第5話 馬選び

 侍女たちが取り囲み、マリアの体を採寸している。


 新しい乗馬服を仕立てるためだ。


 マリアは時折くすぐったそうに顔を歪め、笑うのをこらえる。




 今朝、食堂にて。


「マリア。乗馬をやってみないか?」


 朝食を取りながらそうテオに提案され、マリアは一も二もなく頷いた。


 実のところ昨日牧場で馬を見てから、幼い頃の興奮が戻って来ていたのだ。


「でも、装備が……」

「それなら心配いらない。早速採寸しようじゃないか。お針子のレベッカが君の服を作りたがっている」

「あら……そうなのですか?」

「何せ、ずっとおっさんの服しか作っていなかったんだ。久方ぶりに嫁が来たので俄然張り切っている」


 そういうわけでマリアは服の採寸を終えると、テオと共に再び牧場へ行くことになったのだった。




 牧場に着くと、早速何頭か馬が連れて来られた。


 マリアはテオから拝借した紳士服をぶかぶかに着ていた。ちょっと動きにくいが、とりあえず馬との相性を確かめるだけなのでこの装備でも十分だ。


「どの馬がいいかしら」


 飼育員兼調教師の背高のっぽの青年、トビアスが答える。


「馬にも気性が色々ありますからね。荒い馬、繊細な馬、賢い馬、マイペースな馬……まあとにかく、相性のいい馬がいいですよ」


 マリアが悩んでいると、テオが声をかけて来た。


「こいつらは全員牡馬だ」

「あら、そうなんですね」

「貴族の女は男を選べない。だが、馬の牡なら選び放題だ」


 トビアスとマリアは笑った。


「……確かにそうですね」

「どんな馬が好みだ?」

「そうねぇ……」


 マリアは馬の瞳を見つめながら、ある一頭の馬に目を向けた。


「この馬に乗ってみたいです」


 それは若いが、賢い目をした馬だった。毛並みは全体的に黒く、鼻先だけが白い。


 トビアスが言った。


「これは三歳の、一番臆病者の馬です」

「へえ、臆病なのね?」

「はい。けれど無茶をしない奴なので、長く一緒に乗るにはいいと思いますよ」


 マリアは、この馬が臆病なのは賢いからだと判断した。


「この子に乗ってもいいかしら」

「はい、乗ってみましょう」


 マリアは馬に跨った。


 すると急に軽快に歩き出したので、トビアスは首をひねる。


「あれ……?あいつ、急に元気になったな」


 テオが呟く。


「……女を乗せたからだな」




 マリアは久しぶりに乗馬の姿勢を保つ。


 馬は右に左に大きく揺れながら走る。真っすぐ背を伸ばして乗っているだけでも、案外重労働なのだ。


 上下にも揺れるので、鞍にぶつかってお尻が痛い。


 けれどこの全体的にシェイクされるような感覚が、一番自由で幸せだった時代をマリアに想起させた。


「忘れてたわ……この感覚」


 マリアは手綱を操作し、ぐいぐいとコースを走り回る。


 幼い頃を思い出し姿勢を低くすると、馬は何かを察したように速度を上げた。


「まあ……よく訓練された馬ね」


 再び背を伸ばし、手綱を引くと馬は速度を落とす。


 マリアはこの黒毛の馬が気に入った。


 再び彼女はテオたちの元に戻って来る。


「決めたわ。私、この馬に乗ります」


 テオとトビアスはぽかんとマリアを眺めている。


 マリアは馬から降りた。


「……どうしたの?何かありましたか?」


 テオは破顔した。


「いや……大したもんだ。全くブランクを感じさせない走りだったな」

「昔を思い出したら、乗りこなせました」

「騎士でもこれだけ乗りこなせる奴は珍しい。マリアは女にしておくには勿体ない逸材かもしれん」

「まあ、お上手ですのね」


 マリアも笑う。トビアスは二人を交互に眺め、思い出したように言った。


「奥様。そいつの名前はロルフです」

「ロルフと言うのね。よろしく、ロルフ」


 マリアはロルフの頬を撫でてやった。


 ロルフは何やら得意げに鼻を鳴らし、テオは何事かじっと考える。


「マリア、馬に乗っている時の表情……まるで人相が違っていたぞ」


 マリアは自らの頬を抑える。


「えっ……そうですか?」

「ああ。何もかもから解放されたような、とてもいい顔をしていた」

「自分では、よく分からないです」


 テオは唸る。


「うーむ。ずっと馬に乗っていれば、あるいは……」

「?」

「こっちの話だ。とにかく、毎日のように馬に乗った方がいい」

「そうですか……?」

「乗馬服が出来たら、すぐにでも乗馬を再開しよう。夢にうなされることも減るだろう」


 マリアはどきりとした。


「昨晩は、取り乱して申し訳ありませんでした」

「何を謝ることがある……」


 言いながら、テオは少し苛立ったように妻の肩を抱いた。


「謝る癖がついているのだな。そういうことも、うちに来たからにはもう忘れろ」


 マリアは自身の肩に置かれた温かなテオの手を眺め、急にぶかぶかな紳士服を着た自分が恥ずかしくなって来るのだった。

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