第4話 中国人の作文 その1 「新しい仕事への挑戦」

   在日22年間、様々な仕事(肉体的に辛い労働)をされてこられながら、還暦(60歳)を過ぎた近頃、介護施設のドライバーになった(転職)という中国人女性の話です。

  まさに、「百尺竿頭に一歩を進む」(伝灯録。百尺の竿 の先に達しているが、なおその上に一歩を進もうとする。すでに努力・工夫を尽くしたうえに、さらに尽力すること。)という言葉は、このおばあちゃん(失礼!)のことを謳ったのではないか。因みに、わたしは68歳のおじいちゃんですが「このガッツを見習わなければ」と強く思いました。

    まるで、ただひたすら坂の上にある雲を見つめて上り続けた明治人の物語である、司馬遼太郎「坂の上の雲」の主人公たちを彷彿とさせてくれる話(作文)です。どんな悲惨な境遇・運命でも、明るさと前向きな心を失わない。しっかりと、地に足のついた生活をされている。プロレタリア文学の傑作といわれる、葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」1926年(大正15年)のような、しかし、パールバック「大地」の中国人らしい力強さを感じさせる女性の姿が浮かんできます。


2024年11月19日

V.2.1

平栗雅人


 <引用と私のコメント『→』> 原文はすべての漢字にふりがなが振られている。


 「最近、新しい仕事を始めました。ある介護施設の送迎車のドライバーになりました。数えてみたら、私は日本に来て、今年で22年目になりました。還暦を過ぎた私が、まさか送迎車のドライバーになるなんて、夢にも思いませんでした。」


  → 文化祭会場(生徒の作文コーナー)で、この作文のこの出だしを読んだ私は、思わず笑いました。けなして笑うのではなく、心温まり、微笑ましくなったのです。

  オイオイ、なんて陽気な人なんだ。還暦過ぎてから転職なんていうと、普通は『なんで私はこんなに年老いてまで働かなければならないのか』なんていう、悲壮感までいかずとも、ネガティブな雰囲気が漂うものですが、この方は全くもって明るい。  この前向き・外向的な性格というのは、この方固有の性向(気質)なのか中国人気質由来なのか。

 「外国人として日本に住み、差別されました。」なんて「へなちょこ」人間ではありません。どんな目に遭おうとも、「坂の上の雲」を見つめ、汗水流して黙々と坂道を上っていく(明治の日本人もそうでした)。「乾いた空に続く坂道。後ろ姿が小さくなる。優しい言葉探せないまま、手を振り続けた。いつかはみな旅人。それぞれの道を歩んでいく。・・・」「夢を諦めないで don’t give up your dreams 岡村貴子」

  中国人というのはキリスト教でもイスラム教徒でもないのに、「神の目線」を持っている。だから、はたから見れば「60過ぎて転職してたいへんだなぁ-。」という状況を「まさか私が・・・夢にも思いませんでした。」なんて、ユーモア感溢れる話にしてしまう。

  さすが有史以来5,000年間、戦い続けてきた民族のことはあります。しかも、三国志の張飛や関羽といった英雄豪傑ではなく、この女性のような一市民でさえ「英雄豪傑」に勝るとも劣らない胆力を持っている。これが、共産主義以前、中国人の持つ一般大衆・民衆のパワーというものなのでしょぅ。

 「日本に来たばかりの時、言葉がわからなくて、生姜漬物の工場で働き始めました。家から工場まであまりにも遠いので、2回電車を乗り換えました。でもひとつ嬉しいことに駅の名前は漢字だったので、助かりました。」


 → ここも微笑ましいですね。

  一歩表に出れば、わからないことだらけ。若いキャピキャピギャルなら、周囲から声をかけてもらえそうですが、40過ぎのおばさんでは、こちらから人に何か聞くにも躊躇してしまいがち。そして、そんな不安な精神状態の中でも毎日働かなければならない辛さ。

  でも、さすが中国人といいますか、『駅の名前が漢字』という、ホンの些細なことに喜び・安心を見出し、それを励みにして、不安でしんどい通勤・仕事を乗り越える。

  私も台湾で生活していた時、人々の話す言葉はちんぷんかんぷんでしたが、駅の名前やお店の看板・食堂のメニュー等、書かれたものがすべて漢字でしたので、実利的・精神的に救われた(ホッとすることができた)ので、彼女の気持ちはよくわかります。


