第3話 馬と牧草地

 テオがやたらと人の顔色に聡い理由が、執事ジャンとの会話から判明した。


「テオ様は軍を率いておられました。人心掌握が出来なければ、人の上には立てません。敵や部下の顔色を一瞬で見抜けなければ、ここまでの地位を築くことは出来なかったのではないでしょうか」


 公爵家にあるどこか古めかしい茶会用食器をひとつひとつ見つめながら、マリアは頷いた。


「なるほど、そういうわけでしたか。私、驚いてしまって……」

「職業病のようなものです。あんまり心を見抜くので伝説の騎士と評される方もいらっしゃいますね。テオ様と話すと誰もが驚き畏怖しますが、気づけば皆さま、人の好さにほだされてむしろ信頼を置くようになるものです」


 マリアはテオの笑顔を思い出す。


 まだ、彼について知らないことが多過ぎる。


「夫は今回が初めての結婚……というわけではないのよね?前の奥様は、どんな方だったのかしら」


 マリアの問いに、ジャンは何か秘密めいた笑みを見せる。


「……私にお尋ねになりますか?それとも……」


 その含みのある言い方に、マリアは頬を赤くする。


「……そうね、あの人と話がしたいわ。彼はどこにいるの?」

「テオ様は、うまやに向かいました。もしよろしければ、テオ様のいらっしゃる場所までご案内致しますが」


 マリアは目を丸くしておうむ返しした。


「厩?」


 馬車に揺られ、マリアはテオのいる厩へと到着した。


 マリアはその光景に目を見張る。


 厩と言うからてっきりほったて小屋か何かだと思ったら、そこはまさかの牧場だった。


 しかもあの日見た羊などではなく、馬が放し飼いにされている。


 ドレスで来るような場所ではなかったかと思いつつ周囲を見渡していると、


「どうした?」


 急にあらぬ方向から声が飛び、マリアはびくりと身を震わせた。


 振り返ると、そこには馬に乗ったテオがいた。


 御者台からジャンが降りて来て主人に告げる。


「マリア様がテオ様と話がしたいとおっしゃるので、急遽馬車を走らせました」


 テオは目を丸くし、そのままの視線を妻に飛ばす。


「……マリアが?」


 マリアは真っ赤になった。


「まあいい。うちの仕事がどういうものなのか、実際に見ておくのはいいことだ」


 テオは馬から降り、ジャンにその馬を片付けさせた。


 そして、ひょいとマリアに肘を突き出す。


 彼女が戸惑っていると、


「嫌か?」


と彼が尋ねて来たので、マリアは首を横に振った。


「いいえ」


 マリアがテオの腕に手をかけると、テオは彼女と連れ立って歩き出した。


 少し先に馬が勢いよく走るコースがあり、二人はそこで足を止める。


 調教師を乗せてあらん限りの速度で走っている馬もいれば、鞍を付けて延々と散歩している馬まで様々だ。


「うちは代々、馬を育てている」


 マリアは軽快に走る数々の馬に目を奪われる。


「馬……?」

「主に競走馬だ。君も、競馬を見たことぐらいあるだろう」


 マリアはどきどきと胸を鳴らす。


 こんなことがあるなんて。


「……実は私、子供の頃乗馬をやっておりました」


 テオは目を細めた。


「そうか……それはいい」

「娘の頃になると、じゃじゃ馬になるのではと父に馬を取り上げられてしまいましたが」

「もう年頃も過ぎただろう。なまった体を動かすのに、乗馬はちょうどいい運動になる。ここに来たのを機に、乗馬を再開してみてはどうだ?」


 マリアは胸を抑えて頷く。


「いいですね……素敵」

「マリアがいいと思う馬に乗るといい。今日はその格好だから無理だが。ところで……」


 テオは妻に向き直る。


「何か話したいことがあって来たのではなかったかな?」


 マリアは急に緊張し始める。


「……ええっと……」

「言いにくいことか?」

「……」


 マリアは勇気を出して、夫に寄り添った。


「その……前の奥様は、どんな方でしたか?」


 テオは少し呆然としてから、ふっと笑った。


「何だそんなことか……そりゃ、素敵な女性だった。結婚後、病気ですぐに亡くなってしまったが」


 マリアは沈痛な面持ちで頷く。


「そうでしたの……」

「あいにく私はその時出征中でね……今でも彼女をひとりぼっちで死なせたのを悪かったと思っている。なぜあの日出て行ってしまったのかと、ずっと後悔しているんだ」

「!」


 マリアは顔を上げた。


「そ、そんな……」

「だから軍人である限り、しばらく結婚はしないことにしていたんだ」

「……そういった事情があったのですね」


 マリアとテオは見つめ合う。


 マリアはなぜ今自分がこんなことを聞きたくなったのかを、自身の胸の中で自問自答する。


 きっと飄々としたテオの表情の片隅に、隠し切れない悲しみを見出していたからに違いない。


「では、退役したから妻を迎えようという気分になったということなのですか?」


 マリアの問いに、テオは少し面食らっている。


「いや……まあ、それもあるが」


 マリアが彼の様子に怪訝な顔をしていると、テオはこらえきれないようにくっくと笑った。


「!」

「すまない。君の真剣な顔がおかしくて」

「!!」

「まあ、何だ。その……先程言ったことは、難しく考えないで欲しい。事実を述べただけであって、君に何かして欲しいわけじゃないんだ。昨日、話し相手になって欲しいなどと言ったから、君に余計な負担をかけてしまったな」

「いいえ、そんなことありませんわ」


 マリアは首を横に振った。


「私が話したいと思ったから話し、聞きたいと思ったから聞いただけです。それに答えたあなたが、負い目を感じる必要はありません」


 一息に言ってから、マリアはハッと我に返った。


「ご、ごめんなさい。私、今、生意気なことを言いました……」


 急に青ざめて恐縮し出した妻を、テオはどこか深刻そうな顔で見つめている。


「どうした?顔色が悪いぞ」

「……はい」

「昨日の疲れがまだあるのだろう。無理に私に合わせなくても良い」

「すみません……」

「先に屋敷に帰れ。……体を壊すのだけは、勘弁してくれよ」


 マリアは先程の話もあり、素直に頷いた。


「おーい、ジャン!マリアを屋敷へ連れて行け!」


 テオが執事を呼び、馬車が忙しく用意される。


 マリアは動悸のする胸を押さえ、屋敷へと運ばれて行った。

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