぇ……」

 リアクションに困る若葉。カナリアはそんなものにはまるで気づいていない様子である。

「? いただきます」

「はいよ、いただきます。小娘もさっさと食いな」

「は、はい……いただきます……」

 大皿の冷凍食品を鍋の如く囲んで食べる。

「――――――」

 雑。冷凍食品、それはいい。別にいい。そこまで若葉だって嫌いなわけじゃない。楽だし。だが、これは違う。わからない。なぜか。なぜこんな雑な味にあるのか。冷凍チャーハンもシュウマイもおむすびもから揚げも。どうやったって本来想定された味よりずっと、雑。酷いのではない。雑。なにゆえ。

 もくもくと平らげていくカナリアと日下部。もはやそこに人の食事風景はなかった。が、そこでふと二人の食べる手が止まり一点を見つめた。

一点. 挙手された若葉の手である。

 若葉は二人に対し、いっそ高らかに宣言した。

「うちに! 料理を! させてください!」



 自分はもう少しドライな人間かと思っていたが、案外そうでもなく、それなりに定食屋の娘という魂があったらしい。最近は知らない自分を知る機会が増えたと、手先を器用に動かしながら若葉は思う。

 使う食材は積み上げられていたあの冷凍食品の数々である。あとは台所に眠っていたらしき調味料。それだけである。

だが、しかし、その手際は見事なものであった。

若葉がひと手間二手間をかけて無造作だった冷凍食品群をよりおいしくなるように調理し始める。冷凍食品としてはだいぶ本末転倒だが。

「あのまま豚の餌を食べ続けるカナリアさんなんて見たくないです!」

「ぶ、豚の餌……」

 ついつい本音が見えつつも調理の速度は上がっていく。手早さと調理工程は複雑さを増していき、人並外れた動体視力を持っていたはずのカナリアでさえ全く認識できない。カナリアはひそかな敗北感を感じた。

 ――そして、

「どうぞ、召し上がれ!」

 ちゃぶ台の上には所狭しと、本格派の料理の数々が並んでいた。

 カナリア日下部の二人は揃ってゴクリと唾をのみこんでそれぞれに食事に手を付けた。

 そして、カナリアは初めて味わう美味しさに。日下部は久方ぶりにありついた真っ当な食事に、それぞれ感動に打ち震え、惜しみない称賛を若葉に送ることとなった。



 時刻は23時を回っていた。こくこくとちゃぶ台に座ったまま、船をこいでいるカナリア。半分ぐらい眠っているのだろう。

「そいつ、いつもはもっと早く寝てるからね、夜更かしに慣れてないんだよ」

「日下部さんは?」

「アタシ? ああ、慣れっこだよ」

 なんとなく、そんな気はした。ちなみに若葉も夜更かしは結構得意だったりする。寝不足でも結構動けるたちだ。そういったら。

「子供が夜更かしなんか滅多にするもんじゃないよ」

 と日下部に言われた。苦笑いで返した。

 そんなやり取りをすると不意にカナリアの体がずるりと傾いて、すぐ横で正座を崩していた若葉の膝の上に小さな頭がぽすんと乗っかった。

 若葉は思わず、ひゅ、と変な声を出しそうになり、日下部はなんだかにやついた顔を若葉に向けた。当のカナリアはとうとう完全に寝息を立てている。

「か、カナリアさん……さすがに無防備すぎでは……?」

「いいじゃあないかい? 懐かれているようで何よりだよ。その娘は学校に行ってないからね、年の近い小娘を気に入ったんじゃないかい?」

「そうかもです……さらっと、学校に行ってないって言いました?」

「ああ、言ったよ。事実だよ。通わせたくても、この娘の年のころなんて誰も知らないからね」

 そうして、ふっ、と日下部は息を吐いた。若葉は以前、カナリアが学校に行っていないことは聞いていたけれど、実際に彼女から近しい人間にその事実を伝えられると思うところがないではない。

「この娘は学校も何も行っていない。アタシが初めて会った時から、あの化け物たちと戦うためだけにいた。この娘がこの掘立小屋に来る前、どこで衣食住を行っていたと思う。あの対策本部だか何だかの倉庫だよ。そのことに、この娘は疑問も何も挟んじゃいなかった。きっと、今もそうだろうね。なんだか、それが哀れでね。色々あって、アタシが……まあ柄にもなく保護者なんてものをやってはいるんだ」

