魔装ガールズ 第1話

 声が聞こえる。

 ――否、これは声ではない。もっと大きく震える、うなりのような何かだ。

 ふと、何かを幻視した。

 遥か――ずっと昔の記憶だ。

 一人の少女がいた。まだいたいけな、ともすればまだ、十分に子供のようでさえある。年のころは13、14ほどであろうかというところ。

 眩く煌めく光の球体が総てで27。少女を囲っている。

 ――私は、私たちは、見ているだけだ。何もしない。何もできない。

自分たちの不始末を、せめて未来に残さないようにと、そんな方便を並べてたった一人に押し付けたのだ。

……そんな選択をする時点で、我々の最期は決まっていたのかもしれない。

もはや取り返しのつかない状況に、我々の世界は追い込まれていたのだ。

 やり直しは叶うまい。

 悲しみは取り戻せない。

 必然の滅びの前に、残った最後の仕事。罪滅ぼしにすらならない、そんな尻ぬぐいを我々に彼女は押し付けられた。

あまりにも理不尽な末路を前に、されど彼女は――残されたたった一人の英雄は、それでも穏やかに。

逃れられない哀しみに、ただ一人、立ち向かって見せたのだ。

27の光球。それは凡て、我らが文明の総決算。最後の解となった。

光球は27。だがそれだけでは不完全。

故に、少女の體(カラダ)に27、すべてが吸収され硝る。


そして――

【アバン】


「さて、ここに取り出しまするは、うち、とっときの砂糖菓子でございます」

 迷子の子供の泣き声がさっきまで響いていた定食屋「小河」店内にて、店の制服をそれとなく着くずしつつ着こなしている年のころは16の少女が一人、迷子の少年のまえに綺麗な金平糖を一つ、差し出していた。

 少女がくるりと手のひらをスナップさせると、金平糖が二つになり、さらにスナップすると3つになった。

「どう? お姉さん、すごいでしょう?」

「……そうでもない」

「そう? じゃあこうしても?」

 パン、と少女は両の手を合わせた。

「はい、金平糖は消えちゃいました」

「……おぉ、」

「さらに」

 ぱちんと指を鳴らす少女。すると指先には金平糖がひとつ。

「おひとついかが?」

 少女は迷子の子にその金平糖を差し出す。迷子はこくんとうなずいてそれを手に取り、口に含んだ。

「……美味しい」

「でしょう? うち、とっときのちょっとお高い奴だからね。お母さんにばれないようにちまちま齧ってきたんだ」

「いいの、お姉さん?」

 迷子はおずおずと少女に聞く。ちょっとだけ申し訳なさそうに。少女はその様子に、いい子だなぁ。とか思ったりした。

「いいの。若葉お姉さんは、そんな金平糖の一つや二つで四の五の言うような小さな器はしていないのです」

 少女――孤宮若葉わかばはふっと笑ってポンと年齢の割には平たくないが大きすぎもしない胸をたたいた。肩甲骨らへんまで伸びた茶髪が揺れた。それからにこっと笑って、

「それに、君ももう泣いていないでしょう?」

「あ……」

 ほんとだ、と迷子は頬をさすった。さっきまで零れていたしずくが乾いていた。自分でも少し驚いた。

「うん、泣き止んだなら、それが一番だよ」

 若葉がうんうんと頷いている。すると、店の入り口ががらりと開けられた。

「舜!」

「ママ!」

 迷子の舜君が店先に入ってきた母親に飛びついた。二人はひしと抱き合って、くるくる回っている。

 そんな二人の後ろからひょいと出される顔があった。

「あ、お母さん」

「おつかれ若葉」

「何も疲れるようなことはしてないよ。それよか、思ったより早かったね」

「ああ、ついそこで見つけたからな、若葉もちゃぁんと子守りができるっていうんは、大きな発見やった」

「えぇー、舜君がいい子だっただけだよ。ね、舜君」

 元迷子の舜君は「うん!」と元気良くうなずいた。ぺしと、彼のお母さんの手が頭をたたいた。

「そもそも、あんたが迷子になんてなってなるのがいけないんでしょうっ、それを孤宮さんが見つけてくれていなかったらと思うと……、はぁ、なんてお礼を申し上げてよいのやら……」

「いいんですよお母さん。舜君、最後には泣き止んでくれましたし……泣いていると、どんどん悲しくなってきてしまいますから。自分で泣き止めた舜君は本当に偉い子ですよ」

 若葉がそうやって舜君のことをほめると、彼の母は恐縮しきりになり、彼自身は真っ赤になって俯いた――実に純情な少年である。

 その後、何度もお礼をしてから、親子は店から消えた。

 ふぅ、と若葉は一息つく。少年はいい子だったが、さすがに相手は少し疲れたのは事実である。

「あ、若葉、悪いけど、このまま出前行ってきて」

「え⁉ マジで⁉」

「まじで」

「えぇー、うち、ちょっと動きたくない……暑いし……」

「他に誰が行くん? もうすぐお昼時やし、店にお母さん居ないとだめでしょう?」

「んー、せやけどぉ」

 うへぇ、と言いながら、若葉は出前に出ることにした。



 定食屋「小河」が出前システムを導入したのはつい先日のことである。

 きっかけは実に些細なことで、若葉の母が「せや、出前や。やってみよ」とかなんとかいいだしたのが始まりである。実に些細なことである。最近どんどん忙しくなっているというのに。

 まあ、そんなことを言い出したら、東京に来たことだって、この定食屋を始めたことだって母の気まぐれだった。今は2012年だから、思い返すと8年も前の2004年のことである。若葉も当時は8つかそこらで今一つ記憶が残っていないのではあるけれど。そのころの記憶なんて、すでに父親がいなくなっていたくらいのものでしか残ってはいないのだ。

「いやなこと思い出しちゃったな……」

 なんとも困ったような苦笑いを原付に乗って信号待ち中の若葉は、フルフェイスメット越しにした。どうにも疲れているのかもしれない。最近、近所に新しい会社でもできたのか、お客が増えるようになって、随分こき使われていたから。それでもちゃんとお手伝いをしている若葉ではある。

 でも、それは当たり前のことで――


 ―――どこかで音がした。爆ぜる虹色のような音が―――


――車のクラクションが背中に響いた。

「……え?」

 信号は青に変わっていた。急かすようにクラクションが連続で鳴っている。

「わ、す、すんません!」

 思わず謝って、若葉は原付の持ち手をひねる。

 停止線を越えた。


 出前の注文をしたお宅のある区画には20分かからずについた。

 ついたはいいのだが、

「えぇ……暑いんですけど……」

 当然、夏なので暑い。蝉も大合唱なうである。はやいとこ届けなければ注文されたとんかつ定食は腐りそうなのだが。

「すいませんねぇ、ちょぉっと立ち入り禁止なんですよここ」

 夏場でもちゃんと制服を着ているおまわりさんに言われると一介の小市民としては従わないわけにはいかないのであるが……。

「でも、もうちょっと先で出前の注文を受けたんですけど……」

「すいません……、自分らもこの一帯を封鎖しろとしか言われていないんですよ……」

 お巡りさんも困惑顔である。実際、町の半分は封鎖されているとでも言いたげなレベルで大きな範囲が封鎖されているし、ざっとあたりを走ってきて時にみた分から推測するに軽く100人は警官が動員されている。どう見てもただ事ではない。

「……テロでも起きたんですか?」

「そう、なのかもしれないね……」

「暑いのに大変ですね」

「うん」

 お巡りさんだって泣き言を言いたい時があるらしい。仕方ないと思う。

「ほんと、いきなりだったし、なんか公安とかも動いているらしいし、なんか本庁からもいっぱい人来て、その接待ですでにだいぶくたくただっていうのに」

「……お、おぉ」

 ちょっと、言葉が過ぎつつあるのを受け流せるくらいには若葉は大人である。

「でも、出前、どうしましょう?」

「電話って携帯電話からなの?」

 いつの間にかため口になっていた警察官が若葉に聞く。

「いえ、家電からです」

「じゃあどうしようもないね」

「…………そですね」

 この人は出世しないなと思いつつ、若葉は原付を走らせた。

 立ち入り禁止のテープや板切れ、警官たちに沿って走ると一周して戻ってきた。さっきの警官がいたところだ。

「ほんとに、360度包囲されてる……どうしよっかなぁ、さすがに暑いし、商品腐っちゃうし……」

「あ、若葉おねえさん!」

 声に反応して振り返ると、先の元迷子の少年とお母さんだった。

「あら孤宮さん。お仕事中ですか?」

「ええ、出前頼まれたんですけど、見ての通り入れなくて……」

「大変ですねぇ……一体何があったんでしょうね?」

「さぁ、どうなんでしょうね……」

「本当に、大きなことにならな――」

 最後まで舜の母の言葉は続かなかった。

 爆発が起きた。すぐ近くのことである。それも連続で。

「―――ッ⁉」

 思わず変な声を出した、若葉の体が宙に浮いた。出前の商品を抱えて重量を増した原付のハンドルを強く握って飛ばないように体を抑える。

 爆発の轟音と熱さを伴う爆風に対し、若葉は思わず目を瞑りそうになった。

 だが瞑る瞬間、目端に舜の姿が――母の手を離してしまい、爆風に吹き飛ばされる幼い少年の姿が映ってしまった。

 若葉はハンドルから手を離した。主を失い、バランスを崩した原付は倒れ、出前の商品は地面にぶちまけられる寸前に宙を舞う。

 若葉は絶えず続く爆発を背に飛んだ。背中が熱い、焼けるようだ。同時に体の芯が冷える、宙を浮く感覚は若葉にとって初めてのものだった。地に足が着いていない不安感が恐怖を連れてきた。

「―――舜君!」

 それでも若葉は恐怖を抑えて、風に吹かれて飛んだ。熱風の中で開いた細目が少年の姿をとらえた。

 手を伸ばす。もう少し、――届け! ――届いた。

 若葉は舜の腕をつかんで抱き寄せた、少年をかばうように抱きしめた。

 直後に衝撃が背中にきて肺の空気を吐き出した。

「が、ごほっ、ぐ、は、はぁ、はあ」

 地面にたたきつけられて一通り咽たあと、若葉は腕の中の少年に目をやった。

 気を失ってはいるが、目立った外傷は見当たらなかった。

 安堵したように息を吐いた若葉は舜をゆっくりと横たえ――ようとして夏の暑さに焼かれたアスファルトに気づき、舜を背負うことにした。体のいたるところに軽いやけどがあるのは爆発のせいだけではないようだ。

