AIが物語をつくることについて

つきかげ

第1話 AIが物語をつくることについて

 2022年11月にChatGPT3.5が登場し、世界がひっくり返った。

 そのとき、誇張ではなく、ぼくの脳内で『ようこそ、新しい世界――世界2.0へ』みたいな大きなテロップが流れたような衝撃があった。

 人間の専売特許と信じられていたクリエイティブな分野の領域、聖域がついに侵されたのだ。


 これまでにもAIはチェスや将棋、囲碁といった分野で次々に人間の能力を超えてきた。

 ぼくは以前、囲碁に夢中だったのもあって(うっかり五段くらいになってしまった。やりすぎだ)、Googleの開発したAlphaGoや中国の最強AI絶芸などに注目していた。

 そして、モニターを通して、韓国の伝説的な棋士、李世イセドル、世界最強の中国の柯潔かけつ、当時七冠で日本の歴史上最強の棋士である井山裕太など、超有名棋士たちが次々とAIに倒されていくのをぼくは見た。

 当時、囲碁の分野でもAIへの抵抗感を示す人も多かったが、もともと理系の分野や機械などに少しだけ興味があったぼくは、まったくといっていいほどAIに抵抗はなかった。AIの繰り出す、人間の常識からはずれた突拍子もない発想、美しい手筋、計算し尽くされた手順にただただ魅了された。AIによって人間の囲碁も一気に100年以上は進化したのではないだろうか。


 その後、画像生成AIのStable Diffusionが話題になってからは、すぐに飛びつき、寝る間も惜しんで、数週間は猿みたいに「すごい! すごい!」と、ひとりでぶつぶつ言いながらPCにかじりついていた。

 ぼくはといえば、だいたい爬虫類とか宇宙の絵ばかり出力して遊んでいた。

 友人はちょっとエッチな百合の女の子の絵ばかり出力していて、その頃のAIは現在よりも少し認識が甘かったのか、複数人の女の子の腕が結合した奇形のような状態で出力された絵などをよく見せてくれたのを覚えている。


 画像生成AIを使うとものの数秒で洗練された綺麗な絵が完成してしまうからか、SNSを見ていると、絵師さんのなかには生成AIに対して警鐘を鳴らしている人も多いように感じられる。

 大手SNSのX(旧:Ttwitter)でも、「11月15日から画像をAI学習するようになる」という噂が広がり、それに反発するようなポストをしている人が多く見られたのは記憶に新しい(実際には11月15日以前から学習は行われていたらしいが)。


 ところで、物語はどうだろう。

 たしかに、長らく人間の聖域だった分野にAIが入門してきた。

 芥川賞作家の九段理江さんは受賞作で、ChatGPTのような生成AIを使用して書いたと公言して話題になったが、実際にAIの文章が使われた部分は、全体の5%程度だという。

 これはリアリティのある数字で、実際、AIを使って書くのはそのくらいが限界だろうなと思った。


 ChatGPTを知っていて、かつ小説を書いている人なら一度は「ChatGPTに小説書かせたらどうなるだろう」と試してみた人も多いのではないだろうか。

 しかし、最初は感動、または畏怖するかもしれないが、やっていくうちに徐々に落胆していくに違いない。

 単純に、ChatGPTの紡ぎ出す物語は面白くないからだ。


 なぜか。

 今はまだAI側に、物語の構造に対する理解や、キャラクターの造形に対する理解が足りていない部分があるのかもしれない。そしてこのような部分は将来、技術的に改善できる可能性がある。

 しかし、ぼくはもっと根本的な部分に「AIの書く物語」のつまらなさがあるような気がするのだ。


 所詮機械には人間の心が理解できないとか、機械の作り出す物語には温かみがないとかいいたいわけではない。現状はそうかもしれないが、人間の心や、人間が温かいと感じる要素なども、将来的には再現できる可能性は高いのではないかと思う。


 思うにAIには、多くの物語にとって重要な部分が書けないのではないだろうか。

 面白いとはなにか、みたいに語ろうとすると長くなるので、ここではほんの上澄みだけに止めようと思う。


 ぼくが個人的に面白いと感じるお話には、暴力的だったり、残酷だったり、強烈な皮肉だったり、風刺になっていたり、ちょっとエッチだったりといった要素が含まれている場合が多いと思う。


 たとえば少年漫画にはバトル漫画が多く、バトル漫画が面白いのは暴力的な要素があるからだ。詳しいことはわからないけれど、狩猟本能が関係しているような気がする。また、外からの暴力に対して主人公が体を張って、暴力で対抗して仲間や子どもを守ったりする描写に人が感動するのは、今よりも人の命の安全が保証されていなかった時代に、そのような経験を積み重ねてコミュニティ全体を維持してきた歴史がDNAに刻み込まれているからかもしれない。


 でも、ChatGPTなどの多くのAIは現状、このような物語を作れない。

 試したことのある人も多いかもしれないが、残酷な物語を書いてほしいと思っても、暴力的な物語を描いてほしいと思っても、エッチな物語を書いてほしいと思っても、ChatGPTは出力してくれない。


 それどころか、ときには怒られる。

 さっき少し話題に出したぼくの友人なんかは、ChatGPTの機能でしつこくエッチな画像を出力しようとしたら、半年くらいBANされて悔しがっていた。


 どうやら欧米は暴力表現や性表現にかなり厳しいみたいで、欧米の会社が管理・運営するAIでは将来的にもこのような物語を作れない可能性が高いんじゃないだろうか。


 このような理由から、少なくとも向こう数年のあいだは物語の分野でAIが人間を駆逐する未来はぼくには見えない。

 過剰なフィルターにより面白い物語の生成が阻害されているのが現状で、このフィルターは薄くなるどころか、今後もさらに厚くなって、自由な物語の創造が遮断されていく可能性さえある。


 しかし、エッチではない文学とか、エッチではないラブコメとか、日常のちょっとふしぎな話、登場人物が食事をしてレビューする話、毒のない子供向けの平和な話、みたいな物語であれば、将来的に人間を凌駕する物語を書くことはできるかもしれないとも思う。


 2024年9月にChatGPT o1-previewという新しいバージョンが出たこともあり、これまでよりさらにさまざまな問題に対してアプローチが可能になったらしい。詳しいことは調べていないからわからないけれど。


 ぼくは人間が作る物語が好きだけれど、AIにも抵抗はない人間のひとりだ。

 九段理江さんのインタビューを参考にして、最近では小説を書くときに、


「この状況では登場人物はどう思うだろうか?」

「このような状況に置かれた場合、登場人物はどのように行動するのが自然だろうか?」

「『制服の襟首をつかむ』といった表現は日本語として不自然だろうか?」

「この場合の適切な比喩表現は?」


 みたいに細かく質問しながら執筆するようになった。

 そのせいで、執筆にかかる時間は以前より大幅に長くなってしまった。ぶっちゃけ同じ分量の小説を書こうとしたときに、以前の2倍はかかるようになってしまったのではなかろうか。少し書くだけでへろへろだ。

 しかし、そうすることでほんの少しでも作品のクオリティを上げることができるのなら。

 少なくとも生成AIは、現状では面白い小説を作ることはできないけれど、執筆する人間のよきパートナーとなれるのではないだろうか、と思うのでした。


 AIが苦手な人がいるのも知っているので、誰かの気分を害してしまうようであればこの記事は削除します。



 了

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