 月の出ないよる。虫のさざなりがうるさく聞こえてくる。日下部の視線は窓の外、虚空へ向かっていて、ここからではその表情はうかがい知れない。

「小娘。あんた、この娘とおんなじ仕事をしてるんだろ」

 不意に突かれた日下部の言葉に、はいと答えた。掌が無意識に膝の上にいるカナリアの髪に触れた。紫苑の髪は微かに触れるだけで梳くように指の隙間から零れた。

「辞めちまいな。子供が兵隊みたいな真似をするもんじゃない」

「……」

「違うな。それじゃ足りない。子供が働くもんじゃないんだよ。働くのは大人のやるべきことなんだから。社会勉強と小遣い稼ぎ以上のことなんかさ。責任なんて持つんじゃないよ」

 若葉は何も言わなかった。肯定も否定もしなかった。

「……おかしなことを言った。忘れておくれ」

 早口で日下部は言った。ガシガシと荒々しげに白髪頭をかいている。

「時間が時間だ。小娘、帰り送るよ。こう見えて免許は持ってるんだよ」

「いえでも、うち、電車で……」

「小娘が終電に乗るなんてサラリーマンみたいなことするんじゃないよ。いいから送られるんだよ。晩飯の礼はこれでチャラだ。貸しを作るのは嫌いなんだよ。断ったら承知しないよ」

「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」

 なんだか勢いに押されて頷いてしまった。ふにゃ、と膝の上でカナリアが起きた気配がした。



 紅葉マークのくっついた小さめの車。運転席に日下部が乗り、後部車両にうとうとのカナリアと、肩口にカナリアの頭が据わりよく置かれた若葉がいる。

 日下部は無言でエンジンを入れて、車が走り出した。

「あの、住所ですが、」

「小娘、あの小河とかいうちっさい定食屋んとこの娘だろ」

 何でもないことのように日下部は言った。

「な、何故にそのことを」

「客の顔ぐらい覚えておきなよ」

 ミラー越しに日下部のにやりと笑った面が見えたような気がした。


 車の窓からぐんぐん光の線が揺らいでいく。

「……むにゃ、あ、若葉」

「再び、おはようございます。カナリアさん。さっきぶりですね」

「ん」

 さっき、若葉を家に送ることになった時、ふと起きだして送りについてきてまたこっくり行ってしまったカナリアである。なんでまた引っ付いてきたのか。

「ん、ごめん、私、夜は苦手で……」

「カナリアさんは夜に映えそうですけどね」

 美人は夜に映えるものである。当の本人はむにゃむにゃと眠い目をこすっているのであるが……。

「別に送り迎えにまでついてこなくても大丈夫だったんですよ?」

「む、そうはいかない。呼んだのは私で、美味しいごはんまで作ってもらったんだから」

「は、はぁ」

 よくわからない理屈だけどカナリアの中では理屈が通っているんだろう。とりあえず若葉は生返事をした。

 ふと、なんとない質問が浮かんだのでカナリアに聞いてみた。

「カナリアさん、以前、うちがカナリアさんに、たたか……この仕事をしている理由を聞いたときに、なんて答えたか覚えていますか?」

「うん。それしかなかったから。といった覚えがある」

「あの、それって、どういうことで――」

 不安げに揺れる瞳で若葉はカナリアに問おうとした時、二人の携帯電話――西条から渡されたもので、仕事の連絡用のものだった――が鳴った。

 若葉は一瞬、電話を取ることを迷って、その間にカナリアが電話に出た。

 ビル街にUBが出た。現場への出動指令だった。



 小さなビル街だった。すでに避難したのか、もしくは潰されるなり食われるなりしたのか、住人の姿はどこにもない。

 照明のない精々十数階建てのビルが乱立する、その壁際を這うように異形の巨体が存在していた。

 蛇のように這っている、胴体は鱗にまみれた細身だ。だがその体に手足が付け加えられたように生えていて、しかもその手足は毛むくじゃら。蛇足にさらに付け足した醜さがある。そしてそれ以上におかしいのは頭部の形状で、ヘドロのような緑色に染まった目があり、蛇のような頭部でありながら明確に歯があるのだ。むろん蛇にだって牙の類はあるが、それとは異なる人間のものによく似た歯が蛇型の頭部に並んでいて、実に名状しがたきおぞましさを演出している。

 ずるりずるりと音を立てて這うUBの200m手前でカナリアと若葉は途中で合流した特殊車両から降りた。

「足があるなら歩いたほうがいいのに……」

「ん。でもあの巨体では自重を支えきれない。足が細すぎる」

「そですね。だいぶうらやましいです」

「?」

「……なんでも、ないですよ」

 ちょっと悲しくなっちゃうのでやめた。気を取り直して敵を見据え、装甲を纏う二人。若葉は白い光を、カナリアはネオンのような蒼白い光を通す装甲である。

 カナリアが前を走り、後方から若葉が追いかける。とんと、カナリアが地をたたくと、そのままふわりと浮かんだ。若葉も同じように飛ぶ。安定して少しずつ加速するカナリアに対して、若葉は不安定に揺れながら飛んだ。