 にじむ視界で周囲の状況を確認する。

 周囲には、ぶちまけられた出前の商品とともに人々が呻きを挙げながら地面に倒れこんだり、座り込んだりしていた。皆、どこかしら、擦過傷や火傷を負っている。

「……いない」

 舜の母親の姿があたりには見当たらなかった。爆発に吹き飛ばされたわけでないようだ。

 背負っている舜を若葉はしっかりと背負いなおし、前方、爆発が起きたあたりに目を向けた。体にある傷は軽いもので、動くことはできそうだった。

「…………なにが、おきて……」

 夏の暑さと炎の熱さ、二つの熱量が絡み合ってあまりにも強烈なカゲロウを作っていた。光が歪曲し、さっきまで自分がいた地点の惨状を正しく視認することができない。

 ただ、それでも確かに燃える炎の色だけは理解できた。

 しばし立ちすくんだ。すると、

「あ。……だ、大丈夫……?」

 さっきの警察官だった。彼はカゲロウの中から左足を引きずって出てきた。見ると、左足だけではない、右足も相応に深い傷がついており、両腕も血を流して、だらんとしている。額からも血を流している様子だった。

「大丈夫ですか」

 思わず若葉がそう聞くと警察官の彼は大丈夫と言いたげに腕を上げた。制服に着いた赤いしみが広がった。

「早く……君も、避難……した、ほうがいい……危険だ……」

「な、なにが起こってるんです?」

 警察官は答えない、ただ、首を横に振るだけだった。

 若葉は背中の重みを確認する。少年とその母親のことを脳裏に浮かべ。

「一つだけ、いいですか? この子のお母さんは、あの中ですか」

「……」

 肯定だった。警察官の顔がどうしようもなくそれを語っていた。やっぱりこの人は出世しなさそうだと若葉は思った。

「この子をお願いします」

 決定はすぐだった。若葉は息つく間もなく、舜を警察官の彼に渡した。彼は疑いもなく少年を受け取り、無事を確認すると、若葉に向き直った。

 だが、その時すでに若葉は走り出していた。

「……なっ」

 止めようとしたが、傷ついた体は言うことを聞いてくれず、さらには腕に持った命の重さが彼を止めた。彼は少女の背中を見送ることしかできなかった。


 正直なところ、若葉自身、自分がこんな大胆不敵な行動に出ることは想定していなかった。少年の母親が危険な状況で、当たり所とかがよかったのか一番動けるのが自分だという状況で、ではどうするのが最善かを考える間もなく、こんな決断をしていた。

 カゲロウの中に入ろうとする。熱い。暑いのではなく熱かった。太陽のそれではなく、炎の燃えるソレだった。正直、自分の軽率さを後悔している。それでも。それでも歩けるなら。

 歩く、足がその場に踏み込もうとしたとき。

【~∼~~~~‼】

 爆発の比ではない爆音がはじけてカゲロウが晴れた。その惨状に絶句した。

 若葉はこの爆発はせいぜいどこかのやばい人が自爆したくらいのものだとばかり思っていたが、全然そんなことはなかった。

 30メートル程度の巨体があった。ガマガエルのように平べったく、四足歩行で地面にはいつくばっている。全身を覆いつくす白い体毛はハリネズミのようにしなやかでかつ固そうでそれら一本一本がそれぞれの生き物であるかのようにうごめいている。鈍重な動きで微かに動いても土煙があがっていた。その場にいる誰もが呆然とその姿を見ていた。

 怪物か、化け物か、怪獣か、あるいは魔獣なんて、そんな風に呼ばれているものだった。獣ではない、アレはどう見てもまっとうな生物ではなかった。

 巨大なソレが、家屋を踏みつけて、暴れている。

 ソレが踏みつけた家屋のガスやら何やらが爆発を繰り返す。

 一体、どこからあんなものが来たのか、ついさっきまであんな巨体はどこにもなかったのに……などと考えている余裕さえなかった。

 倒れて呻いていた人々が弾けたように起き、その場から走り出した。

 だが、若葉は動かない。動けない。

「……いた」

 それは恐怖からだけではなく、見つけてしまったからだ。

 その化け物の体毛のうちの一本、それが舜の母親の体に巻き付いている。

 よく見れば彼女だけではない。老若男女問わず、体毛に巻き付かれている人間が100はいた。中には生きてることがわかるものと、明確に死んでいることがわかるものがいた。それが半々くらいで舜の母はまだ生きている様子だった。

 だが、だからと言ってどうしようもなかった。彼ら彼女らを助けるすべなど、若葉にはなかった。

 どうしようもなくて、じっと巨体を見つめている。

 そんな瞬間、蒼い閃光を見た。

 飛んでいた。蒼の閃光は残像を描きながら巨体の周囲を旋回した。

 そのまま閃光は急上昇して、急降下した。

 巨体の体毛の中に突っ込んだ。

 閃光は人を掴んだその体毛の根元を切断し、零れ落ちた人々を掬いあげていく。

 だが、ただ黙っている化け物ではなかった。

 ソレは鈍重な呻りをあげる。地団太が踏み荒れる。

 爆風が来るかと若葉は思わず身構えたが、しかし、予想に反して衝撃は来なかった。

 巨体は蒼の鎖に縛られている、発生源はあの閃光だ。

 ぎちぎちと、今にもそんな音が聞こえそうだった。

 巨体が蠢く、その強大な力に動揺するように微かに光球が揺れた。

 巨体はその隙にぐるりと横に体を倒した。瓦礫が一気に生み出され、球体が振り回され、地面に叩きつけられる。

 平べったい怪物はそのまま時計回りに横回転をした。

 自身から発生した光の鎖に引きずられ、光球は地面をえぐりながら若葉のほうに向かってきた。

「え、は、ちょ、ちょっと、ちょっと待っ⁉」

 さすがにあの速さで激突されたら、いかな頑丈な人間でも四肢が飛ぶのは容易に想像ができた。ぎゅっと若葉は目を瞑った。

 轟音が目前で起きたことがわかる。

 だが想像していたはずの衝撃は来なかった。

 恐る恐る目を開くと、どこにも光球やそれ自体から発生した鎖の類はなかった。

 代わりに、若葉の目の前には抉られた地面に横たわる少女の姿があった。

 綺麗な人――若葉が彼女を見てまず最初に思ったのはそんな言葉だった。

 紫苑と真白、彼女を構成するのはその二色のようでさえあった。

 ながく伸びる紫苑の髪は雨露に濡れる紫陽花のように繊細で鮮やか、肌は降り積もる深雪のように白かった。175センチはあろう長身で手足もすらりと長く、気を失っている顔は鼻梁の通った人形のように整っている。

ついた埃や鮮血など目に入らないほどに、少女は美しかった。セクシーやキュートなどという形容ではなく、もっと根本的な綺麗さだと、そう思えた。

 ちらちらと露出している胴の肌色に目を囚われそうになるのを頭を振って振り払った。あのでっかい化け物は今もすぐそばにいる。今、目の前にいる美人が一体どこのどなたであろうと今はせめてこの人だけでも安全な場所へ運ばないと。

 そう思って若葉はその女性を抱きかかえようとして、ようやく気付いた。

 彼女の着ているものは服と呼ぶにはどう見ても無理があるものだった。

 なんというか、ごてごてしている。どう見ても布ではない。しなやかに見えるが、しかし機械だ。全身にコードを巻き付けるように一般人の若葉には最新鋭であることぐらいしかわからない。そんなものを彼女は着て……いや、装着していた。

「……ッ、は、っい……」

 若葉の腕の中で彼女が目を覚ました、苦しそうに端正な貌をゆがめる。

「あ、あの! 大丈夫ですか⁉ 今、安全な場所へ……」

 彼女は若葉に返事をしなかった、ただ苦痛を押し殺して、彼女は自身の右手を左腕に伸ばした。

 そこにはひときわごつい装置がついていて、その中央に蒼い――先ほど空を縦横無尽に飛び回っていた光球と同じ光だった――球体がはまっていた。


 ――ドクン、若葉の何かがそれに反応した――


 少女はその球体がはまった装置に手を伸ばそうとして伸ばしきれずにカクリと意識を手放した。


 ――その力を識っている――


 若葉はおそるおそる、その装置に手を伸ばした。誘蛾灯に誘われるように。


 ――使い方を理解した。光が教えてくれる――


 装置を手に取った。それは思いのほか簡単に彼女の手から離れた。


 ――戦い方が理解る、そして自分にはこれより正しいものがあることも――


 腕に装着する。蒼い光が生まれる。


 ――運命(ギア)、装着(オン)


第一話


 チャイムの音で目を覚ました。

 教室の時計は4時間目の終わりを指している。つまり昼休みだ。

「若葉、今日は随分とすやすやだったじゃない? どうしたの? 寝不足?」

「……なんだ、ひなたちゃんか……」

 眠い目をこすりながら瞼を開ける若葉。目を開いてまず飛び込んできたのはクラス委員長の斎田ひなたの姿だ。背丈は平均的より少し低い程度。ショートの黒髪、明るめの、細眺めの長方形な赤縁眼鏡をかけている。

「なんだとはご挨拶ね。まあ、いいわ。お弁当、一緒に食べましょ」

 ひなたが目の前で綺麗に包まれたお弁当箱を軽く振った。

 若葉はしょぼしょぼの目のまま、こくりと頷くとカバンからコンビニのビニールを取り出し、その中から、ビニールにくるまったコンビニおにぎり(しゃけ)と冷え切ったフライドチキン(レジそばで売っている奴)、それからラーメンサラダ(小)が出てきた。

