第10話 落胆なんかしない
気持ちの通じ合った日の夜に。
マリアはベッドの中で、テオに抱きすくめられている。
「……君が、嫌じゃなければ」
「嫌じゃないです」
マリアは震える声で答え、どきどきと胸を鳴らす。
初めて心が通じ合い口づけ合った日に、こうなることは何となく予想していた。
二人は歳が離れているとはいえ、愛のある夫婦なのだから。
「でもなぁ」
その声に、マリアは赤くなった顔を上げる。
テオは困ったような顔で呟く。
「しばらく使ってないからなぁ……」
マリアはきょとんとし、体を離した。
「……はい?」
「しばらく使ってないから、使えるかどうか分からない」
「そうですか……」
「それでもよければいいが……。先に言っておこう。年を取ると、どうにもならない時はどうにもならない。若い男と比べて落胆しないように」
「は、はい」
マリアはそれも覚悟の上だった。
「それでも、あなたと愛し合ってみたいのです」
「本当に?途中でやめろと言われたら、こっちは立ち直れないぞ」
「そんな……やめろだなんて、言いません」
テオはマリアを組み敷いた。
「そうか……」
マリアは身を固くする。
テオの手は全てが緩慢で、どこに触るにも遠慮気味だ。
実のところ、マリアはその触れ方に心から安堵していた。
決して口や態度には出さないが……
(──痛くない)
マリアにはそれが衝撃だった。
前の夫は何かも大雑把であったし、何事も力尽くで押し通すように動くのだ。
マリアは勿論、前の夫としか経験がなかったので、男性というものは皆こんな風に女を扱うものだと思っていた。
テオがある程度老いているというのもあるだろうが、それにしてもまるで違う。
マリアはぐらぐら体中が煮えるような感覚に陥って、夫の厚みのある体を引き寄せる。
テオの体は元軍人ということもあり、彼女が思っていたような老いた体ではなかった。
まだ衰えぬ筋肉質の肢体には、たくさんの傷跡と、力の気配。
(……落胆なんてしないわ)
マリアはテオの頬に触れる。
「……あの」
「何だ」
「……使えましたね」
「……からかうな、こんな時に」
マリアはテオにのしかかられ、目を閉じた。
これが夫婦生活と言うのなら、今までの生活とは一体何だったのだろう。
次の日の朝。
昨晩の余韻に浸りながら、マリアはまだ眠っているテオの顔を眺める。
(……幸せ)
彼女は素直にそう思う。
(愛した人に愛されるって、なんて素晴らしいんだろう)
それが例え老いた男であっても。
そこまで考え、マリアはふと寂しくなった。
(きっとこの人は、私より先に死んでしまう)
どろりとした暗い気持ちがやって来て、マリアは目の前のテオに抱きついた。
(この人の子どもが産めたらいいのに)
そうすればきっともっと楽しく暮らせるに違いない、とマリアは短絡的に考える。
(でも、私はきっと子どもが産めない体なんだわ)
彼女はふと、思い出す。
アンディに「妊娠出来ないお前の体が悪いんだ」と言われ続けた日々を。
と、その時。
何もかもを見透かしたように、テオがマリアの背中をとんとんとあやすように撫でて来た。
「……おはよう」
「……おはようございます」
「君は朝から何でそんな辛そうな顔をしているんだ?」
「!」
マリアは目をこする。
「あなたは、また私の心を読んだの?」
「やはりか……何を考えていた?」
「……気を悪くさせたら、ごめんなさい。少し、あなたの寿命のことを考えていたの」
「そうか」
テオは半身を起こす。
「これが、私の人生最後のわがままなんだ」
夫の言葉にマリアも身を起こし、首を捻る。
「わがまま?」
「そうだ。最後で最大の、な」
「あなたは私を娶って下さったのを、ご自分のわがままだと思っているのね?」
「だって、君はまた若い男の元に嫁ぐかもしれなかった。その可能性を、私が惚れた勢いで摘み取ってしまったわけだから」
マリアはテオがいじらしくなって、肩に身を預けた。
「そんなこと言わないで。私、人生で今が一番幸せです」
「マリア……」
「私、あなたのことを愛した自分を誇りに思います」
テオが無言でマリアの肩を引き寄せ、彼女は震えながら夫の心に寄り添う。
マリアは着替えを済ませると、そうっとテオの寝室を出た。
すると寝室の前には、何やら泣きはらした顔のジャンが立っている。
マリアは一瞬どきりとしたが、彼の表情にほろりともらい泣きをした。
「……ジャン」
「すみません。き、聞こえてしまいました」
「大丈夫、聞かれて恥ずかしい話は何もしてないもの」
「奥様……」
マリアが自室に戻ると、侍女が待っていた。
新しいドレスが用意されている。
モスグリーンの、胸元から切り替えの入ったゆったりしたドレスだ。
「これは……」
「お針子のレベッカが縫い上げました。そろそろお茶会が催されるだろうから、是非、奥様のワードローブに加えて欲しいと」
「レベッカ……」
マリアには、まだ会ったことのない使用人がたくさんいる。
「……素敵な服を作る人ね」
「何か衣装についてご要望や改善して欲しい点があれば、彼女にお伝えしますが」
「不満なんてないわ。素敵な服をありがとう、とお伝えして」
「かしこまりました」
それから、マリアは自室でジャンと共に日課である手紙の整理を行った。
今日、各家の執事から、マリアが出したお茶会への誘いの手紙の返事が、一斉に届いたのだ。
各夫人から自分に宛てられた封筒を開封し、彼女は顔を歪める。
「あら……?どういうことかしら」
その書面をまとめてジャンに手渡すと、彼は手紙に目を走らせた。
「ふーむ。お茶会のお誘いは、みなさま不参加……?」
「こんなことがあり得るのかしら?うちへの誘いを、全員が示し合わせたように断るなんていうことが」
「まあ確かに、妙ですね」
二人は押し黙る。
「何か事情がありそうね?」
「……奥様。この裏は探っておいた方がいいのでしょうか?」
「そうねぇ。手間でなければ、ジャンにも協力を願いたいのだけれど」
「かしこまりました。他家の執事との情報網で、原因が分かればいいのですが」
朝食の時間が近づいて来ている。
ジャンは部屋から出て行き、マリアは困ったように頬杖をついた。
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