 すぐにUBがこちらを視認した。UBは宝玉の力に何らかの反応を示す。二つの存在は何らかの因果関係があるようだが、詳しいことは分かっていない。

 し、そんなことは今は関係ない。実際にUBが速度をあげながら二人に近づく、それがすべてだ。そして徐々にカナリアも速度を上げる。今回は正式な若葉の初戦で、とりあえずは後方にいるように言われている。

 ぐんぐんと速さをあげて、蛇頭はその口を大仰に開けた。半径20mはある巨大な円のようである。それにまともに突っ込むようなことをカナリアはしない、一気に加速して急上昇する。巨大な円は空を飲み込み、カナリアは上空を陣取る。

 カナリアを纏う蒼白い光が強くなる。そして蒼の細長い線が幾重にも折り重なるように巨体へと降り注ぐ。線はUBの体表を焼く。悶え苦しむUBだが、物理的に反撃を行える距離にカナリアはない。が、それで終わらないのが連中である。

「――⁉」

 歯が飛んできた。比喩でもなんでもなく、UBはその歯をパチンコでも打つかのように上空に向けて飛ばしてきたのである。

 とっさの判断でカナリアはそれをよける。その際に攻撃がやみ、それをUBはついた。ビルの壁を這うように一気によじ登り、屋上付近で跳躍し、カナリアを食らわんと口を広げる。

 しかし、今度も空振りだ。つい先ほどまでカナリアがいた地点には既に残像しかない。宙に浮いたまま、UBは下から突き上げられる。カナリアは既にUBの胴の下に潜り込んでおり、そこから突き上げたのだ。

 空中で体制を崩し、腹を上向きに見せてUBは地面に叩きつけられた。カナリアは直後に急降下する。宝玉の力は装甲着装着装置(アームドデバイス)のある右腕に集中する。それは蒼き紫電の如く。手刀は光の短剣を形成する。急降下とともにUBの腹に切っ先が突き刺さる。エネルギーを装甲に可能な最大出力に、右腕から開放する。

 バズン、ひとき眩い光が弾けて、UBは沈黙、やがて溶けるように消滅した。


 ふうとカナリアはさほど乱れてもいない呼吸を整えるように息を吐いた。

「さ、さすがです、カナリアさん」

 一戦を終えたカナリアの傍に若葉が飛びながらやってきた。

 カナリアの戦闘を見るのはこれで三度目だが、前の二回とだいぶやられていたのに対して今回は危なげのない、あっさりとした勝利で実は結構、驚いている。

「ん、ようやく若葉にましなところを見せられた」

 なんだか、本人も気にしていた様子である。正直、この先輩が頼りになるのかと思っていた若葉であったが、意外とちゃんと戦えるのが確認できて安心できたのは大きい。

「でも、ほんとに死体って残ってないんですね……」

 戦いの跡を見て、嘆息するように若葉はつぶやいた。UBが暴れまわった跡が存在していても、当の巨体自体はまるで最初から存在しなかったかのように消えている。UBが謎に満ちている一番の要因は解剖できないことがある。

 ……まあ、そこらへんは大人が考えるところだろう。

 これで安くないボーナスがもらえるのだから、どうにも罪悪感があるけれど。

「戻りましょうか」

 若葉が言ってカナリアが頷いた。どこか、違和感があるかのような表情が見えなくもないが、若葉は気付かずに、浮遊する。

 ふと視線が明かりの消えたビルの窓に向かう。当然、人影はない。……ふと、だれが電気を消したのだろうと考える。非難するならそんな余裕はおおよそないだろうし、ブレーカーか電気ケーブルが落ちたのだろう。なんとなしにビルの中を覗こうとみて、

 ヘドロのような緑色の眼球と目が合った。

「若葉‼」

 一瞬のことだった。ビルの内側から毛むくじゃらの大きな腕がコンクリを突き破って飛び出し、若葉を鷲掴みにする。グオンと尋常ではない遠心力がかかり、地面に叩きつけられる。

 全身が衝撃に揺さぶられ、意識が闇に消えていく。

 その刹那に見た光景は、ビルが倒壊し、中から2体の巨躯が現れるというものだった。



 風が頬をたたいている感触がする。それは切り裂かれそうなほど痛いのに、不安がない。上下左右に大きく揺れる振動も、全身を伝うしびれや痛みもどうしてか伝わってくるあたたかさの前には些細なものに感じる。