 その様子にひなたは目をぱちくりしている。

「若葉、いつもの手作り弁当じゃないのね……せっかく楽しみにしていたのに」

「……最初からたかる気全開なのはちょっとどうかと思うよ」

「だって、毎日でしょう? 若葉の料理、美味しいし。うちは揃って料理下手だから、お弁当も冷凍ばっかで、味気ないんだもの」

「まあ、そうだけど……少しは遠慮ってものを云々」

 ふにゃぬにゃ言っている間に若葉の机には二人分の昼食が並べられた。ちなみに

「いただきます」

「いただきます」

 ふたりで揃えて声を出してから、若葉はコンビニおにぎり(しゃけ)に、ひなたは冷凍ハンバーグに口をつける。

「自分で作ったほうがおいしい……」

「いやま、あんたはそうでしょうよ。てかなんでまた今日はコンビニなの? 本当に寝坊したの?」

「あぁ、うん。ほんとに寝坊したの。おかげでお母さんに朝から怒られるしまつで……」

「でも珍しいわね、若葉、完全に生活リズム出来上がっているもんだとばかり思っていたから」

「うん、うちもそう思っていたんだけど……まあ昨日いろいろあったからかなぁ」

「昨日?」

 冷凍ハンバーグを何とも言えない顔で口に食みながらひなたは反応した。

「そういや昨日、若葉んとこの隣町だからその隣だかで出たんでしょう、アレ……えと、魔獣……じゃなくて、正式名が出たんだったか……」

「UB?」

「そうそれ、アンノウン・ビースト。略してゆーびー。いや、まんまなんだけどさ、あの手のが出てくるのって久しぶりだったなって……」

「……うん、そうね」

 あいまいな返事を若葉はした。おにぎりを一つ平らげ、指先についたご飯粒をぺろりと舐める。ピンク色の舌がちろりとのぞいてちょっとエロい。

「若葉、そういえば見たの? その、ゆーびーとやら」

 若葉は指のご飯粒をなめとった状態で少し固まって、

「………………見たよ」

 それなりに考えてから答えた。

「なんで今めっちゃ間があったのよ」

「気のせい」

「いや絶対間があったって」

「気のせい気のせい、木の精」

「今めっちゃあほみたいな洒落がなかった?」

「KINOSEI」

「マイナーバンドの名前みたいね」

「いえそにK」

「逆転の発想ね。変な意味で」

「キノのせい」

「名作ラノベをおちょくるんじゃありません」

「紀伊国屋」

「行きつけよ」

「木野薫」

「アギトは俺一人で十分だ」

「きののにとん」

「ヒノでしょ」

「キノコ帝国」

「伊那にあるほうかバンドのほうか」

「……えと、きの……きの……」

「続かないならやめなさいよ。というか何そのきの縛り」

「いや、そういうノリなのかなぁって?」

「そもそもこんなへんてコント始める気なんかなかったわよ。ゆーびーよゆーびー。あのヘンテコバケモン。見たんでしょう、若葉」

 んー、と若葉はちょっと思い出すように窓辺を向いた。青空の元から吹いてくる7月の風が若葉の半端な長さの茶髪を凪いだ。

「……なんか出来損ないのハリネズミみたいだったな」

「今、やだ、あたしの友達、顔がいい……。とちょっとでも思った自分を呪ったわ」

「えぇ~、そっかぁ、やっぱりうち顔がいいんだぁ」

「そういうところよそういうところ」

 事実、若葉は顔がいい。普通に美人である。普通に可愛い。美人か可愛いかといったらどっちかというと可愛い。母方譲りの京美人という風の面影を微かに残しつつ、父方譲りのあどけない幼さが大きい。人によっては綺麗、人によっては可愛い。見る人や状況や環境で彼女を形容する言葉はかなり変わってくる。中学生にみられることや大学生にみられることもある。だが、どの場合も大概、美形と言われる程度には整った顔立ちをしている。

 ほむらが時折、どうにもうらやましいと思ってしまう容姿が若葉の持つそれだった。

「だ! 違う! ゆーびーの話よゆーびーの! ほんとなの? 出来損ないのハリネズミだったの⁉」

「うん。出前に行って間近で見たから……あ」

 言いかけて、やっちゃったという顔を若葉はした。

「え、嘘! 間近で見たの⁉ 大丈夫だった? ケガとかは?」

「あ、えと……ほ、ほら今ぴんぴんしてるから、ね!」

「そ、そうね、変な焦り方しちゃったわ。で、間近でみてどうだった? ん?」

「……なんで、ひなたちゃんはアレに興味津々なの?」

「だって珍しいじゃない? 最後にあのナマモノモドキが出たのってもう1年近く前の、しかも都心だったし! 謎の生物に、何よりもっ、それを倒しちゃった謎の蒼い光! なんかビームみたいなの出したって噂だし、さすがにこれは興味も湧くでしょ」

「でも不謹慎だよ。1年前だって都心では100人の人が、今回だって50人近く亡くなっているんだから」

「そりゃま、そうなんだけど……」

「はい、だからもうこの話はおしまい。ひなたちゃんも、早くお弁当食べ終わらないと。昼休み、終わっちゃうよ」

 いつの間にか、コンビニで買ってあった食事を平らげていた若葉がひなたに告げた。ひなたが教室の前方にある時計に視線を向けると、針は昼休み終了3分前を指していた。

「ごちそうさまでした」

 手を合わせて行儀よく若葉は言った。すでに机上に若葉の昼食はなく、あるのは8割ほど残ったひなたのお弁当だけだった。

「……は?」

 ひなた、受難の3分間だった。

 冷静に考えれば、別に放課後とかにでも残りを食べればいいと若葉は思ったけれど、必死の形相で早食いを敢行する友人が面白かったので黙っていた。



 授業が一通り終わった。帰宅部である若葉はそそくさと帰宅支度をして教室をあとにしようとする。そんな折にクラスメイトの一人から声をかけられた。

「あの、孤宮さん……」

「はい? なにか?」

 穏やかに若葉はクラスメイトに聞いた。なんとなく言われることは予想がついてた。

「頼みごとがあって……」



「これで、よしっと……」

 図書準備室の開かれた窓辺から橙色の日差しが差し込んでいた。

 夕日は埃っぽかった図書準備室の隅々に至るまで橙色に染めていた。

 それは準備室に一人ぽつねんと立っている若葉も例外ではなく、彼女は差し込む眩しさに手をかざし、目を細めた。風が頬を撫でた。撫でられた頬から汗がぽつりとしたる、したった汗は髪を束ねているためむき出しになった白い首筋に伝った。

 不意にがらりと戸が開いた。若葉がふりむくと委員会帰りのひなたがいた。眼鏡越しに見るその目は「まったく、お前ってやつは……」という言葉を口に出さずに語り切っていた。

「ここの資料整理を押し付けられたって聞いたけど?」

「押し付けられたっていうより、頼まれたからやったって感じかな?」

「あなたに頼んできたやつは今頃どこぞのさほど優良でもない物件とデート中でしょうけどね」

 そのだいぶ悪意ある台詞に、力なく若葉は笑った。そこには疲労の色合いも何割かあったようにひなたには見えた。

 その様子にひなたは嘆息した。

「若葉、あなたはNOと言えない日本人だった?」

「うーん、純日本人ではあるよ?」

「いやそうじゃなくてね……別に断ったって良かったでしょ? あなたがやる必要は別になかったんだし、あなたやあたしがやらなくてもほかに誰かがやったでしょ」

「誰かしらが押し付けられることが前提なんだ……」

 まあでも、と若葉は継いだ。

「別に断る理由はなかったし、いいかなって?」

「……はぁ」


「うわ、めっちゃでっかい溜息」

「つきたくもなるわよ、全く……、ま、いいわ、帰りましょう、若葉」

「うん」

若葉は軽くうなずいて、空いていた窓を閉めた。

「一緒に帰ろっ」



 日が暮れようとしていた。二人の家は同じ方角にあるのでいつも途中まで一緒に帰っている。

 若葉とほむら、二人分の影法師は黒く細長く伸びて、濃い紫色に空が変色していく。

 その紫に、昨日見た少女を、若葉は不意に連想した。

「……いや、全然違うか」

 蒼のネオン、そんな装甲を纏った紫苑の髪と瞳を持つ幻みたいなあの人。

 この逢魔が時の空は深い闇のような紫で、彼女は淡い花のような紫苑だった。

 どうしてか、彼女のことを思い出す。あれだけ、傷と汚れと血にまみれていて、なお、あの淡く薄い硝子のような美しさがどうにも不意に思い返されてならない。多分、若葉が生きてきた16年ちょっとの間に見た人の中では断トツに綺麗だったからだ。美人だとか、可愛いだとか、お人形みたいだとか、そんな形容すら本当はできないような、もっと根本的に異なる、いっそ神聖でさえあった。若葉自身も自分がまあそこそこには美形だと思っているけど、さすがにあのレベルを見てしまうと張り合う気すら起きないレベルだ。

「……若葉?」

「――え? 何?」

「いえ、なんだかぼーっとしていたみたいだったから……幽体離脱でもしてたの?」

「うちにそんなスピリチュアルな能力は……多分、ないと思うよ」

「なんで微妙に自信なさげなのよ」

「うーん、ははは……」

 なんと答えたものか、若葉は力なく笑った。昨日の出来事(やらかし)に関しては口外無用とのお達しを受けているので、いかに相手が何気に数少ない友人である――これは決して若葉のコミュニケーション能力に難があるわけではなくただ積極的に多くの友人を持たないだけで断じて友達が少なくあるべくして少ないわけでは以下略――ひなたでも言えない。こればっかりはしょうがないので

「あ、じゃあ知っての通り、うちこっちだか! また明日ね」

 二人の分かれ道に入った。釈然としない風のひなたに軽く手を振って、若葉は夜の黒に染まる中、帰路に就いた。

 薄暗く伸びる黒い影が嗤いながら若葉を飲み込もうとしている、そんな錯覚をひなたは一瞬見たような気がした。



 定食屋「小河」は孤宮家の自宅兼職場である。と言うとなんだか聞こえはいいが別にただの定食屋である。若葉はしがない定食屋の一人娘に過ぎない。

若葉は裏口に回ってから「ただいまー」と小さく言って、家の中に入った。

 定食屋「小河」の閉店時間は21時であり、今現在――つまりは若葉の帰宅した時刻は19時である。いつもより遅いが門限は守って――

「ようやくさっと帰ったか! 今、忙しいんやからはよ店に出え」

 はいはい、と若葉は帰宅一番の台詞にてきとうな返事を送ってから学校の制服を脱ぎ捨てて、店の制服――無地の服にエプロンなので別段制服感はないのではあるが――を着た。それから腕をアルコール消毒して厨房のほうに回り、店の現状を見る。思ったより、人が多い。昼食がメインであるこの定食屋では珍しいことだが、ないわけでもない。小さな店の中を縦横無尽に若葉の母――孝子が動き回って接客をしていた。これはなるほど、早く帰ってくるべきだったが早く帰ってこなくてよかったと思う若葉である。

「陳さん、おつかれ、煮つけをとりあえず、うちが片付けるから冷蔵庫に入ってる野菜と豚肉さばいていて」

「ハイヨー、オカエリナサイねワカバさん」

 陳というこの片言の人物は半年前から「小河」で働いている謎の台湾人のことである。要するに外国人アルバイトのことなのだが、この人物、どこからともなく孝子が連れてきた謎の台湾人である。それ以外の実情は都のはずれにボロ――歴史ある安アパートに戸籍を置いてあることだけである。さすがに彼が初めてやってきたときは若葉も面食らったものだ。

 まあ普通に役に立つし好人物なので1週間で慣れたのだけど。何かと人手の足りない、カツカツの「小河」の今では欠かせない戦力である。明らかに支払われている賃金が最低賃金のそれなのは良心が痛んだりするけれど。

