女性騎手誕生

第21話 騎手登録試験

 あれから一か月後。


 マリアは騎手登録試験に臨んでいた。


 マリアの心はあの品評会とパウルの説得を経て、ようやく決まったのだ。


 アロイスとトビアスからの猛特訓を受け、彼女は馬術の基礎を一通りこなせるようになっていた。騎手登録試験は五年以上の騎士経験があれば免除されるが、マリアにはそれがなかったので試験を受けることになったのだ。




 実は受験票を送付された時点で、マクレナン国競馬協会では初の女性騎手登録に難色を示していた。


 女性騎手の扱いをどうするのか、まるで方針が立たなかったからだ。


 規定にはないものの、一度は「女であるから」というだけの理由で受験票を返却することまで検討された。


 が、受験票に添付された推薦状の推薦者と保証人のサインが、彼女を拒否することを困難にした。


 そのサインは、現役の騎手アロイスと伝説の老騎士テオからのものだったからだ。


 競馬協会の面々は騎士時代、特にテオの世話になった者が多い。そういうわけで、彼らはかつての上官の面子を潰すようなことは避けたかった。


 この推薦状を巡って、協会では会議が開かれることとなった。


「受験を許可してから落とした方が、都合がいいのではないか」


 何とか知恵を絞り出した挙句、協会が出した答えはこれである。


「なるべく優秀でない馬を用意しろ。どうにか例の女性騎手候補を失格に追い込むのだ」


 そういうわけで、マリアは無事試験に参加することが叶ったのだった。




 ──と、こんな策謀が渦巻いていることなどつゆ知らず、マリアは試験が出来ることに浮かれていた。


 試験用の馬は協会側が用意するという。


 テオも見に来た。試験とはいえ、妻の晴れ舞台である。


 乗馬服に身を包みマリアが待っていると、遮眼革ブリンカーをされた牝馬がやって来た。


 牝馬は妙に興奮し、首を振り立てては苛々と癇癪を起している。


「……あら、どうしたのかしら」


 どこか決まり悪そうに調教師は首をすくめ、マリアに馬を引き渡した。


「遮眼革をしているっていうことは、この子は人を見ると気が散るタイプ?」


 調教師は難しそうな顔をすると、曖昧に頷いた。


「でも、嫌がっているわ。多分これのせいじゃないかしら。遮眼革は外してあげなきゃね」


 調教師はマリアが思わぬことを言い出したので驚いている。マリアは心のおもむくまま、構わず馬の遮眼革を取ってやった。


 牝馬は目血走っているが、マリアをしかと凝視している。


「うちの牧場の馬にもいるわ、人間に興奮してしまうタイプが。でも人間に興奮する馬って、大抵人間に不安を持っているの。それを取り除いてあげれば大丈夫」


 マリアは調教師に視線を移した。


「一度、この鞍を外してくださる?私がいちからつけてあげた方がいいと思うの」


 調教師は固唾を飲んでから、恐る恐る鞍を外した。


 マリアは鞍を馬に見せる。


「今からこれをつけてあげるから。大人しくしていてね」


 馬は鞍を取られて気が抜けたのか、急に大人しくなった。


 マリアはその鞍をふと眺め、首を傾げる。


「あら……多分これ、サイズがちょっと合っていないわ。そう、ほんのちょっとなんだけど、こういうのって馬は敏感に感じ取るのよね。トビアス、ちょっと馬車からうちの鞍を持って来て頂戴」


