第14話 アンディの婚約者

 昼休憩を挟んで、午後もレースは複数行われる。


 マリアとテオは自身のローヴァインファームの馬に賭けたが単勝は全て外れ、外国産馬の勢いも考慮し、三連単でどうにか一勝をもぎ取った。


 馬券を換金しようと列に並ぶと、向かい側からアンディとその婚約者がやって来るのが見えた。


 それに気づいたのか、妻を守るようにテオの手がマリアの背に回る。


 と、後方からジャンがアンディに向かって歩き出した。マリアは嫌な予感がして、ジャンを引き止める。


「ジャン!アンディのことはもういいのよ」


 ジャンは苦々しい顔で振り返ると、執事らしからぬ反論をする。


「言われっぱなしでいいのですか?反論しないということは、噂を認めたと周囲に思われてもおかしくないのですよ?」

「でも……」

「奥様は優しくて聡明な方だ。それが陰であんな言われよう……私は悔しくてたまらないんです。衆目の前で一矢報いなければ、私の気が収まりません!」


 ジャンが言い募っていた、その時だった。


「おや、マリアじゃないか」


 意外にも、アンディからそう言ってこちらに歩いて来たのだ。


 ローヴァイン公爵家一同は固まった。


 アンディは若い婚約者を連れ、どこか勝ち誇ったような顔でマリアの老いた夫を見やると、こう言ってのけた。


「ローヴァイン公爵、ご結婚おめでとうございます。マリア、次の結婚は意外と早かったんだね」


 マリアは怯えながらも、心の中で前夫の振る舞いを唾棄する。


(何よ、嘘を広めておいて白々しい。それに〝意外と〟は余計よ!)


 テオは微笑みながら妻の肩を引き寄せると、年長者らしく鷹揚に振る舞う。


「ありがとう。長らく思い慕っていたマリアを妻に出来たことは、私の人生最大の喜びだ」


 マリアはそれを聞いて赤くなり、ジャンは感じ入るようにうんうんと頷いた。


 アンディは老騎士の意外な発言に眉をひそめる。


「長らく……?」

「手放してくれた君には感謝してもし切れないくらいだ」

「……!」


 アンディが明らかに苛立ち、目の色を変える。マリアには、アンディの焦りが手に取るように分かる。彼は自分の思い通りにことが運ばないことに、何より傷つき苛立つのだ。自分が価値なしと手放した妻が誰かに思い慕われ、価値があるとみなされていたなど、思いもよらないことだったらしい。


 マリアはアンディの婚約者に目を移した。


 彼女はまだあどけなさの残る少女だった。ふわふわの赤毛に緑の瞳。とても若い。その無垢な瞳や不安げな表情に、マリアはかつての自分を見るようだと思った。


「マリア……?もしかして、前の、奥様?」


 そう言って困惑の表情を見せる少女に、マリアはハラハラする。


(とても不安がっているわ。可哀想に……アンディはこんな時に私なんかに声をかけるべきではなかったのに。彼にはなぜそれが分からないのかしら)


