第2話 IL MUTO (無音)

 ヴィーチェがアレックスの所から戻ると、セリスは丁度お茶の時間だった。


「おかえり。」


セリスの静かな声がいつもと少し違って聞こえた。

 幼くして12騎士に任ぜられて、望みを総て叶えてきたと、セリスの事をヴィーチェはそう思っていた。表向きの役職である最側近護衛官ひとつとっても、軍の特務第一隊とは違う、精鋭中の精鋭である護衛官の中の更に上級の最側近の護衛官。何があっても国王をお守りするという誇りと実力を兼ね備えた役職とは無縁の音楽への情熱。

 それは年相応の若い熱量を持った願いなのだろう。ヴィーチェはセリスの傲岸不遜な態度も魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこしている、悪意の塊のような大人たちに負けじとつけた処世術の1つかと思えば、アレックスが言っていた音楽をさせてあげたいという気持ちがよくわかった。


「アレックス様からのお土産。薔薇の精油。これって何に使うの。」


 ヴィーチェが胸の間に挟んだ精油の瓶を取り出すと、セリスは吹雪でも起こさんばかりの凍てついた表情で受け取る。


「いや、バスタブに入れて匂いを楽しんだり、そもそも御山で育てられた特別な薔薇だ。簡単にいうなれば薔薇の香気でバフをかけるというかんじだ。ご自慢の指揮棒を召喚して実際にかけてはどうか。」

 わざと嫌味ぽくいうセリスがなぜ見せてもいない指揮棒の件を知っていたのか首を傾げ、全く解せないというわかりやすいヴィーチェの姿があまりにも幼く見えてセリスは可笑しかったのか口の端がぷるぷると振るえていた。

「出すわよ。Taktstock指揮棒.」

 魔術発動時の固有音である音叉の音が聞こえると同時に、燃え盛る炎のような鮮やかなオレンジ色に輝く指揮棒が右手に具現化する。


「それにオイルを垂らすとどうなるか。」

セリスの不敵な笑みをたたえた顔で発した言葉に操られるように、指揮棒に一滴垂らすと更に輝きを増した。

「シュテルンの総本山で作られた精油だ。攻撃にもバフが掛かるという…。」

 セリスの言葉が言い終わるか終わらないかの間に、ヴィーチェはタクトを振っていた。斜めに壁に燃えた跡が生じ、そこからは清々しいまでに澄み切った空が見えていた。

「最後まで話を聞け。言い訳はいらぬ。そしてごめんでの一言ですませられるほど、私は寛容ではない。覚えておくんだ、シュテルンの薔薇の精油のバフは攻撃力も増加させる。3分もすれば戻るが。私は少し頭を冷やした後に、エドガーに連絡してくる。ユーリ、馬鹿が壁に穴を開けたから、至急手の空いた妖精たちに修理は可能か聞いてくれ。急な申し出だから、賃金は倍払う。」

 セリスは冷めきった目でヴィーチェをみてこういった。


「タダ働きしてもらえますよね、お姉様。」

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