第4話 生意気な女

 屋敷に着くと、マリアはふらふらと自室に戻った。


 ジャンが水を運んで来る。


「昨日の今日で、まだ土地や生活に慣れていらっしゃらないのでしょう」


 マリアは、受け取った水をあおった。


「何も気にせずお休みください。テオ様も、それを望んでおいでです」


 彼女は無言で頷き、ベッドに身を横たえた。


(生意気なことを言ってしまったわ)


 マリアは内省的になり、急激な眠気に襲われる。


(ああ言えばこう言う……すぐに微笑みを忘れてしまう……ずっと気をつけていたことだったのに)


 新しい夫に見放されたら、もう行き場がない。


 二度も失敗した女など、貰い手がなくなってしまう。


 女は、ひとりでは生きて行けない……




 マリアは夢を見た。


 ギルバート家の屋敷で、アンディと向かい合っている。


 黒い髪を後方に撫でつけ、神経質そうな青白い肌に黒い瞳の男。


「だから言っただろう、ずっと笑い続けていろと。つまらない話をつまらない顔で聞いてる女がどこにいる?ハンプトン家の十歳児だってそんなことは承知なんだぞ!」


 マリアは身を震わせ、下を向く。


「駄目だ。あれではまた、次回の会には呼んでもらえない。王の寝室係になる千載一遇のチャンスだったのに!」


 マリアはアンディに気に入られるように、言葉を選ぶ。


「……申し訳ありませんでした。次は、笑顔を忘れぬよう努めます」


 アンディはふんと鼻を鳴らした。


「殊勝な態度で取り繕っているな?誤魔化すことばかり覚えて……その時出来なければ、どうしようもないんだぞ」


 マリアは目の前が真っ暗になった。


「子どもさえ産めないと言うんだから、それぐらいはやれ」

「……次は、挽回します」

「次があればいいけどな」

「……」


 マリアは耳を塞ぐ。


「……もうやめて」


 思わず口に出してしまう。


「もうやめて。私の心を壊すのは」


 アンディが振り返り、例の冷徹な目で彼女を睨みつける。


「生意気な女だ」


 いつものあの言葉を妻に浴びせ、アンディは部屋を去る。


 マリアは扉が閉まる音と共に泣き出した。


「……ごめんなさい!」


 声が虚空に空しく響く。




「許して下さい!許して……!」

「……マリア」


 マリアはその声に目を開ける。


 目の前にいたのはアンディではなく、テオだった。


 ぐるりと首を傾け、部屋を見渡す。


 ここはローヴァインの屋敷。


 マリアは震える瞳で、目の前でしゃがんでいる新しい夫を見つめた。


「マリア、どうした?泣き叫んでいるのが聞こえたから来てみたが……」


 マリアは目をごしごしとこする。


(いけない)


 マリアはとんでもないところを見られたと思った。


(精神的に不安定だなんて思われたら、どうしよう)


 テオは妻の顔をじいっと見つめると、低い声で問う。


「不安か?」


 マリアは思わぬ言葉にきょとんとする。


「……不安?」

「ああ。分からないことがあるとか、どこか体に異変があるとか、不安に思うことがあるなら何でも言いなさい」


 マリアは目の前が滲んで、何も言えなくなる。


「ああ、そうだ。言いたくなければもちろん何も言わなくてもいい」

「!」


 マリアはその言葉で、もう取り繕えなくなった。


「ふ、不安です」

「そうか、やはりな。老人の嫁なんかになって、それはそれは不安だろう」

「ち、違います」

「ん?違うのか……」

「私、また捨てられるのではないかと不安なんです」


 テオはぎょっとし、マリアはその顔を見て更にパニックになった。


「ご、ごめんなさい!私ったら、本当に口が下手で」


 すると。


 テオが、さも面白そうに笑い始めたではないか。


「馬鹿な。……嫁に来た昨日の今日で、君が捨てられるだと……」


 マリアは真っ赤になった。


「面白いことを言うな、マリアは」


 マリアは目をこする。


 と。


 テオの手が、遠慮気味にマリアの空いた手に伸びて来る。


 マリアはそれに気づき、胸の鼓動が跳ね上がった。


「あ、あのっ」


 テオの手が引っ込んだ。


「ああ、違うの……!」


 再び、そうっと手が伸びて来る。


 そのまるで子どものような挙動に、マリアは思わず泣き笑いした。


「ごめんなさい。あの……もしよろしければ、その手……寄越して下さらない?」


 テオもくっくと笑う。


 夫の手が、初めて妻の手に触れた。


 それを眺めながら、マリアは思う。


(私、この人のこと……)


「マリア、君はやはり疲れているんだ」


 マリアは頬を染め、どこか夢見心地に頷いた。


「晩餐の時間にまた呼びに来る。それまで、ゆっくり休みなさい」


 マリアは言われるがまま布団に入ると、安堵してそのまま眠りについた。




 テオは妻の部屋を出る。


 深刻そうな顔で佇んでいたジャンに、テオはそっと耳打ちした。


「……やはり、ことは想像以上に深刻なようだな」


 ジャンは頷く。テオは歩きながら、苦々しく吐露した。


「あんなにおどおどして……あれでは生き辛かろうに」


 ジャンが呟いた。


「使用人の方でも、何とか奥様の心を取り戻したいと」

「……苦労をかけるな」

「いいえ、苦労ではありませんよ。だって……」


 ジャンはにっこりと笑う。


「我々は嬉しくてたまらないんです。ようやく、テオ様が辛い思い出から立ち直って、新しい恋をなさったんですから」


 それを聞いたテオは声も出さず、くすぐったそうに笑った。

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