 マリアは年齢から来る余裕からか、目の前の少女に尋ねた。


「初めまして。私はアンディの前の妻、マリアよ。ええっと、あなたは……?」

「は、初めまして。私はシルヴィア・フォン・テニエスと申します……」

「シルヴィアさんね。もし困ったことがあったら、いつでもローヴァイン屋敷を訪ねてね。すぐ力になるわ」


 その途端、アンディの目が苛立ちに光るのをマリアは見た。


 マリアはテオに肩を抱かれていることもあってか、震えながらもまっすぐ元夫を見返す。


 両者の間に見えない火花が散った。


 シルヴィアは婚約者の、普段見せない鋭い眼光にびくりと身を震わせる。


 アンディはそれを誤魔化すように婚約者の肩を抱き、取り繕った。


「馬鹿な……困ったことなど起こり得るわけがない。仮に起こったとしても、君のような者に相談するわけがなかろう」


 マリアは心配そうに眉をひそめてシルヴィアに向き直った。


「……どうか、頑張って。私はあなたの味方だから」


 シルヴィアが恐る恐る頷いたのを、アンディは苦々しく見つめる。


 マリアはテオに寄り添うと、そそくさとその場を離れた。




 馬車の停留所まで来ると、ジャンがにこにこしながらマリアに言う。


「いやー、胸がすく思いです。テオ様の機転に、マリア様の心配に見せかけた苦言、最高でしたよ!」


 マリアは驚いた。


「そんな……私はシルヴィアさんが不安そうだったもので、つい」

「アンディ様の苛ついた顔ったら。あることないこと言いふらし、勝手にこちらを見下す態度を取った挙句自らの立場の優位性を示そうとして返り討ちに遭うなんて。彼には思いもしなかったことだったでしょうね」

「ふふふ……それはそうね」

「結婚相手が若ければ若いほどいいとでも思っているんでしょうか。浅はかです!」


 テオが肩をすくめる。


「ジャン。その言葉、私には……」

「……あああっ、す、すみません……!」


 マリアは我慢し切れず、くすくすと笑う。


 三人は馬車に乗ってローヴァインの屋敷へと戻って行った。


 マリアはテオの肩に寄りかかりながら、怒涛の一日を反芻する。


 アロイスとセンティフォリアの、人馬一体の走り。


 シモンの、馬への愛と情熱。


 それから──


(シルヴィアさん、大丈夫かしら)


 マリアはあの少女のことを心から心配していた。


(引き返すなら今だわ。私は彼の言いなりのまま十年も、苦しい時を過ごしてしまった)


 静かに物思いに耽っているマリアに、テオはそうっと囁く。


「……考え事か?」

「ええ。もう誰にも苦しい思いはして欲しくないと思って」

「しかしアンディは非常に外面そとづらがいい。私ですらしばらくその裏の顔に気づかなかったのだから、騙されない方が無理筋な気がするな」

「確かに、そうですね」

「しかしなぜあいつは、そんなに人の目を気にして生きているんだ?弱いものに強く出たところで、自分の順位が上がるわけでもあるまいに」


 マリアはため息をついた。


「もう、彼のことは思い出したくもありません。ところで……」


 マリアはテオにしなだれかかると、気を取り直したようにこう尋ねた。


「シモン様がおっしゃっていた一目惚れの件……あれはどういうことなのか説明してくださらない?」


 テオは途端に慌て出す。


「そ、それは、その……」

「前は私をひとりぼっちにしたくないと思って娶ったとおっしゃっていましたが」

「まあ、それもあるが……」

「何か隠すことでも?」


 テオは片手で顔を覆うと、観念したように告げた。


「アンディが君を王宮でどやしつける前から、私は君に懸想を……」


 マリアは幸せそうに微笑んだ。


「いつから?」

「……初めて君を王宮で見かけた時からだ」

「なるほど。だから私をつけ回して、アンディとのこじれた関係を知ったということなのね」

「要約するなっ。じじいがこんな嘆かわしい真似をしているなんて知れたら……特に君に知られたら、きっと嫌われると思って」

「それで、ずっと気持ちを隠していた、と」

「……まあ、そういうことだ」

「ふふふ。かわいいひと」

「からかうなっ。こっちは本当に、人生最後の恋だと思って……」


 マリアはテオに顔を近づけると、愛おしそうにそっとキスをする。


「シモン様には、とってもいいことを教えていただきました」

「……マリア」

「次お会いできるのは、いつかしら。あの人から、もっとテオの情報を引き出さなければ」

「ぐっ……なぜこんなことに……」




 それから二週間後。


 ローヴァインの屋敷に、シモンから一通の手紙が届いた。


 その手紙には、息子のアロイスと妻のミザリーを伴って、ローヴァインの屋敷に行く旨とスケジュールの都合伺いが書かれていた。


 マリアとテオは一も二もなく了承し、執事に手紙を託した。


 それから更に二週間後、ザックス伯爵家がローヴァイン公爵家を訪ねる運びと相成った。

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