第6話

 そのまま動けずにいると、先ほどのイワカジリが仲間を連れて現れた。

 体の下に何匹ものアリが入り込み、驚くことに体が持ち上がった。一匹でも力持ちだが、集まればさらに大きな力となる。

 群れは滑り落ちた通路を登り始めた。通路には無数のアリが待機しており、バケツリレーの要領で上へ上へと運ばれていく。

 岩塩もこうやって運搬されたんだろうな、きっと。

 これは貴重な体験だ。嬉しいのに喜ぶ元気はなく、改めて健康の大切さを知る。


 やがて雪上へ出た。

 朝と変わらない曇天が枝の隙間から見え、まつ毛の上に雪片が申し訳なさそうに落ちた。

 数匹のアリがアゴのあたりで活動している。くすぐったくて身をよじれば、唇の端を強く噛まれた。



「あっ……!」



 痛みを訴えるために開いた口の中へなにかを押し込まれた。反射的に飲み込んでしまう。

 今のはなに? 知りたいのに上手く声が出ない。

 ロアとイワカジリのやり取りが遠くで聞こえる。直後、ロアの背中に乗せられ帰路に着いた。


 どれくらい時間が経ったのだろう。

 目が覚めた。


 室内は薄青い。青に白と緑をわずかに混ぜたような色、薄氷の木を透過した夜明け前の色だ。

 びっくりして飛び起きた。

 寝坊した。東の浜辺は大荒れで、今から向かっても回収はできない。それでも様子が気になり慌てて防寒着を取る。



「浜辺にはなにもなかったよ」



 朝方の静寂にその声はよく響いた。

 黒毛狼が足元にじゃれついてくる。



「行ってくれたの?」

「そうだよ。リリィの具合が悪そうだから、できることはしようと思って。出る前に一応声をかけたんだんだけど」

「気づかなかった……」



 ロアの背中に手を添える。毛皮は外気で冷えているが、温もりが感じられてほっとする。

 そうだ。昨日、空洞で倒れたんだ。



「ベッドまで運んでくれてありがとう」

「こちらこそ、生きていてくれてありがとう!」



 毎日の日課も、ロアへの軽口も、元気でなければできない。体調が戻り本当に良かった。

 ロアは盛大にしっぽを振ると伏せのポーズを取る。

 背中に銀の一粒、イワカジリだ。

 一目見て分かった。案内役にして根をかじった個体だ。心配して来てくれたそうだ。


 テーブル席へ案内し香草茶でもてなすと、あのときの状況を教えてくれた。どうやら酸素が薄くなっていたらしい。原因はランタンで、炎の燃焼がトラブルを招いた。

 突然飲まされたのは酸欠の症状を軽くする薬だ。唇に噛みついたのは、口を開けて服用させるためだった。



「どんな薬なのか聞いても良い? 深部は材料が少ないから興味があるの」

「また悪いクセが出た。病み上がりなんだから大人しくすればいいのに」

「だって気になるんだもの」



 イワカジリは前足を擦り、触覚で銀の体を示した。



「うええ、そうなの? まずそうだねぇ」

「わぁ、そうなんだ! もっと味わえば良かった!」



 薬の成分はイワカジリそのものだ。五匹の死骸をすり潰し、唾液で固めて丸薬にする。

 イワカジリの死骸を食べると万病が治るという噂は昔からある。

 多くの生き物が関心を寄せるが、巣にこもりがちなアリを見つけるのは難しい。さすがのおばあさまも友だちを口にすることはなく、長年謎に包まれていた。



「大発見だよ。早く記録をつけなくちゃ!」

「やれやれ、リリィらしいね」



 イワカジリは報告を続ける。

 根の傷はほぼ完治し、岩塩の採掘は近日中に再開される予定らしい。今後は同じ過ちを繰り返さないように、声をかけ合い作業を進めるという。



「解決して本当に良かった。ケンカを止めに行ったのに、心配させてごめんね。これからも薄氷の木と協力して仲良く暮らしてね」

「ええっ。あの悪趣味な森とそれはムリじゃない?」

「できるよ。木は巣穴へ根を寄せて、寿命を迎えるアリの様子を観察して好奇心を満たす。その代わりにアリ達が快適に過ごせる岩場を教える。イワカジリは天敵の少ない深部で引っ越しをしながら安全に暮らせる。たぶん、長い間そうしてきたんじゃないかな」



 だから揉め事が起きたとき助けを求めたのだ。相性の悪い木から離れて他の木の傍で暮らす方法があるのに、それをしなかった。生活のサイクルが崩れるのを避けるためだ。

 イワカジリに住処を見つけるコツをたずねたとき「教えてもらうけど、これ以上は教えられない」と言った。あれは木に住処を教えてもらうが、その詳細は話せないという意味だと思う。

 イワカジリはご名答と言わんばかりに、銀の触角をピンと伸ばし、背筋を反らす。



「うん? 深部の森が私と会いたがっているから、また来て欲しい……?」

「ええーっ、ダメだよ。リリィを迷わせて弱らせるつもりなんでしょ!」

「良いよ。機会があればね」

「リリィには警戒心がないの?」

「あるよ。警戒しているから、ロアを道連れにするの」

「ああ、そのパターンね」



 ロアは嬉しそうな顔をしながら、大袈裟にため息らしきものを吐く。



「だって仲良くなるのは難しくても、互いを知る良い機会になるでしょう」

「それでまた書くんだね」

「それが役割だからね」



 みんなで笑って、近況を共有し、イワカジリは夜分遅くに巣へ帰った。

 外は猛吹雪だ。

 小さな体が飛ばされたりせずに無事にうちへ帰れますように。

 不安が表情に出ていたのか、ロアが体を擦り寄せて来る。



「平気だよ。雪にトンネルを掘って、最短距離で帰るって言っていたじゃない」

「そうだね」



 いつもの部屋が密やかに感じる。わずかな期間のうちに来客に慣れていたようだ。

 にぎやかだとその場がぱっと明るくなり、寒さが和らぐ。今すぐには難しいけれど、みんなが訪ねやすい家になればいいと思う。



「ねえ、作業袋は本当に洗わなくていいの? 黒こげ袋になってるよ」



 出入り口のすぐそばに置かれた作業袋は下半分が黒ずんでいる。 

 絵具が混ざり合い乾いた結果だ。どんなに美しい色でも、混ぜすぎれば互いの良さを打ち消し濁る。

 汚れていると思われるかもしれないが、この黒は特別だ。



「このままが良いんだよ」



 真っ黒でとても鮮やか。

 私は虹を持ち帰ったんだ。

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