「……う、」

「起きた? 若葉、わかる? 意識は」

 風を感じる。ぼんやりと開かれた瞼の裏からみえる視界はぐわんぐわん揺さぶれれているが、どこかの林の上、地上20mぐらいの高さを飛んでいるのだろうと思われる。

 どうやらUBの奇襲(?)に意識を失ったところを。カナリアに負ぶわれて逃げているらしい。

 ちらりと背後を見ると、木々をなぎ倒しながら2体(・・)のUB――どちらも先ほどと同種のさらに大きな個体だ――が迫ってくる。

「UBは宝玉の力に引き付けられる。あのビル街は場所が悪いから、仕切りなおす」

「は、はぃ」

 十分にUBと距離を取ると、ずん、とカナリアは一気に高度を下げる。装甲着アームドを解除すると手ごろな木の洞に若葉を横たえた。

 宝玉の力を引き出すのが装甲着なら、解除すればそれに引き付けられることもない。

 体が、動かない。軋むようであった。

「全身を打っている。装甲着で保護されていたけど、ダメージを完全に相殺することはできなかったみたい。けれど……うん、致命傷じゃない。すぐに良くなると思う」

「……それはよかったです」

 全然よくないけど。と若葉は思う。すぐよくなるといったって、それは一日二日の話だ。それまでUBは待ってくれない。

「ここで、UBを二体、待ち受ける。私が装甲を纏ったら、同時に纏って。できるだけ小さくなっていて。できる?」

「はい、それぐらいなら……装着は片手でもできますし……」

「ん。よろしく」

 そうして淡く、カナリアは微笑んだ。その微笑は静かで、どこか儚げな花弁のようにも見えた。

 遠くから木々をなぎ倒す音。少しずつ近づいてこそいるが、こちらを見失っている様子だ。それでも、少しずつ近づいてはいた。

「……すいません。うち、足手まといで……」

 申し訳なさで若葉は目を伏せる。目の奥がじんわり熱くなる感覚がある。カナリアの顔が見れない。

「ん。大丈夫。私だけでも、あの敵は倒せる可能性は高い。二体同時も初めての経験ではないし、……それに、私も前に失態を見せてしまったから、それでおあいこ」

「え? 前にもこんなことあったんですか?」

 思わず聞いてしまった。カナリアはそんな若葉に何でもないことのように答えた。

「うん。まだ、私が一人でやっていたころ」

「……カナリアさんって、いつからこの仕事を?」

「ざっと、5年位前から」

「べ、ベテランじゃ……」

「うん。そうかも、たぶん私、装甲着(アームド)装着者のなかでも古参だと思う」

「中でもって、うちとカナリアさんのほかにもいるんですね……同業。意識したことなかったなぁ……」

「うん、世界中。いくらかの主要先進国にいる。日本が一番たくさんいて、私と若葉を除くと、あと二人いる。焔(ほむら)と凪(なぎ)。二人とも、今は所用でいないけど。近いうちに若葉も一緒に戦うと思う」

