馬に思いを乗せて
第11話 リューデル競馬場へ
マリアはテオと食事をしながら、例の断られたお茶会の話を持ち掛ける。
テオは虚空を眺めた。
「お茶会を全員に断られた、と……」
「ええ。なぜなのか分からなくて、不安です」
「まあ、そういうのは気にしてもしょうがないんじゃないのか」
このお気楽さが年の功と言うのだろうか。テオはあっけらかんとそう言った。
「でも……」
若いマリアは不安に任せて言い募る。
「社交界において、他家から無視される状況を見られるのだけは避けなければいけません。貴族は印象が大事ですから、他家との親睦を深め、策謀だらけの貴族社会で生きて行くためにはお茶会は必須なのです。もっと別の方々もお誘いした方がいいのでしょうか」
テオは端的に言う。
「断られた理由を知れば、そいつらはそのお茶会とやらに来てくれるのか?そういう人間は、君が何をやっても来ないと思うぞ」
マリアはしょぼくれて口をつぐむ。
「はい……」
「心当たりはいくらでもある」
「?」
「例えば、私が老いているし子もいないから付き合っても利益がないと思われている」
「!」
「地域の宗派によっては、離婚を悪と捉えるところもある」
「……」
「あとは、君も言ったいわゆる〝策謀〟とやらに巻き込まれているのだな。何かの派閥に属していないから仲間外れにされている」
「……なるほど、そうですわね」
マリアは暗澹たる気持ちになった。確かに、どれも心当たりがあることばかりだ。
「だから、別にやらなくてもいい。手紙を出したという事実だけは大事にすべきだが」
マリアは夫の青い瞳を眺める。
彼がそう言ってくれるだけで、心の棘が少し丸くなった。
「あなたがそう言ってくれると、心が軽くなります」
「ああ、そうだろう。幸い我が家には身分以外に、それなりの稼業がある。別にお茶会をやらないと死ぬというわけではないのだから」
その言葉尻に、マリアは軍人だったテオの過去を思う。
「そうですね。死ぬわけでは……」
「でももし、君に誰かを惹きつけたいという願望があるのであれば、努力しなければならない」
「努力?」
「そうだ。一番簡単な方法は、何かひとつに秀でておくことだ」
マリアは騎士候補生のように改まる。
「はい。一芸ということですか?」
「それでもいいが、誰が見ても一目瞭然で秀でている部分があると尚良い。外見でもいいし、内面でもいい」
「……あなたは、人を率いるために何をなさったの?」
「まあ、私の場合は軍隊だからなぁ。この身分に助けられたのは勿論だが、基本的には腕っぷしでのし上がったわけだ。ちょっと女性の世界とは違った価値観で動いているから、参考にはならんかもしれんな」
「腕っぷし……」
「自分で言うのも何だが、50過ぎても戦場に出ているような奴は、私以外いなかった」
「とても体が丈夫でいらしたのね」
「何、敵など先に殺してしまえばどうということはない」
急に物騒な話になって、マリアは苦笑する。
「私の一芸って、何かしら」
「そりゃ、乗馬じゃないか?」
「乗馬が上手で他家との親睦は深まるでしょうか……」
「まあ効果のほどは分からんが……ああ、そうだ」
テオは急に何かいいことを閃いたような表情で言う。
「マリア。君は競馬を見たことはあるか?」
マリアは頷いた。競馬場と言えば、ここも貴族の社交の場。前夫とも何度か訪れたことがある。
「はい。前の夫と、何度か」
「ちょうど、人づてに誘いを受けたところだったんだよ。うちの馬の馬主のひとり、ザックス伯爵が私の新しい妻を見たがっている」
「まあ」
「来てもらう考えもいいが、出向くのも悪くはあるまい?」
「そうですね。私も是非、うちの馬主の方とお会いしてみたいです」
「決まりだな。一週間後、少し遠出になるがリューデル競馬場に行ってみよう」
「はい!」
マリアはテオと初めての遠出をすることが決まり、急にお茶会のことなどどうでも良くなるのだった。
一週間後。
モスグリーンのドレスに大きな飾り帽子を身に着けて、マリアは馬車に乗っていた。
目の前には、シルクハットを被ったテオとジャンがいる。
リューデル競馬場が遠くに見えて来た。
この競馬場は、王立である。かつて誰も住んでいなかった古戦場リューデルに、当時の王が結婚を記念して建てたものだと言う。それからというもの、ここは競馬場とは名ばかりの、貴族の社交場になっていた。
「うちの馬は、三頭出走する」
テオが言った。
「ザックス伯爵はその中の一頭を所有している。昔はこの競馬場もマクレナンの馬がほとんどだったが、現在は外国勢がその勢力を伸ばしている。国王が所有する馬も、外国の馬なんだ」
マリアはくすくすと笑う。
「その国の王が国産馬をレースに出さないなんて、おかしいわね」
「まあ、仕方がない。うちの馬も含め、マクレナンの馬は最近とんと勝利から遠のいているからな」
「何ででしょうね」
「馬は血統がものを言う。現状、逃げ馬が一番早く走り、外国勢は特にその性質に特化している。あと、馬力が若干足りないんだろうな、この国の馬は」
マリアは自分の馬、国産馬ロルフのことを思った。
「ロルフは先行するか、差しに行くタイプ?」
「そうだな。あいつは先頭の馬を追いかけるタイプだ。それに狭い場所に入りたがる。逃げ馬でないことは確実だな」
「差してから先頭に躍り出るには、どうしたらいいのかしら」
「私の経験では、最後のダッシュのために脚力を温存しておくという知恵の回る差し馬でないと、先頭には行けないと思う。まあこれは騎手の判断がものを言うだろうな。逃げ馬の弱点は後半息切れしがちということだから、差し馬の騎手はどの地点で力を抑え、どの地点で発揮させるのかをその馬に理解させ、最後のダッシュに全てを賭けねばならない。というか、マリア?」
「はい」
「何で急にそんな話をするんだ?」
マリアはぽかんとしてから、考え込む。
「いえ、ちょっと気になったもので……」
「ふむ。すっかり騎手の気分なのだな」
「最近馬に乗れていないから、気持ちが急いているのかもしれません」
「まあいい。今日はお遊びで賭けてみよう。自分の育てた馬が走るのを見るのは、順位に限らずいいものだ」
「ふふふ。本当に、そうですね」
馬車は競馬場に到着した。
マリアはテオの肘に身を寄せ、連れ立って降りる。
着飾った大勢の貴族が競馬場に一斉に歩き出していた。
マリアが興奮に任せて周囲を見回していると、ふと視界の隅に見慣れた人物の姿があることに気がついた。
前夫、アンディ。
彼が隣に年若い女性を連れ、人波を横切って行くのを見たのだ。
「……マリア?」
マリアはどきりとして、テオを見上げた。
「見たのか、アンディを」
マリアは少し遠慮がちに笑って、前に向き直った。
テオが囁く。
「気分が悪ければ、帰ってもいいのだぞ」
マリアは迷ったが、テオの腕に掴まっているのでそこまで気落ちはしていなかった。
むしろ、アンディの隣にいた女性が心配になって、好奇心の方が勝る。
「あなたとジャンがいるから、大丈夫です。行きましょう」
「そうか?何かあったら、遠慮なく言うのだぞ」
ジャンも後方で、うんうんと頷いている。
三人は競馬場内へと入って行った。
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