 ともかく、若葉は注文票を一瞥しててきぱきと調理を行い、盛り付けをし、商品とする。鮮やかな手際だ。この店ができてからずっと切り盛りの手伝いをしてきた彼女にとってそれぐらいは造作もない。若い彼女は日々の中で柔軟に腕と速さを上げ続けてきたのだから、その腕前は十分、料理人として通用するレベルである。

 十分足らずで注文のあった二けたに上る品目を仕上げる。

 残りの、時間はかかるが手間はあまりかからない仕事を陳に回すと、若葉はそのまま接客にまわる。

 これもまた、長年培ってきた経験がある。あくまでここは定食屋であって居酒屋ではないのだか、まあ、それなりにいるセクハラ親父を優雅に躱し、なじみの客にはこっそり指先に指をあてるジェスチャーと共にサービスを提供して、ちゃっかりハートをいただき、ローラースケートでも履いてるのかといわんばかりにくるくるくるくる食器を回していく。

 そう、この若葉という少女、それなりに整った容姿に加え、まあまあの学力と普通に高い身体能力、人助けを苦にしないやさしさに加え、料理を中心とした家事能力も高く、男(おっさん)の扱いもうまいという結構な万能さんなのである。

 ということで時刻は21時半。見事な回転率で本日もしのぎぎった「小河」。

 そのテーブルの上で、ぐでぇっとだらしなく寝そべる若葉がいる。接客中はおくびにも出さなかった疲労の色が前面に出ていた。

「つ、疲れたぁ……」

 この定食屋が出来てから数年、始めたときから徐々に客足は増えてきた。そう、今日に至るまで増えてきたのである。お客さんが増えること、常連さんが増えること自体はいいことである。ここ最近ではお上のほうで大きな人事異動があったらしく、ここら辺一帯の飲食店を使用する公務員が増えてその分にも客足が増えた。だがしかし人手が足りない。ここ最近は特に忙しさがすさまじいことになっている。

 なら人を雇えばいいと、アルバイトでも増やせば簡単なのではないかと思うかもしれない、だがしかし。

「原価率……!」

 そう、ここは天下の東京なのである。いかに都市部から離れていようと東京は東京。そこで8年弱、母娘で定食屋をくいっぱぐれることなくここまでやってっこれたのは味がいいからと、店員が可愛い親子だったからというだけではない。圧倒的……、コスパ……ッ……コスパが……ッ……いい……ッ、つまり……利益率が、低い……ッ!

 結果、働いても働いてもさほど家計は潤わない。忙しさだけが増えていく現状であった。

「……はやく、何とかしなくちゃかな……」

 孝子は常にきりきりと働き手に手一杯だ。確かに考えなしでこんな価格設定にしたのは孝子だが、しかし、こうやって父亡き後日々働いてこうして16まで育ててしまった手前、そうそう責められないし、今こうやって食べていられるのも孝子のおかげだ。値上げは何というか、やるべきだけど勇気が出てこない。そこそこの利益率のある新メニューをちまちま追加しているので凌いでいる現状、本当にどうにかしたい。

「はぁ……」

「なんやぁ、若葉、若いくせして溜息なんかついて、老けるで」

「………いや」

 さすがに文句の一つや二つは許される気がしてきた。

「……死んだ魚みたいな目ぇすんのはやめーや。陳さんもう帰ったし、閉めるで」

「はいはい、わかってますよぉ」

 アンニュイに若葉が椅子から立ち上がった瞬間、入り口の扉が叩かれ、開かれた。

「あー、すいません。もう今日はおしまいなんですよ」

「お時間は取らせません、それと本日、我々は食事をしに来たのではなく――孤宮若葉さん、あなたにお話しがあってまいったのです」



 目の前に二人のスーツ姿がある。片方は身長180㎝ほど、黒のスーツにシックな赤色のネクタイ、黒縁の無難な眼鏡をかけており、鼻梁の通った目鼻立ちをしており、柔和な表情をしている男性であった。

 そしてもう片方は女性なのだが……。

「あの、そちらのお嬢さんは……?」

「ゴホン! ……ワタシは成人の身ですが?」

 実に不本意であると言外に告げてくる女性。タイトなスーツに高めのハイヒールまでは実に大人の女性という雰囲気なのだが、如何せん、幼い。ともかく顔立ちが幼い。幼い顔立ちをきりりと引き締め、きっ、と見つめてくる視線も頑張ってにらみつけてくるようにしか見えず、むしろ微笑ましくさえある。その150㎝ほどの低身長も彼女の幼さに拍車をかけてくる。隣に背丈の高い柔和な、紳士然とした男性がいるので比較してさらに幼さに拍車がかかっている。

 各々が名刺を差し出した。二人の名刺にはそれぞれに警視庁国連合同特殊編成未確認生体物質対策班と、見知らぬ名称が書いてあった。

「有働光彦と申します」

「西条光です」

 背の高い柔和な男性、小さい女性の順に自己紹介をした。

「ええと、その、お二方はどのようなご用件で?」

「はい? 事前にこちらに来ることはお知らせしていたはずですが?」

 きっ、と若葉を睨みつける西条光。

「あっ」

 若葉が視線にたじろいでいると間抜けな声を孝子が出した、お前か。

「……えと、失礼しました。それで、ご用件は?」

 若葉がおそるおそるといった感じに有働に尋ねた。そこはかとなくむっとした表情になる西条光は全力で目を逸らすあたりが若葉の処世術である。いやだってなんかめんどくさそうなんだもん、このちんまい人。

 有働は苦笑いといった表情を浮かべつつ、端的に用件を伝えた。

「用件は昨日の、UB(アンノウンビースト)――皆さんが魔獣とかつて漠然と呼んでいたものと、孤宮さんの今後のことについてです」

 すっと有働は目を細める。そしてあくまでもにこやかに。

「我々は貴女をスカウトに来たのです」



 UB――アンノウンビースト。数年前から世界各地で現れ始めた謎の生物のことである。いずれも異形としか言いようもない生物もどきたちであり、個体ごとにその形状は大きく異なる。ではなぜ同様にUBという名称で語られるのかというと共通点があるからである。

1つ、どこから来たのか不明瞭なこと。地球上のどの場所にもあのような生物が生息している場所などなかったし、存在しえないはずなのである。さらにはUBが出現しても、その足取りがどこからのものなのかさえ、不明瞭だ。何しろ、まじめに追ったら虚空から現れたとしか言いようのない結果になったのだから。

1つ、必ずと言っていいほどに人口密集地に向かうこと、そして都市部に着くなり必ずそこで暴れだす。その様はまるで文明そのものを破壊しようとしている様子でさえあった。

1つ、死体が残らないのだ。斃しても残るものが何もない。まるで空気のように消えてしまうのだ。なのでどのような構造なのかさえ分かっていないのだ。

故にアンノウン。獣のような何かなのでビースト。結局UB(アンノウンビースト)と称されるようになったのだ。


「以上がUBと呼ばれる未知の生体に関する我々から言えることです」

「えぇっと、それ、聞いてもいい奴なんです」

 若葉は有働に聞いた。明らかに一般人が聞いてはいけない領域の話であったのでどうにも不安になってしまう。

「構いません、これから我々がお願いすることに関して、まず貴女に「敵」に関する情報をお教えしないことはいささかにアンフェアだと判断した次第でございますので」

「敵……ですか?」

「敵、ですね」

 にこやかに有働は返答した。

「えと、話の文脈的に、その、……うちに戦えって言っているように聞こえるんですが……それはいったい?」

 冷汗がいささかにしたたるのを感じつつ、若葉はおそるおそる聞き返した。

「理解が早くて助かります」

「え、嘘。む、無理です! 無理ですよ、だってっ、そのっ、UBってあの昨日のみたいな化け物なんですよね! そんな、うちにあんなのと戦うって、む、無茶苦茶な……!」

「無理ではありません。現に、昨日出現した個体を殲滅せしめたのは貴女であったと、そのように報告を受けています」

「……で、でも」

「貴女の行いは、本来ならば重大な公務執行妨害なんですが、それに免じてチャラになっています」

「脅迫じゃないですか⁉」

「冗談ですよ。いえ、本当のことなんですが、この事実を盾に貴女に戦闘を強制する意思はこちらにはありません」

「ほ、本当に……?」

「本当です。ですが同時に貴女にUBとの戦闘をお願いしたいのもまた事実なのです」

 柔和ではあるが同時に真剣なまなざしで有働は若葉に言った。有働の隣に座っている西条もまた、うんうんと頷いていた。

「……あの、娘が、一体、何をしたんでしょうか、だって、若葉がバケモンと戦えるって、そんな……?」

 ここで声をあげたのは、一応、若葉の傍らにいた孝子であった。

 当たり前だが、彼女は昨日、若葉に何があったのかを知らない。

「私たちも知りたいですね、具体的に昨日の若葉さんに一体何が起きたのか。どうしても目撃証言と状況証拠だけだと不完全なので」

 有働もまた若葉を見据え、聞いてきた。西条もそうだそうだといっています。

 三人もの大人に真剣なまなざしで説明を要求される状況など、当然ながら若葉にとっては初めてのことだ。ごくりと生唾を飲み込む。そうして、少しずつ、曖昧な昨日の、その記憶の糸を手繰り寄せていく。



 ――運命(ギア)、装着(オン)


 左腕に装着した謎の装置、斜めにかけられた蒼の宝玉をガチリと装填する。

 装甲、とそう表現するほかない。流動的な機功が全身に纏わりつく。蒼のエネルギーがその流動に流れ込む――そしてそれは肉体にも。

 ――体が熱い、

 ――自分の中で何かが変質するような感覚、

 ――そして無視できない程度の違和感、拒絶反応、

 ――僅かにサイズの合わないその装甲に全身が軋むかのよう、

 ――視界が変わる、

 ――『自分』を自分が見ている、

 ――触手のようにコードが伸びる、

 ――其の色彩は蒼、

 ――合致あわない色だ、

 ――視点が『―――』fallenを照準に定める、

 ――殲滅、可、

 ――中心に白い宝形を認識する、

 ――見据える、左腕を伸ばす、

 ――蒼と白が共鳴する、相性がいいようだ、

 ――そしてアレは、

 それは一瞬のことだった。

 若葉が出来損ないのでかいハリネズミみたいなUB、その胴体の中心部を見据える。

 装置を――蒼の宝玉の装着された左腕を掲げる、

 見据える瞳は彼女本来の黒ではなく、蒼い。

 紫電が奔るようだ。

 地上にあったはずの若葉の姿はない。

 まさに刹那、瞬く間もない出来事である。

 UBの胴に小柄な人間大の洞が生まれる。

 地上から見て、その巨体の向こう側、その空中に若葉は翔(と)んでいた。

 その左手には白い、白い、宝玉がしかと握られていた。

 白の宝玉はカゲロウのように揺らめき、お湯に入れた飴のように少しずつ溶けて、若葉の体に融けていくようにも見えた。

 重力に従わない速度で若葉は落ちていく。

 地に足をつけた瞬間に装甲が外れる。安全装置でも作動したのだろう。

 左腕から装置が外れて地に落ちた。

 同時に左腕に掴んでいたはずの白い宝玉も落ちた。

 気を失って若葉が倒れた時には、UBは既に灰燼に帰していた。


「……で、すぐに目を覚ましてから、スクーターを拾って帰宅したんですけど……、その、なんだか、ふらふらしてたんで、スクーターは乗らずに押して歩いて……、帰るのに一時間くらいかかったはずなんですけど、あんまりよくわからなかったかな……」

