第33話 マリア、復活
サティーナがなぜ震えながらこちらへ来たのか、マリアは考えた。
テオに支えられているマリアに──
「テオ、私を柵の向こう側に連れて行って」
テオは信じられないと言った顔でマリアを見下ろす。
「大丈夫か?」
「お願い。多分、サティーナも誰かに支えられたがってるんだわ」
「マリア……君は何を」
「いいから」
テオはマリアを負ぶうと、回り道をして柵の向こう側に入った。
テオとトビアスが見守る中、マリアはサティーナに寄り添った。
サティーナが鼻をマリアに近づける。
まるで、再会を喜ぶように。
「そうよね。あの事故で傷ついたのは、私だけじゃないのよね」
あの日騎手を失い、コースを混乱のさなかぐるぐる走り回らなければならなかったサティーナも、まるで状況の掴めぬまま怯えていたに違いない。
今日足を引きずっているマリアをようやく目撃して、サティーナも心配と安堵が入り混じった状態なのかもしれなかった。
「お互い大変だったわね。私、あの日あなたを勝たせてあげたい一心だったの」
サティーナは鼻を鳴らした。
「あなたを操縦し切れなかったこと、謝らなければならないわ。なかなかこっちに来られなくて、悪かったわね」
以前は気性の荒かったサティーナが、妙に神妙な瞳をしている。マリアはなぜだか泣けて来た。
「そう……言葉は通じなくても、気持ちは通じるのよね」
馬と、人。どちらも種族は違えど、気持ちがある。
「あなたはあんな目に遭っても、私を信じてくれてるのね……」
マリアはサティーナに告げる。
「あなたと再び、レースを走らなければならないわ」
サティーナもマリアに首を近づけた。
「そうすればきっと、私たちは恐怖を乗り越えられる」
隣でテオも笑う。
「何も、速く走るだけが競馬ではない。人生と同じように、失敗に立ち止まったり、休んだり理解し合ったりすることも、レースの一部だ」
マリアは頷いた。
「怪我の功名ね。あのままずーっとスピードを追求し続けていたら、私、一番大切な何かを見失うところでした」
「マリアもサティーナも、また一皮むけたな」
「ふふふ。そうみたいですね」
「動物と人との関係というのは、不思議なものだ。心でしか通じ合えない」
「本当ね。私、今回のことでようやく分かった気がします。レースって速く走るだけじゃなくて、馬との間に信頼関係を築くことが、一番大事なんだって」
怪我をしたマリアは馬との間に、また新たな哲学を見出していた。
「サティーナ。大事なことに気づかせてくれてありがとう」
それから一か月後。
リューデル競馬場に、ようやく女性騎手マリアが登場した。
観客席は暖かい拍手に包まれる。
マリアが乗っていたのは、彼女があの日共に事故に遭った馬、サティーナ。
観客はそれを知っていて、彼女たちの健闘を讃えているのだ。
今日も、トラヴィス王とブリュンヒルデ王女が観戦に来ていた。
王と王女も惜しみない拍手を送ってくれる。
マリアはあの日と同じ状況のレースに出ることが叶い、一人静かに安堵していた。
マリアは馬に乗って白線の向こうに並びながら、溢れる涙をこらえることが出来なかった。こんな風に観客に温かく迎えられるのは、初めてのことだったからだ。
あれから温泉で怪我も万全なところまで治し、サティーナとも「練習」ではなくて「親睦」を深めて来た。全ては、あの日の恐怖を克服するためだ。
マリアはサティーナに囁く。
「いい?今日は順位云々ではなく、心が軽くなるために走りましょう」
ファンファーレが鳴り響く。
「私達が元気になったこと、みなさんに教えてさしあげましょう」
旗が振り下ろされる。
サティーナは前方に出るのではなく、位置決めをするようにゆっくりと場所を探す。
完全に出遅れてはいるが、彼女なりに考えたのだ。
一番自分らしく、自由に走れる場所を確保するために。
マリアはサティーナが学習していることに、内心感動していた。本来騎手が動かしてやるところを、彼女は自分で考え動いている。
全て、マリアを信頼しているからだ。マリアが無理に鞭を打ったり、手綱を操作しないと分かっているから、自由に走っている。それに気づいて、マリアはサティーナを抱き締めてやりたくなった。
出遅れたが、いい場所につけたのでぐんぐんと馬を追い抜いて行く。サティーナなりの走り方が出来ているのでコースをぶれることがなく、その分、距離やリズムのロスなく走り切ることが出来る。
先頭集団がペースダウンして来て、上がって来たサティーナが先頭集団に加わる形になった。
しかしそのままもつれ、どれが何位なのか分からないような同時ゴールとなる。
客席は着順が分からずどよめいたが、順位の正式発表がされると、静かな拍手が巻き起こった。
サティーナ、二着。
勝つことは出来なかったが、思ったより好タイムだったのでマリアは飛び上がった。
「すごいわサティーナ!あなた、私に頼らなくてもこんなに速く走れるのね!」
サティーナが得意げに鼻を鳴らし、マリアはよしよしと撫でてやった。
「頑張ったからよ……恐怖を克服して……何ていい子なの」
記者が表彰式の前に、すかさずマリアの方に話を聞いて来る。
それに意気揚々と応えるマリアを、トラヴィス王とブリュンヒルデ王女は神妙な面持ちで眺めていた。
「お父様、私、やはりマリアを寝室係に──」
それを聞き、トラヴィス王は飛び上がるように娘に振り返る。
「本当か!ようやく、あの話を受け入れる気になったんだな?」
ブリュンヒルデの瞳が、決意の色で満たされて行く。
王女は頷いた。
「では、早速ローヴァインに使いをやろう!」
張り切る父を横目に、ブリュンヒルデは目尻をそっと拭ってマリアとサティーナを見下ろしていた。
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