第23話 新馬戦

 月末の、リューデル競馬場にて。


 白馬シュネーバルツァに乗って新馬戦に参戦すべく、騎手マリアが登場した。


 同時に巻き起こる観客からのどよめき。


 しかし罵声を浴びせて来る者は、ひとりとして現れない。


 パウルとテオは厩務員関係者席からその光景を眺めてから、顔を見合って互いに頷いた。


「うーむ、この絵面はなかなかに凄味があるなぁ」

「白馬にフリルまみれの乗馬服。そして赤い口紅。絵画から抜け出したようですね。それに、見て下さい。マリアさんのあの表情!」


 馬に乗ったマリアは、すっかり勝負師の顔になっていた。


 唇には、真っ赤な口紅。ともすると下品になりがちなその濃い化粧も、馬に乗ると途端に彼女に貫禄を与える。


「あの顔……まるで軍人ですね」

「ああ、命を懸けている顔だな」

「めちゃくちゃカッコいいじゃないですか!」

「……私もそう思う」


 新馬戦ということもあって、新馬たちは妙に興奮したり徘徊したりしているが、マリアを乗せたシュネーバルツァは落ち着いている。


 彼らの背後で、観戦している男たちが口々にわめく。


「女かぁ。せっかくいい馬だったのに、騎手があれじゃ賭けられねェよ」

「しかも30過ぎのおばさんだとよ」

「公爵の嫁らしいから、どうせ金を積んで出たんだろう。思い出づくりだよ」


 それを聞いて、パウルはくっくとくすぐったそうに笑った。


「ローヴァイン卿。馬券買いました?」

「ああ、勿論だ。シュネーバルツァの単勝買い」

「実は、私もです。ところで……」


 ファンファーレの音と共に、パウルは言った。


「今日、妹が父とアンディを連れてこの会場に来ています」


 テオが驚きの表情でパウルの顔を覗き込む。


「……そうなのか?」

「はい。私がシュネーバルツァを出走させるので呼んだのです。私の馬のデビューを、家族にも見て貰いたくて」

「ふーむ、パウル……君は何を企てているのだね?」


 パウルはそれを聞くと、肩をすくめて笑った。


「さすがは伝説の老騎士。噂通り、心を読みますね」

「マリアはそんなことに動揺はしないと思うが、アンディの方は……」

「いい読みです。実のところ私は今、アンディを義弟にすることに少し懐疑的でして」

「!」

「ギルバートの屋敷で、聞いてしまったんです。アンディは自分の思う通りにことが運ばなければ、どんな汚い手でも使う男なんです。競馬協会にしょうもない苦情を入れていたのはアンディなのではないかと、私は疑っている」

「何……それは本当か?」

「だって本人がおっしゃっていたんですよ。まず陛下に〝女騎手は風紀を乱す〟と進言しようとしていましたが、それを執事にたしなめられ、それならシルヴィア経由で陛下に進言させようなどと」


 テオは深く息を吐く。


「……正気か?」

「あれは狂人ですね。温和な表の顔とのギャップに、こっちも危うく腰を抜かしかけました」

「そうまでして、あいつは何と戦っているんだか」

「分かりません、狂人の心は。ただ、ひとつ言えるのは──」


 新馬が白線の内側に集められている。


 パウルは言った。


「あいつは臆病者だということです。だから戦わない。口先だけで誰かを下げようとする。そうして自分の地位を上げようと頑張っているようなんです」

「誰かを貶めたところで、自分の地位は決して上がらないんだがな……」

「それが分からないのでしょう……きっと、戦ったことがないから」




 一方。


 レース直前、マリアは馬上で、シュネーバルツァに小さく囁く。


「シュネーバルツァ、戦いましょう」


 白馬は小さく嘶いた。


「自分を、好きになるために」


 旗が振り下ろされた。


 マリアは出走と同時に鞭を打つ。鼓舞されるように、シュネーバルツァは誰よりも先に前へ出て行った。


 出だしは好調。彼女の性質上群れるのを嫌がるので、マリアは手綱を操作し、大きくアウトラインに外れた。


 観客席の一部から、ああーという落胆の声が上がる。


 が、パウルは笑っていた。


「おっ、これは凄い戦略ですね!まさか逃げ切るパターン?」

「どうやらそれを選択したらしい。マリアは他の馬を熱心に研究していたから」

「ああ、そうですね。どの新馬も外国産の逃げ馬だらけでした」

「逃げ馬の悪い点は、逃げようとする余りに途中で失速することだ。スタミナ切れに陥る」

「スタミナ切れなら、シュネーバルツァだって逃げ馬だから一緒では……」

「実はな」

「はい」

「シュネーバルツァはこのところ、練習せずにマリアたちにずーっと草だけ食わされていた」

「は?」

「新馬はこういったデビュー戦に向け、かなり必死に調教されるものなのだ。だから、疲れている。それを逆手に取って短距離である新馬戦、うちは何も練習させない戦法で行こう、ということになったのだ」

「えー!」

「短距離だから出来る戦法だ。中~長距離では通用しないやり方だな」

「なかなかに博打を打ちますね、マリアさんは……」


 マリアは外側から再び前列の先頭集団に戻って来る。


 案の定、他の新馬は疲れて来ている。


 シュネーバルツァがスタートダッシュで作り出したハイペースに、他の馬は飲まれてしまったのだ。


 それを見極め、マリアは徐々に速度を落とす。


 恐らく観客はそれを見て、シュネーバルツァがスタミナ切れであると思っただろう。


 実際は、逆。


 マリアから鞭を打たれることがなくなり、シュネーバルツァはようやく自分のペースで走れるらしいと分かったのか、のびのびと流して走るようになった。


 他の馬も、必死な様子の割にスピードが上がってこない。


 観客席が大きく揺れる。


 マリアの大博打は会場全体を巻き込み、巨大なうねりとなって新馬たちに降り注いだ。


 シュネーバルツァ、一着。


 マリアは初騎乗にて逃げ切り、栄えある初勝利をもぎ取った。

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