第22話 レベッカの負けられない戦い
こうして、マリアは晴れて騎手となった。
騎手ならば、ローヴァインファームの馬のどれに乗ってもいい。しかしレースでは、馬主の求めに応じて乗るのが基本である。
久方ぶりにパウルが牧場に遊びに来た。
「マリアさん、やりましたね!」
マリアは曖昧に微笑んだ。
「私のシュネーバルツァに、早速乗って貰おうかな」
パウルがあの日購入した馬は、シュネーバルツァと名付けられた。雪のように白い馬だ。
「そうなると、デビュー戦はこの月末ですね」
「ええ」
「……どうしました?浮かない顔ですけど」
「そうですね、今から緊張しています。何せ、女性騎手はマクレナンの歴史上初めてのことらしくて」
「その通りです。だから、注目されると思いますよ!」
「というより、……実は」
「?」
「私を試験に通したことで、協会に苦情が殺到しているらしいんです」
パウルは憤怒の表情でひとつ、息を吐いた。
「なぜ、苦情?」
「女が騎手では、風紀を乱すと」
「マリアさんはそれ、どう思ってらっしゃいます?」
「えーっと……まあ別に、という感じですね」
パウルはそれを聞くと、にこにこと笑った。
「そうですよね。知ったこっちゃないですよね!」
「でも、夫に申し訳ない気がして……」
「気にすることなんかありません。苦情入れてる方が確実に、協会の風紀を乱してるでしょ。どの面下げて言ってるんだ、って話ですよ!」
「ふふふ、本当ね」
「大体ね、女ひとり入れただけで乱される男の方が度し難いですよ」
「あはは」
パウルはマリアの強気な姿勢を見て、ほっと胸をなで下ろす仕草をした。
「とにかく、乗って貰わないと困ります。あなたのような素晴らしい騎手を乗せたくて、この馬を買ったようなものなんですからね」
「ありがとう、パウルさん」
「とにかく、新馬戦に向けて気持ちを立て直して行きましょう。期待してますよ!」
「はい、頑張ります!」
「では、私は今日のところはこれで……」
マリアはパウルの背中を見送った。
デビュー戦に向けて、色々やらねばならないことがある。
一方のパウルは自身の馬車に乗り込み、苛立たしげに呟いた。
「苦情だと?まさかアンディが扇動しているのか……?」
マリアがローヴァインの屋敷に帰って来ると、早速ジャンが飛んで来た。
「マリア様。デビュー戦で着る乗馬服を是非新調させてくれと、お針子のレベッカが」
マリアは目を見開く。
「まぁ、そんなことしなくていいのに。いつものを着るわよ」
「それでですね、彼女が一度お話をしたいと」
「お話?」
「はい。実は、協会に殺到している苦情の件で」
「それと乗馬服と、一体何の関係があるの?」
「レベッカ曰く、大ありだそうです」
「そうなの?まあいいわ、私の部屋に呼んでくれるかしら」
「かしこまりました」
マリアは自室に戻り、椅子に腰かけしばし呆然とする。
と、ノックの音と共に侍女とレベッカがやって来た。
マリアは思わず立ち上がる。
お針子のレベッカは御年70歳。背中の曲がったお年寄りなのである。
彼女は動くのも歩くのもゆっくりなのだが、針さばきだけは機械のように早い。更にローヴァイン屋敷最年長者ともあって、テオすら彼女に頭が上がらないことがあるという。レベッカは生き字引のような貫録を持つ使用人なのであった。
「奥様」
老婆のわりに妙に通る声で彼女は言う。
「四の五の言わずに乗馬服を新調するのです」
「レベッカ……」
「人間は、見た目が十割です」
「はぁ……」
「わけのわからない苦情が殺到しているそうですが、男も女も同様に、見た目が美しければ多少のことには目をつぶって貰えますので」
「そうかしら……」
「周りを黙らせる一番いい方法は、実力と見た目の双方を備えることです。実力だけでは〝ブスのくせに〟と言われ、見た目だけでは〝実力がない〟、どちらもなければ〝死ね〟と言われますから」
発言も過激である。後がないから好きなことを言って死のう、という覚悟がひしひしと伝わって来る。
マリアは根負けした。
「分かったわ。……それで、どんな乗馬服にするの?」
ようやくレベッカは満足げに破顔した。
「もう作ってあります」
どうやらマリアに拒否権はないらしい。
侍女らが、うやうやしくその勝負服をマリアに着せてくれる。
着替え終わって鏡と対面し、彼女は驚愕した。
「なっ……何これ!」
首元と袖には、溢れんばかりのレースが施されていた。黒い上着の袖から溢れ出るようにこぼれたレースが優雅にたなびく。ボタンは全て金ボタンで統一され、黒い騎乗用帽子にもカメリアのような花が咲いている。
「レベッカ……これ、ちょっと派手過ぎない?」
「何をこそこそする必要がありますか?真っ先にみんなに見つけて貰った方がいいですよ」
「……そ、そう?」
「隠れるから相手はあなたを糾弾したくなるのです。堂々としていればよろしい。堂々としている人にとやかく食ってかかる人こそ、狂人じみて見えますから」
マリアはかつてのみじめな自分を思い出した。
「なるほど。堂々としている人に食ってかかる方が、狂人……」
「私は奥様の二倍以上生きていますから。間違いありません」
レベッカの断言が、今の緊張しているマリアの耳には心地よく響く。
「そう言われれば、そうね」
「ええ、ええ。それに奥様の馬に乗っている時の表情は、そりゃ自信に満ち溢れて素晴らしいんです。テオ様も、そう私におっしゃってましたよ」
「まあ、テオがそんなことを?」
マリアは顔を赤くして微笑んだ。
「そうね、堂々としなきゃ」
「堂々とするには、いい服が必要でしょう」
「ふふふ、本当ね」
マリアの心の靄は、みんなの応援で晴れて行く。
月末は、いよいよ新馬戦だ。
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