 あいまいな記憶は曖昧なまま若葉は話した。不思議なことに気を失う前の記憶は結構鮮明に思い出せるのだが、気を失ってから目を覚ましてからの記憶がやたらと曖昧だった。

「若葉、あんたそれ、体は大丈夫なん?」

「え、うん。しばらくしたら何ともなくなったよ。お母さんだって、昨日の晩、うちが働いているところ見てたでしょう?」

「そ、そうだったけど……、けど……」

「大丈夫だと思います、装甲着アームド――その装置自体に人体への悪影響はありませんから。むしろ、強すぎる宝玉の力を制御するためのものですし」

 有働がアシストするように言ってきた。

「宝玉とは、北の地で――どこにあるかは流石に最重要機密事項なので言えませんが――発見された、強大なエネルギーを秘めた球体のことです。宝石のようだったからと安直に宝玉と命名されました。まだ未知なる部分の多いエネルギー体なのですが、これは人体を媒介としてのみ、その力を発現することができるのです。そして、宝玉から発言するその力は通常兵器が通用しづらいUBに対してとても強力に効きます。現在、人類が持ち得る最強の有効打といえるかもしれません」

 さらに有働が追加した説明に若葉は自分の背筋が伸びるのを感じた。自分が勢い余って使用したのは、そんなにすさまじいものであったなど露ほども思わなかったのだ。

「それで、どうして娘をスカウトに? 他のだれかではだめだったのですか?」

 孝子が訪ねた。当然の疑問だと有働は頷き、説明を補足する。

「それがそうもいかないのです。宝玉のエネルギーを引き出し、利用できる人間は限られていて、世界中で探してようやく二けたに達したといったところなのです。若葉さんは非常に貴重な逸材なのです」

 そこまで言ったところで有働は来た時に差し出されたお茶に口をつけ、口腔を潤す。そして一拍置いてから。

「若葉さん、あなたには確かに拒否権があります。ですがどうか、我々に協力してほしいのです。人類のためにも」



「彼女は、戦いに参加してくれるでしょうか?」

「来るでしょうね。事前に調べておいた彼女の人間性、コネクタ適正、そして何より現在の孤宮家の経済状況。諸々を考慮して、孤宮若葉は8割がた、この話を了承するとみていいでしょう」

 コネクタ――宝玉の力に適合し、装甲着アームドを装着して戦うもののことだ。孤門若葉に対し、コネクタとなった場合の給与を提示した時の表情の変化は一瞬ではあったが確かなものだった。

「あの母親もだいぶ、無責任なものね。娘の決断に対して好きなようにしなさいだなんて」

 だがそれを言ったら、年若い少女を未知の怪物との戦いに巻き込もうとしている自分たちのほうが、よほど悪魔的だと、そう思って西条は見えないように自嘲した。

 黒い4人用の車に乗り込む有働と西条。部下である有働が運転をして、上司である西条が助手席に座っている。

「それにしても、貴女も人が悪い。説明や説得を全て私に丸投げして、自分は頷いているだけだなんて」

「そのほうが適切だと判断したのです。……迂闊だあったわ、しばらく子ども扱いされてなかったから久々にされて、どうにも平静を乱してしまって……結果、警戒されてしまったようだったし、その点、有働、あなたならそんな心配はないでしょう?」

「そうですね。確かに、私に対する警戒は薄いように思いました。ですがそれは西条主任が……いえ、なんでも。これ以上は失礼に当たってしまいますね」

「もう十分に失礼ですよ、その発言」

「これは失敬。ですが事実は事実ですねので。主任にはわざわざこのようにご足労頂ありがたく思います」

「別にそのために出向いたんじゃありません。ワタシが責任ある立場だったから出向いただけのこと」

 そうですかと、有働は微笑ましいものを見るように相槌を打った。なんだか不満そうな西条だが、信頼を置く部下のことだ。大目に見ることにした。

「そういえば、カナリアは? 現状、どんな感じ? ケガの程度は? 昨日の敗北、傍から見ていた分としては、かなり冷や汗をかいたのだけれど」

「問題ありません。長期入院が必要になるような重傷はありませんでした。彼女自身が頑丈なのもありますが。装甲着の耐久性も目覚ましいものがあります。まあその分、バグが生じてしまい、彼女を負かしてしまったのですが」

「そう……さすがは或守」

「ですが、さすがに昨日の装甲着の損傷は著しく、修繕の完了までには一世代前のものを使うしかないとのことです」

 西条は報告に溜息を吐いた。また装甲着に膨大な予算が消えて、嫌味をいわっれる未来がありありと浮かんでしまうのだ。

(仕方ないでしょう、まさか街中でミサイルをぶっぱするわけにはいかないんだし……)

 そもそも、UBに通常火力は相性が悪い。効果が出ずらいのだ、UBは往々にしてミサイルや爆撃の類にすら耐えうる表皮を持っている。むろん、超火力の物量で押せば対象の殲滅自体は可能だが、その場合はUBによる破壊より兵器による被害のほうが大きいという本末転倒な事態が起きかねないのだ。

 結局、UBに対する最も効果的な攻撃は降って湧いてきたかのような高エネルギーをもつかの宝玉とかいう代物なのである。しかも使えるのが小回りの利く個人というのも被害を最小限にするための解として最適なのだ。

 だから、そこの予算をかけるのは正しいはずなのだが、如何せん。それはそれというものがある。

 ここまで頑張ってくれた、そしてこれからも頑張ってくれるだろうコネクタに一世代前の装甲着の使わせるのは心苦しいものがある。そのうえ、さらなる新規装甲着の製作に遅れがでるのもまた悩ましい問題だ。

「ままならないし、世知辛いですね」

「そうですね」

 西条の何度目かの溜息と愚痴に、有働もまた何度目かの相槌を零す。

 しばらく車に揺られながら。西条はあくびを一つかみ殺した。昨日からのところの疲労が出てきたみたいだった。

「……じゃあ、ワタシ、少し寝るから」

「了承しました。職場に着いたら起こしますね」

「ん」

 いうなり、糸が切れたかのように眠りにつく西条。

 夜の中に溶けるような黒い車体は眩い東京の中心部へ走っていく。



 その晩は、今一つよく眠れなかった。

 考える時間をくれるとは言われたが、実際に考え出すと、キリのない問題だ。

 人類のために戦ってくれだなんていわれても16歳の女子に実感が湧く訳がないし、荷が重すぎるように思えてならない。

 それに――目を閉じて思い返してみる、全身傷だらけになっていたあの紫苑の少女だ。UBとの戦闘、いくら特殊な力が使用できるからと言って。戦って敗北すれば、当然のように傷つく。若葉は普通に痛いのは嫌いである。命の危機に陥るような目に合うのはそれこそ、ごめんだ。

 先のなんかスカウトのひとたち曰く、コネクタの使用する装甲着(アームド)は安全性に十分の配慮してあり、命の危機に陥りそうな場合のバックアップも万全の用意があるとかなんとか言っていたけれど、100パーセントではないとも言っていた。当たり前だが命がけなのだ。

 速攻で断ればいい案件だと思う。命がけで人類のために戦うだとか、責任重大すぎる。だが、引き受けないこともまた重いのだ。だって、人々のために戦えるのに戦わない。なんてのは無責任であるようにも思われるのだ。

 その場で答えを出せなかった理由は、それだけではない。

 破格の報酬があった。戦う戦わないにかかわらず高額の月給――ギリギリ三桁にならない万円――を給付され、UBとの戦闘においては、撃破おきに追加で一か月分の給与の1.5倍の額が支給される。さらには莫大どころではない保険金が自分につくらしい。これだけの額があれば孫の代まで遊んで暮らせる。意味がだいぶ分からない。だが、これだけの金額が入れば、少なくともこの店にバイトを雇ったり、ついでに家計の足しにすることもできる。金、お金が、いる。

 ――でも、死にたくないなぁ。痛いのは嫌だなぁ。実際に戦うとどんな感じなのかなぁ……。

 なんて感じの思考がぐーるぐーるしている。

 

 ――いや、それだったら、どうしてあの時、あの粉塵の中に飛び込んだのだろうか……?

 どう考えても、生身のままでUBのそばに近づくほうがまっとうに戦うよりも危険だ。

 そして、なにより、なぜ、あの瞬間、自分は装甲着を使用して、あの巨大な化け物と戦おうしたのか。

 あの瞬間、自分が無意識だったかといえば、実はそんなことはないのだ。

 あの瞬間、あの装置を手にしたとき、これが戦える力だと認識した。理解したのではなく、認識したのだ。

 ただ、それでも、戦うことを選んだのは自分だった。逃げることは可能だったのに……では、それはいったいどうして……。

 あの時、自分はいったいなにを思ったのだろうか。

 いくら考えても、答えは出なかった。



 翌日、若葉はいつもより早く起きた。

 やっぱり寝付けなかったのだ。起きた瞬間でも、まだ悩んでいた。いつもより早く起きて、早く朝の仕込みを行う。半分以上、意識がない中でいつの間にか仕込みが終わっていたときは染みついてるなとさすがに思う。

 孝子が起きてきて、若葉は既に仕事を終えている様に驚いた様子を見せた。昨日、叱ったことが思ったより効果があってびっくりした。というところだろうと若葉は孝子を一瞥して考える。実際のところはかなり違うが、面倒なので訂正するのはやめた。

