第17話 私の自由
夜になった。
マリアとテオはことを終え、互いに愛し合った余韻に浸っている。
マリアは布団にくるまり、うとうとと周囲を眺める。
マリアがようやく得ることになった、愛する人との小さな悦楽。
トルソーに着せられた、新しいドレス。
愛馬のロルフ。
マリアはそれらをひとつひとつ数え、こんなことを思った。
(私、今、とても自由なんだわ)
テオはマリアに何かを強制しない。見守ったり口を出したりはするが、いつも彼女の心を優先してくれる。
マリアは貴族の娘なので、今まで色々と強制されて来た。
自分で自分の道を選択することなど、まず出来ない。
家長が全てを決める。
いや、家長すら、自分の道などあったかどうか分からないのだ。
貴族は何もかもががんじがらめで、自由など性別に関わらず等しく存在しない。
アロイスも、騎士が出来なくて方向転換を迫られた結果、騎手になっている。
マリアは隣でまどろむ夫に寄り添った。
(私の、才能……)
「マリア」
急に呼びかけられ、彼女はびくついた。
「アロイスの話……どう思った?」
マリアは夫の青い双眸を見つめる。
「……あなたはまた、私の心を読んだの?」
「ずいぶん悩んでいるように見えたからな」
「……その通りです」
「悩むようならやめろ。悩まなくなったらやればいい」
マリアはどきりとしてテオを覗き込んだ。
「それは、どういう……?」
「時間は有限だ。悩むようなら他のことに手を付けた方がいくらかマシだ」
「せっかちですね」
「そういうわけじゃない。私は君と違って、残り時間が少ないからそう考える」
「残り時間……」
マリアはじっと、己の残り時間を考える。
なぜだろう。
ふと妊娠のことが頭にちらつき、彼女は身構える。
(妊娠したら、馬には乗れないわね)
そう考えると、意外と時間はないのかもしれない。そこまで考え、マリアはふと笑う。
(変なの。私、それが出来なくてギルバート家を追い出されたのに)
出来ないと諦めたことを、急に出来るような気がしてマリアは目を閉じる。
きっとそれは、気持ちが自由になったからだ。
「とりあえず、品評会では馬に乗ります」
テオは頷いた。
「それは、頼んだぞ。君が乗るのは二歳馬だ。
「分かりました。タイムは計りますか?」
「計る。基本的に買われるかどうかは血統がものを言うんだが、売る馬の出したタイムで買い手の背中を一押しする」
「なるほど……」
「期待してるぞ、マリア」
品評会当日。
二歳馬は先に競馬場に着いていた。マリアはいつもの乗馬服に身を包み、テオと共に馬車から降りた。
競馬場は、またあの日とは違った熱気に包まれている。
ローヴァインファームからは二歳馬を三頭販売する。
マリアは事前に牧場で、この三頭に試乗していた。
どれも牝馬で、逃げ馬だ。前のめりで気性が荒い分、ロルフより苦労なく走ってくれる。
競馬場には、関係者以外入れない。無観客状態だ。
「テオ様」
いつもの落ち着いた調子でシモンがやって来る。一緒にやって来たアロイスは、乗馬服姿のマリアを見てこう言った。
「いいね。とても目立つ」
マリアは勝気に微笑んだ。
「せっかくの機会ですから、タイムでも目立とうと目論んでいます」
「それがいい。そして、あなたにはそれが出来る」
マリアは周囲を眺めた。
一箇所に馬が集められ、馬主たちが興味深そうに観察している。彼らの瞳は血眼と言うよりは、どこか慈愛に満ちている。
「あんなに一生懸命眺めて。馬主さんたちは、本当に馬が好きなのね」
「まあそれもあるが、いい馬というのは数字では計り切れないものだからな。馬の動きだったり視線の向け方だったり気性だったり、そういったことも購入の際の判断材料になる」
テオはそう言うと、マリアを振り返った。
「マリア、そろそろタイムの計測時間だ。トビアスに連れて行ってもらえ」
「はい、分かりました。行きましょうトビアス」
マリアはトビアスと連れ立ってその場を離れた。
去り行くその背中を見つめ、アロイスがテオの横に立って尋ねる。
「あれからどうですか?奥様は、その気になりましたか」
「いや、まだ何か迷っているみたいでな。妻には迷いがあるならやめておけ、と言ってある」
「なるほど。テオ様らしい勧め方ですね」
テオはそれを聞き、ぎょっとしてアロイスを振り返った。
「んなっ!アロイス。君は……」
「僕はテオ様から十年ほど御指導賜った身です。その話し方の癖みたいなものは、よくよく承知ですので」
「……」
「やめろと言われると、人はやりたくなるものですから。そうでしょう?」
「うーむ。よもや見抜かれていたとは……」
テオは腕組みをする。
「マリアは……」
コースに、馬に乗ったマリアがやって来るのが見えた。
「馬に乗った時、とてもいい顔をするんだ」
アロイスも遠くで手綱を握る彼女を眺める。
「分かります。急に全体がしゃきっとしますよね」
「私はずっと、彼女のしおれた顔しか見たことがなかった。馬に乗せたら急に表情が豊かになるのを見てからというもの、私はそれをずっと見ていたいと願ってしまう」
「しおれた顔?」
「ああ、彼女はうちに来る前は、ギルバート家の奥方だった。彼女はあの家で、ずっと夫の機嫌ばかりうかがう生活を強いられていたらしい。私は彼女に懸想していたから、離縁されたのを機に娶った」
「そういう経緯があったのですね」
アロイスはふうと一息、ため息をつく。
「馬のいいところは、何をするにも真っすぐなところです」
テオは感じ入るように頷いた。
「ああ、そうだな」
「まあ動物全般に言えますが、我慢をしないし、無理もしないし、けれど確実に相手より優位に立とうとしますよね。あの奔放さ、人間からすると羨ましいです」
「ふむ」
「きっとマリア様も、馬のそういったところに惹かれているんではないでしょうか。実は僕も、さんざんセンティフォリアには世話になった。心が折れそうな時、とても助けてもらったんです」
ゼッケンをつけた人馬三騎ずつで、計測をスタートする。
マリアがレーンの中に並ぶと、馬主たちからどよめきが起こった。
彼女は彼らに向かって、どこか強気に微笑んで見せる。
旗が振り下ろされた。
マリアは逃げ馬に乗った喜びに身を任せ、計測騎乗をスタートする。
いきなりの猛ダッシュに、テオとアロイスは互いを見交わして微笑んだ。
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