 「二番目の仕事は天理にあるクリーニング工場での仕事でした。今までの仕事より給料がよくて休みが少なかったです。( → 給料はよかったのですが休みが少なかった)

  この工場は毎年一月一日と二日だけ休みでした。ホテルのタオルやシーツなどを機械でクリーニングする仕事でした。工場の中は、夏は暑くて、冬は寒かったです。ここでだいたい、一七年間も働きました。職場の中国人は、日本語があまりわからなかったから、機械の怖さを知らなくて、ある日、動いている機械に頭をはさまれて、大変なことになりました。

  この工場は夜間中学に近いので、残業がない日は学校に来て遅くまで勉強しました。早く日本語が上手になりたいからです。だんだん生活が安定してきて、片言の日本語が喋れるようになってきたので、生活のためにやっぱり車があった方がべんりかなと思い始めました。いったん決めたら、すぐ自動車学校の講習を申し込みました。毎日仕事をしながら自動車教習所で講習を受けました。頑張って三ヶ月で車の免許を取れましたが、講習を受ける前と比べて、私は二キロも痩せました。

  考えてみたら、日本語の学科教本は漢字が多いから、読み方が分からなくても漢字の意味は中国語とだいたい同じなので、漢字を知らない他の外国人に比べてみたらラッキーですよね。」


 → 「中国人性・スピリット」というものが、彼女のさりげない文章の中にしっかりと表現されています。「頭をはさまれた」ら、悲惨・酷たらしい、恐ろしい、という気持ちになるものでしょうが、『大変なことになった』という表現力に、中国人固有の『神の目線』を感じさせられます。


  ○ 会社の休みが1月一日と二日だけなんていう会社で、おそらく外国人で言葉が不自由ですから、会社の言いなりで少ない休みを取り(17年間も)働かれていたのでしょう。

  ○ (運転免許取得を)思いついたら、即行動し・やり抜く(中国人)根性      

  ○ 「2キロも体重が減るくらい苦労した.」だけでこの文章を終えると、悲壮感が漂う暗いトーンになってしまいますが、「教習所の教本は漢字が多いので他の外国人に比べて恵まれていて、ラッキーだった。」という明るい結び方をされています。

  → 「ラッキー」という、あっけらかんとした言い方ですが、実は、中国人でさえ漢字を覚えるのは大変なのです。ひらがな・カタカナのような、発音の目安になるものががなく、いきなり漢字とその読み方・意味を覚えるのですから。


<参考> あるSNSから

<引用開始> 


  黒人のおばさん教授が日本語の素晴らしさについて英語で力説してた。  23 名前:おさかなくわえた名無しさん :2005/04/30(土) 12:09:42    ID:fhIrmXeo  


  アメリカの大学に留学中、日本語の授業に出た事があったが、黒人のおばさん教授が日本語の素晴らしさについて英語で力説してたよ。

  「漢字、ひらがな、カタカナの3種類の文字を使いこなすのは難しそうだが、子供などの入門者はひらがなから導入し、徐々に漢字を覚えて行く。

  漢字しか無い中国語では入門者が文章を書くのは非常に難しいし、漢字の使用を禁止してしまった朝鮮ではイディオムや文脈を掴むのがかえって難しくなってしまった為に優秀な文学作品は廃れてしまった。

  識字率が世界一でなおかつ優秀な文学作品が多数ある日本は漢字、ひらがなカタカナを上手く使い分ける事により、入門者から上級者まで幅広く対応しているのである。」というような事を言っていた。

<引用終わり>


 → 働き者の中国人に肥満は少ない。

  「2キロも体重が減った」といい、「2キロくらい誤差の範囲」だ、なんて言うことなかれ。中国人女性が2キロ減ったというのは相当なものです。

  中華料理(中国家庭料理)というのは、さすが5千年の歴史があるだけに、魚や肉・油料理が主体であるにもかかわらず(料理法が違うので)食べて簡単に筋肉にならない代わり、そう易々と肥満にもならない。彼女たちの体重というのは(しっかりした食生活の故に)安定しているのです。