「そ、そうですか……」

 馴染めるだろうかと、今から心配になる。だが、その心配はこの局面を乗り越えたらするべきものだろうと考えないことにした。

 少しずつ、轟音が近づいてくる。

 カナリアは右腕についている装甲着(アームド)装着装置(デバイス)に触れて、調子を確認する。いつでも行ける状態だ。

 まもなく、UB2体と合流するだろう。

 待ち構えるカナリアの後姿にふと気になった質問を若葉は再び投げかけた。

「カナリアさん、聞いてもいいですか?」

「うん? なに?」

「カナリアさん、以前、うちがカナリアさんに、この仕事をしている理由を聞いたときに、なんて答えたか覚えていますか?」

「うん。それしかなかったから。といった覚えがある」

「それって、どういう意味、ですか?」

「……」

 少し、カナリアは考える。言葉の意味を咀嚼するように。それからぽつりとつぶやくように。

「私が、生まれた理由は、戦うことだったから」

「……」

「私は、それ以外のことが出来なくて、……それのために生まれたから、それ以外は、からっぽで、何もないから……」

 若葉はカナリアの過去は何も知らない。多分、知ることもないだろうと思える。どんな覚悟や、思いがあるのかはわからない。

「……あの、うちがこんなことを言うのはなんだかなぁ、なんですけれど……」

 でも、ちょっとぐらい。

「からっぽなら、埋めていけばいいと思います。初めてのことは、

誰だってうまくいかないこともあるし、……今現在のうちだってそうですけど……、意外と、やってみたら面白いかもですよ?」

「―――」

「……って、この体たらくで言えたことじゃないですけどね……」

「ううん、すごくいい言葉だった。そんなことを言われたのは、初めてのことだから……うん、そっか」

 なんだか、うまいとこ腑に落ちたといった顔を、カナリアはした。雲の切れ間から月光がもれる。

「おもしろいかも、初めてを、始めるのは……でも、」

 轟音はすぐそばに、すでに頭上に影が生まれる。

 ゆえに、この瞬間、私がすることは明白で――、

「―――アルタレーション!」

 どうあれ、すべてはやるべきことをなしてからだ。ゆえに装着する。それは自分の理由であり、それが私の確かな側面。

 若葉が装甲着(アームド)を装着したのを確認してから飛翔する、

 上空へ、二体のUBが見上げる。

 月光がもれいずる。蒼き光の装甲を纏い、月の光にカナリアの姿が照らされる。

 すらりと長い身体。白い肌は月の色に照らされ、淡い紫苑の髪もまた月と宝玉に照らされ染まる。

 美麗な容姿は完成された美しさであり、その装甲着(アームド)を纏う姿はさながら、機巧の天女のようである。

 右手を伸ばし、下へ。月を背負い、右手に光が収束する。

 弓――のように見える。弧を描く光の弓。

 亡いはずの矢を番う。収束する、収束する。

 強大な力の弓が絞られ――

「―――ノネグテーション」

 ―――放たれる!

 光の矢は一体のUBの額を撃ち抜き、一瞬で四散させる。

 余波として放たれる風に煽られるもう一体。すぐにまた上空を見やるが既にそこに影はない。

 ただ、UBの視界がずれた。

 カナリアは既にUBの背後に。右手にあるのは光の弓ではなく剣。すでに背後を見ることもない。

 ずれるUB、まもなく空気に溶けるように消える。

 風が哭いた。揺れる髪。林に立つカナリア。

 一瞬のこと。決着はついた。



 夏休みだった。なのにそれらしいことは何もしていない、実に不満げな斎田ひなただった。ちなみに宿題はしていない。毎年、ギリギリで泣くタイプである。

 とはいえ、ひなたは不満げだ。夏だというのにさほど暑くもない。これが楽なようでいて若い身には張り合いがない。そのうえ、日がな一日ネットでボカロをあさる日々だった。毎日は流石に飽きる。

 そんなひなたは今日も「小河」へ向かっていた。別に昼食だ。それ以外に他意はないし、別に若葉とか関係ない。


 そんなこんなで「小河」である。

 ひなたはいつもの如く、戸を開ける。すると、すぐに若葉の姿が目に入った。実に一か月ぶりの若葉だ。

 いつもより、少しだけ早足で駆け寄ろうとすると奥から背の高い、紫苑の髪と瞳を持つ、物凄い美人が出てきた。

 ぴたりとひなたの足が一時停止する。そんなひなたを若葉は認識した。

「ん? ひなたちゃん、久しぶり。元気してた?」

「? 若葉の友達」

「あ、はい、たぶん、そうです」

 美人の質問に曖昧に若葉が答えた。震える指先で、ひなたは若葉に聞く。

「わ、若葉……? そ、の人は?」

「この人は、カナリアさん。うちの、別の職場の先輩で、なんか色々あって、うちでもバイトすることになったの」

「ん。初めてを始めるの一貫」

 なんだかよく理屈はわからないが、あの美人がバイトだというのはわかった。それはいい、それはいいのだが。

「距離が近い!」

 すぐにでも触れ合いそうな距離感で若葉と美人が横に並んでいるほうにツッコミたいのだ。

「……はっ! カナリアさんの距離の近さに、うちいつの間にか慣れてもうてる!」

「そう? でも、私も、若葉もいやじゃないでしょ?」

「んー、ま、そですね」

 そうか、じゃあいいかな。よくない。なんだかわからないけどその立ち位置は自分のものだと声高に主張したいひなたであった。



 と、それと同時期に、この地域に戻ってくる人物がいる。

 背丈は低く、小学生かと見紛いかねないが、彼女はれっきとした、高校生で、若葉の一つ年上だ。

 短く切りそろえられた髪が風になびき、ぱっちりと空いた瞳は天を仰ぐ。

「うーん! ひっさびさの東京だー‼」

 高らかに叫ぶ、実に楽し気な声。

「なーんか俺のほかにも装着者が出てきたって話だよな! 楽しみだな!」

 スキップするように彼女は駆ける。

 波乱が訪れる、かもしれない。

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