第18話 突如、表舞台へ
マリアの乗った二歳の牝馬は猛ダッシュを維持したままコーナーを曲がる。
後続は外国産の馬だ。
内側を維持したままぐるりと回り切ると、後続から馬身ひとつリードし、一番にゴールした。
馬主たちはぽかんとマリアの乗った馬を眺めている。
テオが馬主の群れに近づいて行くと、その中から一人の若い赤毛の男が、彼に気づいてやって来た。
「すみません、あれはあなたの牧場の騎手ですか」
テオは得意げに答えた。
「ああ、そうです」
「あの馬を買えば、あの騎手を乗せられるんですか?」
「そういうことになりますね。しかしながら、彼女は騎手登録はしておりません」
男はそれを聞き、引くどころか余計に前のめりになった。
「では、調教師か何かですか?」
「まあ、そのようなものです」
「彼女が騎手登録してくれるなら、あの馬を買いたいのですが」
テオは目を丸くする。
今日ここにマリアを連れて来たのは、少しでも目立って馬を売り抜けようというのが目的であって、彼女の騎手登録が目的ではない。
それにマリアが登録したところで、一般的に脂の乗る三歳までに、その馬が確実に健康でよく走れ、彼女を乗せられる保証などないのだ。
「その条件は……ちょっと飲めないな」
「そうですか?うーん、是非にと思ったんだがなあ」
「彼女が騎手登録するかどうかは未定です。彼女を条件に馬を振り回すのは、牧場主として本意ではない」
「ふーむ」
男はじっと考えてから、納得したように頷いた。
「話を変えましょう。あの騎手と話をすることは出来ませんか?」
テオは頭を掻く。
どうやらこの馬主は、騎手としてのマリアに心底惚れ込んでいるようだった。
「まあ、出来ると言えば出来るが……」
「本当ですか!?」
「彼女は、まだ走る。それが終わったら……」
「ありがとう、ローヴァイン卿。ああそうだ、失礼。私、まだ名乗っておりませんでしたね……」
男はシルクハットを外すと、それを胸に当てこう言った。
「私はパウル・フォン・テニエスと申します。お宅の馬を落札して見せますから、その時は是非彼女とお話しさせて下さい!」
テオはその勢いに押され、こくんと頷いた。
パウルは満足げに微笑むと、また忙しく別の場所へ走って行った。
テオはしばし呆然としてから呟く。
「テニエス……聞いたことのある名前だな」
と。
気づけばテオの背後には列が出来ていた。
「んなっ……」
「こんにちはローヴァイン公爵!先程の女性騎手と話がしたい」
「馬を買えばあの騎手がついてくると言うのは本当ですか!?」
矢継ぎ早に尋ねられ、テオは片手で額を押さえた。
「ぐっ……何だか、とんでもないことになって来たぞ……」
二歳の牝馬を三頭とも一着にし、タイム計測を無事に終えたマリアは大層満足していた。
やはり馬を走らせるのは楽しい。
勝つのはもっと楽しい。
うきうきと胸を張って帰って来ると、テオではなくアロイスがにこにこしながらやって来た。
「お疲れ様でございます、マリア様」
「ただいま戻りました。……あら?テオはどこにいるの?」
アロイスはくつくつといたずらっぽく笑う。
「今、馬主に囲まれていますよ。余りにもいい走りだったので」
それを聞いてマリアは納得した。
「それならよかったわ。三頭とも売れるといいわね」
「……いえ、そうではなくて」
「?」
「馬主の皆様は、マリア様の走りの技術に心酔しておられるようですよ」
「……え?」
アロイスと共に厩舎関係者出口を出ると、既にそこには黒山の人だかりが出来ていた。
彼女のご尊顔をひと目見ようと、多くの馬主が駆けつけていたのだ。
マリアは少し怯えたように後ずさる。
と、人だかりの中からテオが駆け寄って来た。
「テオ!」
マリアはようやくひと安心する。テオは彼女の肩を抱くと、耳打ちした。
「大変なことになった」
「……そのようですわね」
「みんな君の走りに、興味津々だ」
「私、調教師でも騎手でもありませんが」
「ここにいる人たちは、君が騎手になるならうちの馬を買うと言っている」
「!!」
マリアは驚愕に口を開いた。
「そ、そんな条件を……?」
「ああ、そんな条件は飲めないので、とりあえず騎手については保留にさせてもらったところだ」
「……よかったです」
「だが一度、みんなに君を紹介しなければならないと思っている」
マリアは、騎手である前にテオの妻であることを思い出した。
「……そうですね」
テオは妻の肩を抱くと、馬主たちに向き直る。
「紹介します。彼女は妻のマリア。馬に乗るのが得意なので、今日は騎手として出てもらいました。ですが、騎手登録をしていないので競馬騎手としては走れません」
馬主たちがざわつく。マリアは帽子を取って淑女の微笑みを見せると、緊張しながらもこう言った。
「皆さまこんにちは、テオの妻マリアです。ええっと……騎手ではありませんが、今日はみなさんの前で走ることが出来、光栄に思います。うちの馬をお引き立てくださり、ありがとうございました!」
すると。
なぜか馬主たちはいっせいに拍手を始めた。マリアはぽかんと彼らを眺める。
「いい走りだったぞ!」
「また走ってくれ!」
「待ってるぞー!」
やんややんやと景気のいい掛け声が飛び、マリアは頬を上気させる。
不特定多数に求められることが、こんなにも胸を打つとは。
「……ありがとう、みなさん」
マリアは今にも泣き出しそうな顔で微笑んだ。
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