  最近の体育会系の男女は、がたい(体格)が良いというよりも、肥満っぽい。固い筋肉の上に柔らかい脂肪の膜が被さっているような感じがする。

  50年前と比べ、焼き肉・ステーキ・ハンバーガーといった、食えばすぐに(筋)肉になるような、ハッキリ言って料理とは言えない(単に肉に味付けして焼いて食う加工食品)ばかり食べているから、確かにがたいは良い。しかし、ちょっと練習をしないと(夏休み等のシーズンオフ)、すぐに緩んで肥満っぽくなる。50年前の体育会系と比べて、丸みを帯びて女性っぽい感じがするのですが、今と昔とでは筋肉の質が違うのかもしれない。

  ひとつには、今の食肉(牛豚肉)は、(成長を早めるために)女性ホルモンが飼料に添加されている、と何かの本で読んだことがありますが、その所為なのか。    

  戦前戦中、日本人の若者が体操・運動をやっている(体操着)写真を見ると、明らかに今の若者の筋肉と質が違うことが感じられる。逆に、昔の相撲取りの体型は今のと比べて丸い。故千代の富士のような筋肉バリバリではなく、米や野菜で強くなった、もっと柔らかい筋肉のような感じがします。


2024年11月20日

V.3.1

平栗雅人


「三番目の仕事はプラスチック工場での仕事でした。車の免許があるから、リフトの操作や倉庫の片付けなどを任されるようになりました。プラスチック製品の製造や検品などより少し楽になりました。」


 → 誰に教えられるわけでも助けてもらうでもなく、自分の意志で選び、一生懸命努力して手にした運転免許証。その御利益というか成果が表われた、というわけですね。

  「差別された・苦労させられた」を念仏のように唱え、(心と身体で汗水流して)自分で自分の運命を切り拓こうとしない人とは決定的に違う中国人。この「魂の違い」とは、現世における利益ばかりではない(というのが、私の考えです)。  


  150年前、アメリカ大陸横断鉄道建設工事に於いて最難関だったのが、ロッキー山脈越えの線路敷設でした。この時、中国(清朝)からの移民が、最も危険な工区に廻され、その結果、彼らのおかげで工事は完遂しましたが何千人という中国人の命が失われたそうです。

(50年前、グレイハウンドのバスでアメリカ周遊をしていた時、「大陸横断鉄道は中国人の血と汗によって完成した。」と刻まれた石碑を、サンフランシスコで見ました。)


「差別と戦う」という、体裁のいいお題目を唱えるなんてことをせず、ただただ「坂の上の雲」を目指して進んでいった(中国人の)男たち。そんな彼らに私は、なぜかに郷愁(なつかしさ)を感じるのです。こういうガッツこそ、三途の川を渡りきるだけでなく、何億・何光年という、あの世の旅路において必要なのではないか、と。

  「4番目の仕事はホテルでの掃除の仕事でした。一年中エアコンが効いています。  この仕事は私一人で天理市役所地下一階のハローワークに行って、自分の希望を言って紹介してもらいました。」


 → 彼女がどんどん成長していく様子が見えてきて、励まされます。

  「日本語ができるようになった」から生活の幅が広がり質が向上し、生きる喜びが増したというわけではない、と私は思います。

  この中国人女性に備わる向上心・努力家性向・前向きな明るさこそが、劣悪な労働環境から彼女を救い出し、より環境の良い職場・収入のいい仕事・よき友人・知人へと導いてくれた、幸運を呼んだ、といえるのではないでしょうか。


「日本語の読み書きができるようになった」のは、彼女の向上心、前向きな取り組みの結果であって、語学という道具を使いこなすことができる人間性こそが彼女の最大の強み。だからこそ、中国人というのは裸一貫、一人で世界中どこへでも行き、逞しく生活している。どこでも、中国人の名前と生き方を誇示して生きることができるのです。

  むかし(40年前)私は、中米コスタリカの首都から10数時間、列車に揺られて着いた小さな町で中華料理店(8畳ほどで客席15人くらい)を見つけました。そこのウエイター(経営者の娘さん)に手振り身振りで「ラーメンを食べたい」と伝えたら、日本でも食えないような美味い中華ラーメンを(リーズナブルな値段で)食べさせてくれました。