 若葉は早々に安っぽいパジャマにエプロンだけという恰好から制服に着替えて、いってきますと言って玄関から出て行った。

 いつもより一時間以上早い若葉の行動に、孝子は何か言いたげだったが、結局、特に何も言わないで「いってらっしゃい」とだけ告げて見送った。



 若葉は今日、日直でも、教師から呼び出し補講を食らったわけでもない。

 彼女が向かった先は学校の方角ではなく、その逆、昨日――もう朝になったから一昨日ではあるが――UBが現れたところである。

 どうしてか、ここにもう一度くれば何かがわかるような気がした。

 自分はいったい、何に迷っているのだろうかが、どうすれば正解なのかが。

「…………」

 瓦礫の山だった。

 かつてはそれなりに人口の密集した住宅地だったはずの場所が見るも無残な瓦礫広場と化していた。

 立ち入り禁止のビニールテープの手前にはぬいぐるみや、花束、楽し気な誰かが写った写真などが置かれていた。

「……ひどい」

 自分は運よく生き残っただけだと、いやというほど突き付けてくる。どうしてあんな浅慮な真似ができたのか。巨大な生物が暴れまわる、それだけで甚大な被害が出るのは。当たり前だ。

53人。それだけの人間が死んだのだという現実を見つめる。

誰かの泣き声が、今も聞こえてきそうで胸が痛む。

――きっと私は、こういう理由が欲しかったのだ……

瓦礫の町、その周辺を歩く。どこを見ても、瓦礫が連なるだけだ。


目をそらせずに、ただ歩いていると不意に体に柔らかな衝撃を受けた――誰かとぶつかったのだ。

「あ、す、すんません」

 とっさに謝って、ぶつかった相手を見て、意識が停止した。

「あ」

「……」

 あの町が瓦礫と化す中で戦っていた蒼い閃光――美しい紫苑の髪と瞳を持つ少女がそこにいた。



「まずは先日のお礼が言いたかった。ありがとう、あなたのおかげで、私は終わらずに此処にいられる」

 彼女の紫苑の瞳が、若葉の黒曜の瞳と線を結ぶ。

 その瞳は不思議な魔力を宿しているかのように見るものを縛り付けてはなさない。目を離せなくなる。

「……い、いえ、こちらこそ……どういたしました……」

 なんとか日本語を絞り出そうとしたら変な声が出た。

 紫苑の彼女はふ、と穏やかに微笑む。そのあまりにも穏やかな笑みは若葉の全身を縛り付けるかのよう。

 不意に、少女が視線を外す。結ばれていた視線の糸が途切れて、どっと脱力すると同時に、なぜだか物凄く名残惜しいものを感じてしまった。

 彼女の長い紫苑の髪が風にはらりと揺れる。そのなめらかな美しさを見上げる若葉。背、高いなぁ、とか思う。さすがにここまでの美人だと嫉妬の念とか浮かばない。むしろ、本当に同じ人間なのか。

 彼女は、感情の読めない表情で瓦礫の平野を見据えていた。

 あの時、アンノウンビーストと戦っていた彼女にはこの光景になにか思うところがあるのかもしれない。

 ただ、不謹慎ではあるけれど、崩壊した町と美しい彼女の姿は、なんだかひどくマッチしていて、いい絵だとさえ思ってしまうほど。

 その姿に見惚れていると

「千樹」

 不意に彼女がつぶやいた。

「千樹カナリア。私の名前」

「は、はい。うちは孤宮若葉です」

「そう。よろしく、若葉」

「――っ⁉」

 びっくりした。めっちゃびっくりした。カナリアさんからの名前呼びは破壊力がすごかった。

「若葉」

「は、はいなんでせう」

「すこし、話せる?」

 ほぼ反射的に、はいと若葉は答えていた。



 噴水のある公園だった。若葉も時折、ここに来て、買ったたい焼きなんかを食べていることがある。

 同じベンチに程よい距離を開けて、若葉とカナリアが並んで座っている。

 ぼうっと、二人して朝も早くからあふれ出る噴水を見ていた。

 最初に切り出したのはカナリアだった。

「光から、話を聞いた。若葉がコネクト候補者としてスカウトされていること」

「し、知ってたんですか⁉ うちのこと!」

「そういえば、話していなかった。ごめん」

「い、いえ、別に謝るようなことではないんですけど……、その、うちに何か言いたいことでも……?」

 恐る恐るカナリアに、若葉は尋ねた。戦える才能があるのにそれに迷っている自分になにか叱責が来るのかと思ったからだ。

「? 別に私から言うようなことは何もない。ただ、光から若葉のことを聞いていたといっただけ」

 嫌味の類は一切ない口調でカナリアは答えた。ただ純粋にそれだけだったという様子だ。

「その、怒らないんですか? うちは戦うことが出来るのに……その、そのことに迷っています……あんなにいい条件で……」

 びくびくとした若葉の問いかけに、カナリアは不思議そうに小首をかしげた。

「若葉にとって、戦わないことに価値があるなら戦う必要はない」

「……価値、です?」

「うん。……意味、かもしれない。私は、あまり言葉を駆使するのがうまくないから、うまく言えないけれど……、自分が戦う意味があるなら、戦ってもいいと思う。それ以外のことに自分の意味があるなら、戦わなくてもいいと思う」

「……」

「……ごめん。私も、うまく言えない。その、つまり……」

「千樹さんは」

 頑張って言葉をひねり出そうとするカナリアの声を遮って若葉は聞いた。ただ、それだけが聞きたいと思ったから。

「どうして戦うんですか、命がけで」

 凛と、カナリアを見つめた。カナリアは一瞬、虚をつかれたような貌をしたあと、はっきりと答えた。

「私には、それしかなかったから」

 その言葉がどういう意味か、若葉にはわからない。

 ただ、それ以上の言葉も、それ以外の言葉も彼女にはないのだと、若葉には思えた。

「……うち、もう少し、考えてみます。戦う意味とか価値とか、きっと色々」

「うん」

「はい……って、あー! もうこんな時間! 遅刻する!」

「学校?」

「はい! え、千樹さんは」

「カナリアでかまわない」

「カナリアさんは、学校とか大丈夫なんですか⁉」

「大丈夫、通ってないから」

「まじかよ」

 じゃあもう学生ではないのだろうか。見るだに十代だとばかり思っていたので素でリアクションしてしまった。

「って、ほんとにやばい! では、カナリアさん! またいずれ!」

「うん、また会えると嬉しい」

 若葉はカナリアに手を振って別れを告げたあと、たっと駆け出した。

 背後で、携帯の着信音が聞こえたが気づかなかった。



 カナリアのポケットに入れていた携帯電話が鳴っていた。西条光から渡されていたものである。

「もしもし」

 定型通りの言葉を口にするカナリア。直後に電話越しから光の声が聞こえた。用件が伝わる。

「それは、本当?」

『嘘をいってどうするの。まだ、可能性の段階だけど、一応、警戒しといて頂戴……昨日の今日で悪いわね』

「構わない、それが私の――」

『はいはい。じゃあ、そういうことだから、よろしくね』

 電話が切れた。なんとなく釈然としなさを感じつつも、不意に一つの可能性を思いつき、カナリアは振り返る。

「――若葉!」

 当然、孤門若葉の姿は既にそこにはない。

「―――っ……」

 一抹の不安要素を残しつつも、カナリアは左腕つけていた一世代前の装甲着アームド展開装置デバイスにそっと手を触れた。

 空にある雲は分厚く、灰色に濁っていた。



 見事に遅刻して怒られた。なんだか最近うまくいかないことが多いのでさすがにちょっとしんどみ。

 しかも昨日の寝不足がここに来て効いたのか、半分しか受けていない一限の残り全部は寝ていたといっても過言ではない状況。もはや一限目の数学担当の田中先生の心証は最悪で、評価はろくでもないことになるのが目に見えている。

「………、数字は得意なんだけどな……」

「まあ、田中は成績じゃなくてお気に入り度で内申決めるからね」

 一限目と二限目の間の十分間の間に若葉の席にひなたがやってきた。

 軽口で、若葉の独り言に返される。けらけらといった笑い顔のひなただったが、不意にその笑みが小さくなった。

「若葉、なんかあったの?」

できるだけ、重くならないようにひなたは若葉に聞いた。ちょっとおどけた感じで。答えを少しだけ待った。

「……ちょっとだけね、でもそんなに大したことじゃないよ」

「大した事、じゃない、のね?」

「うん。少し、迷うことがあっただけ……でも、なんだか近いうちに、わかる気がする」

「……そう」

 それだけ。これ以上はひなたには追及することが出来なかった。

「あ! ところでね若葉――」

 話題を変えて、二の句を継ごうとするが、そんなひなたの言葉はノイズ交じりの校内放送が遮った。少しだけ、ピンと張った糸が緩んだような貌を零してから、ひなたは言葉を止めた。

 だがそうでなくとも誰もが一瞬だけ言葉を飲み込んだとこは確かだ。

 校内放送の内容はこの通りだった。

『政府から、この区周辺に避難勧告が出ている』

 U《アンノウン》B《ビースト》だと。若葉はこの学校にいる誰よりもすぐにそう予感した。

 

 全校生徒が騒がしく雑談をしながら校庭に降りていく。2限より先の授業がなくなったので、皆、心なしかテンションが高めだ。

 隣で歩くひなたもつい一瞬前までそうだったが、若葉の顔色を見て、いい感じのテンション上昇速度がゆっくりになった。

「若葉、あなた、このところ、随分な顔をしていたけど、今はだいぶそうよ。風邪でもひいているんじゃないかしら?」

「そう……かな?」

 本人は隠しているつもりだったし、実際にほとんどの人間は気付いていないけれど、高校入学当初から彼女の友人で会ったひなたは薄々、気づいていた。

「……言えない、プライベートな諸事情であなたが悩んでいるらしいのはわかったわ。あたしは空気の読める女だから、その部分には触れないつもりだけど、それがこうじてか関係ないかは別として気分が優れないというのなら、あの頼りにならない教師陣に告げ口をするのもやぶさかじゃないわ」

「いいことを言っているのかと思ったけど、どことなくそうでもない感じがひなたちゃんらしいとこだと思うけど……やっぱり言い回しに悪意があると思うのです」

「まあ本音はこのくらいにして」

「冗談じゃなかったんだ……うん、でも大丈夫、うん。ここ最近、難しい問題があって、今のこの状況とダブるところがあっただけ……それで嫌な感じがしたのかも」

「そう……、ま、避難勧告だなんて大仰な話が出ているんだから、案外、やな感じっていう感想は正しいわよ。それはそれとしてかったるい授業がつぶれてくれるんだから避難勧告様様だけど」

