第3話 中国人の作文

  この夜間中学には、現在5人の中国人(女性)がいらっしゃるようですが、文化祭で掲示されていた彼女たちの作文からは、以下のような中国人の属性が読み解けるのです。

  (あの日、私が彼女たちの作文を読みながら想起したのは、パールバックの小説「大地」(1931年)でした。中国人なるものが象徴的に描かれた100年前の傑作文学と、いま自分が現実に知る中国人がピタリと一致するというところに、彼らの民族としての一貫性・真の歴史が感じられる。わたしが「感動した」というのは、そのことなのです。)


① 働き者・努力家

② 愚痴や泣き言を言わない

③ 明るい心と前向きな精神(向上心)がある

④ 人間が熟れている

⑤ 一人一人が、中国人として・自分独自の文化を持っている


  私たち在来種純粋日本人と全く同じではありませんか ! 

  中日それぞれ、感情の表現の仕方が若干異なるということだけです。つまり、私たち在来種純粋日本人も、自分の内なる日本人性を一人一人が自覚し・掘り下げていけば、中国人のような「強い民族」になれる、ということなのです。


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  私は、商社時代には数人の部下(後輩)に、坊主の時には一人でしたが下の者に、日記やレポートを書かせました。人は(あるまとまった文章を)書かせると、その人間というものがよくわかる。文は人なり(文章を見れば書き手の人柄が知れる)とは本当です。

  彼女たちが苦心して書かれた丁寧な日本語の作文には、先ず「強い熱意・情熱」が感じられる。その熱意をさり気なく、借り物でない「自分の言葉」で、的確に文章化している。

  外国語を習う者に限らず、ややもすると、人の言葉や文章を剽窃(「剽」は、かすめる意)他人の詩歌・文章などの文句または説をぬすみ取り、自分のものとして公表する人がいます。

  私もよくやりますが、自分の言いたいことを、シェークスピアの作品中の名文句から拝借するとか、古今先達の箴言や俳句・川柳から引用させてもらう、というのとは違う。引用ではなく剽窃です。

  もちろん、そういうことをやっている人間は、自分というものを見失う。自分の心の中でマネや剽窃を繰り返していると、自分と他人の区別がつかなくなり、精神分裂症的な性格がますます強まる。今、日本社会がおかしくなっているのは、そういう、しっかりとした自分を把握できず、手っ取り早く他人のスタイル・言動をマネ・剽窃してつじつまを合わせようとする人間が増えているからだと、私は思っています。そんな「贋者・精神分裂症人間」が日本社会を侵蝕し、それにつられて在来種純粋日本人までもが精神的に弱くなっている。


  そんな中で、異国の地に来て、朝から晩までしんどい仕事を何十年もやり、還暦を過ぎてからも「新しい仕事にチャレンジだ!」と、意気軒昂な中国人(女性)には感心します(5人の内のお一人)。

  


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