何十万人という住民が、アメリカのコントロール下にある軍事政権によって虐殺されたエル・サルバドルの首都(米映画「サルバドル/遥かなる日々」1987年)でも、一軒だけあった中華料理屋の中国人ウエイター(経営者の息子)から、同じ饗応を受けました。ここには1週間いたので、毎日おいしい「エル・サルバドル風・中華ラーメン」を食べていました(20年前)。

中米で最も治安が悪い国といわれ、しかも、あれだけ虐殺の嵐が吹き荒れた中、辛抱強く彼の地にとどまり、粘り強く美味い中華料理を作り続けて店を繁盛させる中国人のガッツ。「外国人だから差別された」なんて甘ったれたことを言う人間であったら、すぐに消えていたでしょう。

********************************

そして、現在従事している5番目の仕事(介護施設の運転手)では、

  「面接から仕事のやり方までの説明を聞いて、すぐ分かりました。名前や地名も聞き取れるし、仕事用のルールも読めるし、運転中に利用者と会話もできるし、みんなと交流ができて楽しいです。2年前では考えられないことです。」

 → 還暦を過ぎてからも、進化(進歩し発展すること)・進歩(物事が次第に発達すること。物事が次第によい方、また望ましい方に進み行くこと)しているおばあちゃん !

「おい平栗、ジジイのお前は何をやってるんだ!」と、神様から叱られているようです。

「日本に来ていろんな仕事をしている中で、いろんな経験をしました。もちろん、感じたこともいっぱいありました。」

 → このさりげない一文に、20数年間、異国の地で「外国人としての扱いを受けてきた」彼女の苦渋・苦悶・苦闘がにじみ出ています。言葉ができないから、外国人だから、という理由で、経営者からいいように「こき使われ」ていたのでしょう。

しかし、中国人である彼女は、自分が迫害・差別・苦労と感じた個人的な経験をダラダラと述べて人の哀れみを乞う「差別乞食」ではない。

差別や苦労をユーモアで包み、決して自分の体験した「苦労や悲しみ」で他人の心を傷つけようとしない。これこそが、真に苦労や差別に打ち克つことのできた人間、といえるでしょう。

近代に入り英国や日本に侵略されようとも、現代では米国から虐められようとも(国際社会の中で不当な政治的差別や抑圧を受けようとも)、(前を見つめて)逞しく前進していく中国人。 さすが **「10億の蟻」。

項羽や劉邦・関羽や張飛といった英雄豪傑のみならず、中国人全員が「英雄の器」であるところに、民族の力というか、神から見た人間としての存在(感)を、このいち中国人女性から強く感じさせられました。

**キッシンジャーが中国を訪問し鄧小平を脅した時、鄧小平が述べた言葉。「オレたち中国人は10億の蟻だ。100万・一千万人殺されても、一人一人が中国人性を持つ中国人は生き残る」と。

現在の日本は、政治屋もマスコミ屋(各種SNS含む)も警察屋も全部、在日韓国脳ばかり。彼らの(悪)影響によって、私たち在来種純粋日本人までもが彼らと同じ「弱い精神(権威や権力の庇護のもと何をやっても罰せられないという甘え・差別や迫害を訴えることで甘える)」になってきている。

しかし、そんな韓国脳精神では、これからの厳しい世界で正しく生きていくことはできない。

第一、カネやモノという形而下の話以前、正しくあの世へ行くことができなくなってしまう。2017年の日本アニメ「君の名は。」で描かれた「在来種純粋日本人の魂のループ(輪・環)」から外れてしまう(というのが私の極めて個人的な考えです)。

「甘え人間」ではなく、この中国人女性に見る「不撓不屈の強い心」を、これからどんどん日本に増えてくる中国人やベトナム人、タイ人といった逞しく生きている人たちから、私たち在来種純粋日本人は、もっと勉強させてもらうべきだと思います。

2024年11月21日

V.4.1

2024年11月22日

V.5.1

平栗雅人

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「畏るべし中国人」 夜間中学訪問記 V.5.1 @MasatoHiraguri

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