「ひなたちゃんの素直なとこ、うち、結構好きだよ」

「そう? あたしも自分のこういうところアルティメット大好きよ」

「……さすがに、うちはそこまで好きになれないよそういうところ。……でも、ありがとうね、ひなたちゃん」

「ふん、まあ精々ありがたがるといいわ」

「もう少し素直にどういたしましてって言われたほうが嬉しかったかな……?」

 表情を緩ませながら若葉は返した。その様子に、まあまあ満足したのかひなたは他愛もない話を若葉に振って、若葉が返した。

 何も心配事などない。若葉の悩みは若葉のものだし、若葉のことだからさっさと自分で答えを出してしまうだろう。自分はこれでいいやと、ひなたはそう思うことにした。


 準備がいいことに学校そばにはバスが数台待機していた。都と国が費用を出したのかそうでないのかは定かではないが異例の事態ではある。思ったよりもことは深刻なのかもと、気楽にひなたは考えた。

 バスに乗り込む行列はひなたと若葉の順番が回ってくる。

 まもなく、バスに乗り込もうとしたところで若葉がふと立ち止まった。

「若葉?」

 前を歩いていたひなたが振り返った。怪訝な顔をのぞかせる。

 若葉は空を見ていた。分厚い、灰色の空を。

「どうかしたの?」

「……、いやな、感じがする……っ」

 若葉が目を見開いて、虚空を見つめた。

 直後に異形の翼が舞い降りた。



 泥に濁った吐しゃ物みたいな色をしていた。見るだけで気分を害する。その体表はその色のまま石のように固そうだった。大きく広がる風に壊されたこうもり傘のような翼が横に50メートルは伸びている。だが、それに対し、胴体は異様に小さい。羽がついているだけで胴体の7割は使用されている。だが、その分異様に頭が大きい。翼ほどではないが胴体の残りの3割はその頭をつなげるのに使われていた。異様なのは、その咢が異様にごつくて、なんだったらそれ以外の部分は人間のものと同じぐらいの大きさしかない。咢が開かれる、歯並びの悪い牙がおぞましげに、剥き出しになった。

 あんな生物は、いない。UBだ。

 未知の獣。誰かが言った。それはアレを見たことがない人間がつけた名称だろう。あれは獣ですらない。もっとおぞましいモノだ。

 誰かが言った。

「―――バケモンだッ‼」

 異形の翼のソレは上空から急降下する。



「早すぎる」

 カナリアは大型バイクを法定速度をぶっちぎる速度で飛ばした。

 耳元につけたイヤホンから焦る声が聞こえてくる――西条光の声だ。

『想定より対象の動きが早い。急ぎなさい、カナリア。装甲着装着装置は持っているわね。目標到達地点は――』

 西条の言葉に相槌を打って、カナリアはUBの真下へ向かう。

『いい、これから作戦を伝える。住宅への被害を最小限に抑えるため、対象をできるだけ開いた土地へ誘導する。カナリアが持っているデバイスは一世代前のものだけど、飛行能力は使用可能だったわね』

 頷くカナリア。3世代前ならともかく、この世代のものなら飛翔は可能だった。ただ、滞空時間と速度には限界があるうえに古いものなので不安も大きい、それはアドリブで補うほかない。

『対象の着地予想区域に学校があるのそこの校庭にやつを引きずり降ろして。墜ちた対象を特殊実戦用捕縛車両で捕獲する。そして殲滅。わかったわね。じゃあ――』

 バイクが風を切る。走行しながらカナリアはヘルメットを脱ぎ捨てた。加速する、加速する。顔を切りつける暴風も気にならない。

 超高速のなかで。カナリアは蒼い光に包まれた。


 一方そのころ、UB対策本部では。

「或守、例のものはできている?」

 西条がぶかぶかのスーツを着た小柄で中世的な人物に――対UB武装開発総指揮、或守幸さちに余裕のない口調で聞いた。対する或守はにやついたいつもの顔を崩さない。飽和量ギリギリまで砂糖を入れた水飴のような声でもって答える。

「出来てるよぉ、まだ試作段階だけどUBに対して十分な戦力になるものだぁ」

「では、いつでも出せる準備を」

 西条が指示し、はぁいと或守は気のない返事をした。西条の表情はこわばったまま、いくばくかの焦りさえ見えていた。



 上空から急降下してくるUBにその場は騒然となる。当然だ、巨大な異形が真下、つまりは自分たちの近くに降りてこようとしている。

 UBは歪に巨大なその咢を真下に向けて落ちるように降下してくる。そのあおりが強風という形で街中に目に見える被害をもたらしていた。

 若葉やひなたがバスに乗り込もうとした高校正門の前も例外ではない。爆風に数人の小柄な生徒が飛んだ。とんだ体躯は空中できりもみし、コンクリートでできた建物に叩きつけられ、ひしゃげた。

 その光景に、若葉は息を飲んだ。だが、意識はひしゃげた生徒たちから。自分の腕をひしと掴んでくる感触に移行した。

 ひなただ。ひなたが震えながら、若葉に必死でしがみついている。だから、若葉はその手をそっと握った。

「だ、大丈夫だよ、ひなたちゃん……何とかなるから」

「か、勘違いしないで頂戴! あたしは何も怖がってなんかないんだからね!」

「今はそんな変な強がりをしなくてもいい局面だと思うな!」

 こんなボケがかませるなら少なくとも精神的な面では大丈夫だろうと若葉はこっそりほっとする。

 上空には異形の翼、それが落下してくる。落下の衝撃波を予見して、とっさに若葉はひなたをかばうように抱きしめる。

 だが予想より早く、予想とは違う衝撃波を感じた。

 若葉は衝撃の着た地点――上空を見た。

 蒼い光が異形の翼を貫いた。

 ぐらりとその巨体が揺らぐ。

 その隙を見逃さず、蒼の光は旋回し、咢の下から突き上げる。

 いくつもの糸が蒼の光から発生して、その咢を固定した。

 口を開けず、閉じることを強制されるUB.

 ぐん、音がしたかのような錯覚にとらわれる。

 光の糸で固定された糸が巨体を振り回した。

 頭から、UBは若葉たちのいた学校の方角に吹き飛ばされる。

「――て、ええ⁉」

 若葉がとっさにひなたを強く抱きしめて目を瞑る。強い風だ、

 が、若葉たち生徒の上空を巨体は通り抜け、先ほどまで生徒たちがいた校庭の上空へ、

 その一瞬の間に、蒼の光――カナリアは巨体の上に

 UBをそのまま叩き落す。

 土煙が立った、化け物の絶叫が鼓膜を震わせた。

 煙が晴れた時、若葉らの周囲には彼女たちを乗せるようのバスだけではなく、見慣れない、ごつくて重そうな特殊車両の数々が鎮座していた。

 消防車のようなシルエットだが、その背にはコンテナのようなものが乗っかり、そのてっぺんにかぎ爪のようなものがくっついている。

 それらの車体は校門をぶち破り、UBの墜ちた校庭へ。

 上空から叩きつけられてなお、UBはその形を保っていた。

 上空へ、再び飛び立とうとするが、それは叶わせない。

 金属音、金属音だ。

 ガッ! 見慣れぬ車体――特殊実戦用捕縛車両はそのコンテナに収まっていたであろう直径2メートルの鉄の網。それが放たれる、

 縄先にくっついたフック。それが巨体に引っかる。UBが体をよじれば捩るほどにソレは絡まり続ける。

『ギ、エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェエェェェェェェェッェェ‼』

 異形の咆哮が響き渡る。


「――ッ、皆、早くバスに乗って避難して!」

 教師のだれだったかの声が響いて、はじかれたように一同がバスに乗り込む、ほぼパニック状態で順番も何もあったものじゃない。

 続々とバスに学生が押し込まれ、続々と発車していく。

「ほ、ほら、ひなたちゃんも! 早く乗ろ!」

「こ、腰が抜けた……」

「うちが負ぶうから!」

 若葉が腰抜けのひなたを負ぶおうとした。

 だがその時。

 ギシリ、

 鋼鉄の縄。直径2m。おおよそ引きちぎれるはずのないソレが軋みをあげる。

 軋みをあげたら、あとはすぐだった。

 すさまじき炸裂音が響いた。

 はじかれた鉄縄は虚空を切り裂き、大地をえぐり、校舎を引き裂き、特殊車両を爆破した。

「――ッ」

 間一髪で、自身に迫るその破壊をカナリアは免れる。

 ギリギリで避け、地面に転がったカナリアの視界の端に若葉とひなた――

 ――鉄網で砕かれた校舎の瓦礫が二人に迫っていた。


 自分のなかで何かが弾けるように燃えるのをカナリアは感じた。

 紫電、それの如く、駆けた。



 真上から降り注ぐ瓦礫にさすがに死を覚悟した若葉だったが、想像した圧迫は来なく、彼女らに降り注いだのは瓦礫を砕く蒼い光だった。

「―――カナリアさん!」

「若葉? どうしてこんなところに。早く逃げないと危ない」

 きょとんとしたカナリアが言う。この状況において声を荒げたり、取り乱したりしないのは若葉的にありがたかった。

「そ、そうは言いましても……」

 腕の中で気を失っているひなたに目配せする。

「ともだち?」

「…ぇ、と」

 少しだけ口ごもってから若葉が答えようとしたとき。

『――カナリア! そこに孤宮さんがいるの⁉』

 カナリアを頭部周辺を囲っている装甲着の一部から西条光の声が響いた。通信機の類が付属しているらしい。

『ちょうど良かったわ‼ 今から――』

 戦場に余裕はない。UBが超速で駆動する。その巨大な翼がカナリアを捉えた。

「ぁ」

 が、その時のカナリアの言葉にならない発言だった。

 吹き飛ばされる蒼を纏った紫苑の少女。

 旧世代の装甲着は部品を砕かれ、取りこぼしながら、転がっていく。

 目の前でカナリア吹き飛ばされて、若葉は息を飲んだ。

 つい今朝まで若葉らがいた高校は既に戦場と化し、建物としての形状を保つ部分よりも瓦礫と化した部分の割合のほうが大きくなって、さっきまで人間だったであろう肉と血も少なからず転がっている。

 UBは上空の理を取り戻ろうと、鋼鉄に傷つけられた巨大な翼を振り回している。

 腕の中には気を失ったほむら。

 向こうには地に付したまま動かない、生死不明のカナリア。しかもその装甲は半ば破損している。

 状況はあまりにも絶望的だった。

 ぎゅっと、ほむらを抱きしめる若葉。せめてこの人だけは守りたかったから強く抱きしめた。

 助け、誰かが助けに来てくれないだろうかと淡い期待を抱く。

 より状況はおぞましさを増し、UBはこのわずかな時間の間にカナリアにつけられた傷をほとんど直していた。

 そうして、この場にいたカナリアや、特殊車両の操縦者たちの健闘も虚しく、UBは再び上空へと飛び立とうとしている。

 あれが東京の町を飛び回ろうものなら、一体どれだけの人々や家屋が失われることになるだろう。

 もしかしたら『小河』も……、その場合どうやって食べていけばいいのか……。

「――、考えても仕方ないっ!」

 若葉はひなたを背負って、せめてこの場から離れようとする。

 その時だった。明らかに制限速度なんて知ったことじゃないといわんばかりの速度で巨大なワゴン車が崩壊した学校の傍に近づいてくる。

 ワゴン車は若葉を認めると、急ブレーキで停車した。

「孤宮さん!」

 中から男性の人影――あれは確か昨晩『小河』内でスカウトの際、よく喋っていたほう――有働が出てきた。傍らには若葉は初対面の、中世的で小柄な、いかにも研究者といった風体の人物がいる。

