第24話 罵声は褒め言葉
マリアの快走を目撃して、観客席のアンディは歯ぎしりした。
「くそっ、くそっ……あの女……!」
婚約者シルヴィアとその父ヨーゼフは、普段見られないアンディの憤怒の表情に当惑していた。
「まあまあアンディ。そりゃ、馬券は外れることもあるだろう」
「アンディ、落ち着いて。私の兄の馬のみならず、あなたの前の奥様が勝ったのよ?祝福して差し上げたら?」
どの言葉も、アンディの心には響かない。
彼は繰り返し、心の中で呪詛を吐いた。
女のくせに。
俺より下のくせに。
目立ちやがって、下のくせに。
突き放された立場の人間のくせに。
愛されずに死んで行く側の立場の人間のくせに。
どうせ頼み込んで死にぞこないのじじいの嫁になったくせに。
みじめに俺に追いすがって来る立場の人間のはずなのに。
挙句、王にまで……
「許せない……」
アンディは人目もはばからず、己の心情を吐き出した。
「許せないって、何が?」
シルヴィアが聞き咎めた、その時だった。
「女のくせに意見するな!」
アンディの怒号が飛び、彼女とその父はびくりと身を震わせた。
その表情は、明らかに怒りに我を忘れている。
目が、どこも見ていない。
何かの幻を見ているような、近くて遠い目をしている。
「アンディ……」
シルヴィアはうるうると目を赤くし、父ヨーゼフが思わず怯える娘の肩を抱いた。
「アンディ。今の言葉は聞き捨てならないぞ……!」
アンディの耳には何も入らないらしく、彼は観客席を飛び出して行く。
「おい待て、アンディ!」
アンディは怒りに沸騰する頭を抱え、全速力で表彰ステージの方へ走って行った。
マリアは初めての表彰に際し、初レースの時より緊張していた。
馬主のパウルがこの世の春というような表情で、シュネーバルツァの手綱を引いてやって来る。
「ありがとう、マリアさん。初参戦初勝利!夢のようですよ!」
マリアはにっこりと笑った。
馬主と騎手にとって、夢の瞬間。
手塩にかけた馬が一勝を手に入れた。
マリアは舞台上で協会員から月桂樹の冠を頭に乗せられ、花束を手渡される。
テオもトビアスを伴ってやって来た。
マリアは夫を見つけると、花束を振ってぴょんぴょんと跳び、はしゃいで見せる。
テオも手を振り、表彰される妻を愛おしそうに眺めた。
と、記者がマリアの元にやって来て、取材を始める。
「どうも、マクレナン新聞の者です。マリアさんは初めての女性騎手ということですが、どのようなきっかけで騎手を志したのですか?」
マリアは満面の笑顔で答えた。
「はい、乗馬が趣味でしたので、それを突き詰めたいと思いまして」
「趣味の延長?」
「そう言ってしまえばそれまでですが、何かを突き詰めたい気持ちがあったとだけ申し上げておきます」
「ローヴァインファームの奥様でいらっしゃいますが……」
「そうです」
「環境は整ってますね?」
「そうですね。騎手として、幸福な結婚であったと思います」
「女性が騎手になったのは初めてですが、何かご苦労はありましたか?」
「特にありません」
その時、舞台下から聞くに堪えない罵声が次々と浴びせられた。
記者は弱ったように笑うが、マリアは毅然と彼らにこう言い放った。
「ありがとう!」
急な皮肉を浴びせられ、舞台周辺の罵声は静まる。
記者は、今度はさも面白そうに笑った。
「今の言葉の意図は?」
「勝負した場面において、罵声は励まし、または誉め言葉と受け取っております」
隣にいたパウルが軽く口笛を飛ばし、会場の一部から快活な笑いが起きた。
マリアは胸をなで下ろす。この衣装でレベッカの言う通り堂々と構えていたから、どうにかなったようだ。
表彰はマリアの軽妙な会話によって終わり、賞金が授与された。
マリアは舞台から降りると、封筒の中から小切手を取り出して目を丸くする。
「……こんなに!?」
そこには桁を見間違えたかと思うほどの高額な数字が並んでいた。
表彰式は解散し、テオがやって来る。
「マリア、初勝利おめでとう。素晴らしい走りに、また惚れ直したぞ」
「ありがとう、嬉しいわ。ところでテオ、この賞金、どうしたらいいかしら」
「それは馬主と牧場と騎手で分け合うんだ。騎手なら一割が報酬となる」
「私に、この一割が……!?」
「報酬はマリアの好きなように使うといい。君が得た財産だ」
マリアが驚きに口を開けていると、その肩をテオが抱いた。
「君は頑張った。その報いだ」
「……はい」
「どうだ。報酬が手に入ると、気分がいいだろう。その気持ちを忘れずに精進するがいい」
「はい!」
マリアはようやく騎手から妻に戻り、テオと軽いキスをした。彼女は夫の腕に頬を寄せ、浮き足立って歩き出す。
と、その時だった。
テオの足が止まった。
マリアが顔を上げると、目の前にはあのアンディが憤怒の表情で立ち塞がっていた。
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