 まさか鞍まで自宅から用意しているとは予想していなかったらしく、調教師は呆然としている。トビアスは馬車から何種類かの鞍を持って来た。


「ありがとう。じゃあ鞍を付け換えるわね。ローヴァインファーム独自の鞍で、とってもフィットするの。このサイズでいいかしら……ああ、ほらこの通り」


 マリアの選んだ鞍は、その牝馬にフィットした。マリアにちょうど良い鞍を付けられ、馬は大人しくなった。


「目隠しなんかしなくても、あなたは賢いから大丈夫よね」


 彼女に首を撫でられると、牝馬は小さく嘶く。


 マリアはその馬に乗って、意気揚々と試験会場へと進んで行った。


 トビアスはそれを見送ってから、会場のテオの元に歩いて行ってその耳元で何事か囁く。


「む、そうか。やはり協会側は工作を……」

「レースの展開を注視していた方がいいかもしれません。何かあれば抗議出来るように、我々で見張っていなくては」

「……そうだな」




 試験は滞りなく進む。


 妙に大人しくなってマリアに連れられて来た牝馬を見て、協会側の審査員らはどよめいた。


 あれほど興奮してしまった馬をここまで大人しくさせるというのは、にわかには信じ難いことだったのだ。


 しかし、協会側はマリアの走りを阻止すべく、芝に秘策を施していた。


 まずは単走試験。


 牝馬は妙にゆっくりと走る。思ったよりスピードが出ないのでマリアは焦った。


 指定の記録以上を出さねば、試験に弾かれてしまう。


 ふと足元を見ると、このところ雨も降っていなかったのに芝が妙に濡れ、地面が荒れている。


(なるほど。足を重たい芝に取られているのね)


 ふわりと周囲を見渡せば、水濡れしているのは内側だけであることが判明した。


 なるべく速く走ろうとすれば、どの受験生も内側を走ろうとするのは当然だ。きっと水で濡れた芝を大勢で踏みしめた結果、このようになってしまったのだろう。


 マリアは手綱を操作し、あえてレーンのきわ、外側を走ることにした。


 と、急に牝馬がスピードを上げた。


 マリアはそれを応援するように、タイミングよく鞭で叩く。


 スピードには自信があった。大きく外側を走っても、指定以上の記録が出ると言う自信──


 好タイムにて、単走を走り切る。


 マリアは馬を撫でた。牝馬はどこか得意げに嘶いて見せる。


 次は併走試験。


 もう一頭馬が併走していても、しっかり走れるかどうかを見る試験だ。


 案の定、マリアに与えられた牝馬は近づいて来た牡馬に興奮し、その場をぐるぐると徘徊し出してしまった。


 その牝馬に驚いた牡馬もまた、苛立って首を左右に振り立てる。


 困り果てていた時、マリアは仕方なしにもぞもぞとポケットからミントキャンディを取り出した。


「ほらほら、お菓子をあげるわ。だから走ってちょうだい」


 口元にキャンディを差し出され、牝馬は急に大人しくなった。


 彼女はガリガリとキャンディを噛み砕く。マリアはそんな牝馬を甘やかすように撫でてやった。


 旗が振り下ろされる。


 マリアを乗せた牝馬が気を良くし猛スピードで出て行ったので、つられて牡馬も走り出す。


 一時はどうなることかと思ったが、急にレースらしくなったのでマリアは静かに感動していた。


 再び大きく外側へ。この気難しい牝馬はどうやら逃げ馬らしく、背後にいる牡馬に追い抜かれぬよう必死で走る。


「がんばって、がんばって」


 祈るようにマリアは囁く。


 牝馬は素晴らしい走りを見せ、併走の牡馬を振り切るようにがむしゃらにゴールした。


 こちらも好タイムを叩き出し、マリアは思わず声を上げた。


「やったわ!これで、騎手になれる……!」


 遠くで、アロイスとトビアスが笑顔で拍手しているのが見える。マリアはそれを眺め、きょとんと周囲を見渡した。


「あら?テオは?」




 一方テオは、協会員たちのいる部屋でくつろいでいた。


「今の走りを見たか!?我が妻は才能の塊だ、そうは思わんかね?」


 協会員たちは曖昧に笑いながら──しかし否定は出来なかった。


 男性騎手と肩を並べる好タイムだ。こちらが想定していたような〝女の〟走りとはわけが違う。


 あんな問題児の牝馬をあてがわれ、彼女は並みいる男性候補者をしのぐ上位タイムで試験を通過してしまったのだ。


 そのことが結局、協会の誰をも「納得」させてしまう格好になった。


「……テオ様、しばらくお待ちください。奥様に免状を作成しますので」

「うむ、待っておるぞ!」


 と言いつつも、テオはずっと協会員の部屋でくつろいでいる。


 これもテオなりの、協会側に工作をさせない「作戦」であったことは言うまでもない。

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