「孤宮さん。無事でいてくれましたか!」

「あ、あの! うちのことより、カナリアさんが!」

「分かっています。彼女の生命反応は消えていませんから、すぐに我々で回収します。若葉さんが今背負っているご学友もこちらで責任をもって保護させていただきます」

「じゃあ!」

「孤宮さん」

 ぴしゃりと、有働は若葉の言葉を遮った。今は何よりも大切な要件があるからだ。

「今、ここで決断していただきたい。……いえ、どうか選んでください。戦うことを」

 有働の傍らにいた中性的な人物――この人物が装甲着装着装置開発者の或守幸であることは若葉がのちに知ることだ――が若葉に、デバイスを渡してくる。

 いつか見た白い宝玉が埋め込まれたその装置は――。

「使い方は、わかりますね」

 若葉は頷いて、その装置を手に取り、左腕に装着する。

 若葉のための特注品である装置はおよそ驚くほどにその細腕にはまった。

「覚悟は、」

「全然、できてないかもです」

 手が震えているのがわかる。使い方がわかって、戦えることがわかっても、いざ戦うことを意識すると、恐ろしいものがある。

 それでも――


「今、この瞬間に、後悔したくないから」


 そうだあの時、最初にUBを見たとき、どうして自分が踏み出せたのか、無謀なことが出来たのかがようやくわかった。

 きっと、答えは決めていたのだ。

 装甲着装着装置(アームドデバイス)に手をかける。

 飛翔したUBを見据える。

 かちり、捻るだけで十分だ。

 変身する―――‼


「―――――――ギア、オン‼」

 一瞬の出来事だった。

 若葉の体に付着していた宝玉と同じ、白の装甲が纏う。

 かちり、装着される。

 戦い方は、理解わかる。

 大地を蹴った。飛翔するUBに迫る。

 UBは既に大空へ。

飛んでいる、地に足のついていない、不安定な浮遊感に総毛だつ体を押さえつけるように抱きしめた。

咆哮が空気を震わせて、若葉ははっと視線を上空へ。

UBが若葉に向かってくる、敵だと、そう認識したのだろう。

唇をきつく噛んで若葉は正面から『敵』を見据える。

対話は不可能、共存はもってのほか、アレを見れば誰でもソレが理解できる。

戦う――戦え――!

「え、とッ確か……ビームッ!」

 若葉の装着していた装甲の隙間、白のエネルギーが通っている管から、光線が漏れて、それがUBの体表を掠めた。UBは奇声を上げ、詰めてきた距離を離した。

「ほ、ほんとに出た! び、ビーム!」

 またどこからともなく出たビームが、今度は半壊した校舎を貫いた。

『こらー! 何やってるの!』

 耳元で西条の声が響いた。通信機器がついているのは本当だったよう。

「ご、ごめんなさい! あ、あの! どうやってこのビームって制御するんですか⁉」

『不明よ』

「ふ、不明⁉ 不明って、わからないって意味ですか!」

『そういう意味よ! そのビーム、カナリアが独自に使いこなすようになったよくわからないけど便利な代物なの』

「なんでそんなよくわかってないもの扱ってるんですかぁ!」

『背に腹は代えられないっていうか、カナリアがせっかく使いこなしていたんだし、いいかなって』

「雑! 公務員のくせに雑!」

『なにを言うの、そういうのをなあなあにしてこその公務員よ』

「超問題発言じゃないですか!」

 悲鳴に近いツッコミをこなす若葉。だが、残念ながら状況は待ってくれない。

 自身に傷をつけた未確認の相手に対し、距離をとっている。戦況を立て直す気でいる様子でさえある。

「――っ、意外と頭がある!」

 若葉はUBを追う、UBは追われ、より上空へ。

『ちょ、孤宮さん! な、に――z――がz――』

 通信にノイズが混じる、当然だ。

 UBも若葉も両者、重力に逆らっているのもかかわらず、その加速度はすさまじいものがあった。電波が追いつけない。

 より、早く、速く、疾く、いまここで仕留める――。

 策があるかといえば――ある。それは策と呼ぶには稚拙かもしれないが。

 だが、ここでやつを逃がせない。また、多くのものを破壊されるかもしれない。

 自分は戦うことを選んだ。不安はある、だが迷いはない。

 若葉は敵を追い、空へ。

 分厚い灰色の雲を超える。灼(や)けるような蒼穹。

 すでに速度は音速を超えた。今は、ヤツより速い――。

 ライフルの弾丸のように、ただまっすぐに、激突する!

「ビーム!」

 幾重にも織りあうように、白い光の光線が放たれた。

 青い空を、白い糸が染める。



「つまりぃ、君はあれだねぇ。カナリアが先のハリネズミみたいなUBに負けていながら、その翌々日にはぴんぴんしていたという事実から、装甲着の強度にかなりの信頼を置いていてくれたみたいだ。いやぁね、開発者としては願ったりかなったりなことではあるんだしぃ、ありがたいことだけどねぇ。だがね君、エネルギービームの制御がままならないなら、それこそ弾丸の如く突っ込んでゼロ距離で放てばいいなんて、まともな発想ではないよぉ、私はすきだがねぇ。でももし、あの装甲が君の想定より、脆い代物だったら今頃、君はお空の上で木っ端微塵だよ?」

 病院だ。知らない白い天井が、目覚めた若葉の最初に見た光景だった。

 すぐそばで何ともねっとりとした言い回しで何か言っているのは装甲着装着装置アームドデバイス開発者とかいうう或守何某氏だ。彼なのか彼女なのか今一つ判別がつきにくい。

「……でも結局、うちがこうして大した怪我もなく生きていられるのは、ひとえに、えと……或守さんの開発のおかげなんですから、それでいいじゃありませんか?」

「ふむ、そうですね! ええ、私も今回のことで自身の評価を一段階……否、二段階ほど格上げしなくてはいけないと思い知らされましたよぉ、はい!」

「調子のいいことばかり言わないように」

 凛とした幼げな声が病院は若葉の入院室の扉から響いた。

 みると西条光だ。彼女はタイトなズボンのスーツを着ている。高いハイヒールでもごまかしきれない幼い体躯なので、大人の女性然とした恰好をしているとなんともい言えなさがこみ上げてくる。

 端的にあまりにあってはいないのだが、彼女の地位や立場を考えるとそれ以外にない選択肢ではある。

「……孤宮さん、あなた今、失礼なこと考えていなかった?」

「いえ、全然、そんなこと考えてませんよ?」

「うんうん、西条ちゃん、相変わらず似合わない格好してるよねぇ」

「……あ、或守さん……」

 或守の実に心無い正直な感想にたじろぐ若葉だったが、西条自身はめんどくさそうに頭をかいて気にしてないわと若葉に言った。

「自分でもわかっているつもりです。ですが立場上、きゃるきゃるに可愛い恰好なんてできませんから。だから孤宮さんもいちいち詮索しないように。それと或守はあとで私の仕事場に来るように。お説教です」

「うへぇ」

 間の抜けた声を出して、或守は大げさにのけぞった。

「阿呆なことしてないで、席を外して頂戴。孤宮さんと話があるんだから」

「はぁい、じゃあねぇ若葉ちゃんゥ。あぁ、装甲着(アームド)を壊したことは気にしなくていいよぉ。武器なんてのはね、壊して直してを繰り返してよりハイスペックにしていくもんなんだからぁ」

 にははぁ、と、ふざけた口調で或守は病室を後にした。

 途端に病室は静かになり、改めて、若葉と西条の二人きりになった。

 時刻は夜、月明かりに照らされた簡素な椅子に西条は腰かけた。

「具合はどう?」

「はい、体は全然問題ないです。なんで入院している状況が落ち着かなくて」

「ただの検査入院よ。すぐに退院できるわ。それより……ワタシ、あまりこうやって駄弁っているのは得意ではないの。早速だけど本題に入らせて」

「それ、あんまり上手いやり方じゃないですよ」

 若葉は苦笑とともに付け加えた。西条はバツの悪そうな顔をした。

「器用ではないのよ、ワタシ」

 まっすぐな目だ。まっすぐに澄んで、若葉を見ている。

 若葉はつい視線をずらして、窓のそとを見る。月にはヴェールのように薄い雲がかかっている。

 さながら月そのものが虚像のように。

「孤宮さん。たたかっ――」

「いいですよ」

「――てく……いいの?」

 最後まで聞かずに答えた若葉に西条は思わず怪訝そうな顔をした。声音にもそれはにじみ出ている。

「いいんです。というより、断る理由って考えるとないかなって」

「そ、そうかしら?」

「はい。家計は助かるし。うちは見識を広められるし、誰かがやらなきゃいけないことだし、実際、あれだけの無茶をしていて怪我がないあたり安全性も結構ありそうですし、それに……」

 それに、の後は続かなかった。若葉は言葉を詰まらせ西条を見据える。だが、その瞳は西条を見ているようで、どこか遠くの別のものを見ているようですらあった。

 穏やかな貌の若葉を見て西条は唾を飲み込んだ。それから、持ってきた書類を若葉に見せる。

「これ、雇用条件と契約書etc。準備が出来たら書いて、ワタシに。名刺を渡しておくから。あとは、ゆっくり休んで頂戴」

 一通りの束になった書類を若葉に渡して、早々に病室を後にしようとして、若葉の言葉に引き留められた。

「あの、最後に一ついいですか?」

「何かしら?」

「ひなたちゃん……うちが背負っていたあの女の子は?」

 ああ、そのことか。と西条はどこかほっとした様子で答えた。

「彼女なら無事よ。貴女に会いたがっていたわ」

「そうですか……よかった……」

 心底からほっとした様子で若葉は独りごちた。その様子に西条は頬が緩むような感覚を覚えた。不意に若葉は西条を見た。今度は遠くではなく、目の前の彼女を。

「西条さん」

「なに?」

「これから、よろしくお願いします」

 西条はこんどこそ確かに頬が緩むのを実感した。

「こちらこそ、よろしく」

 月明かりが病室を、少女を照らした。

 それが祝福か、悲劇の暗示か、それはまだわかってはいない。

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