第十章 サクリファイス・フォー・フーム  ①

 金曜日。すべての授業が終わった後、慎太の担任の木下は、会議室の扉を開けた。

「失礼します」

 視線の先に、昨日夢で見た男の姿を認め、思わず視線を逸らした。その先には、入り口付近の椅子に座っている三人の教員の姿があった。


 陸上部の顧問、榊原。

 女子生徒に言い寄られているイケメン教員、小島。

 仕事がうまく行っていない二年目の教員、中川。


 他の教員の事情について、木下も良く知らなかったが、一様に伏し目がちな様子を見ると自分と同じ事情だろうということを察する。

 そして、入り口近くの空いている椅子に腰かけた。


 ロの字型に配置された長机の、入り口付近の一辺に教員たち。彼らは複数人いると思われる“アンドロメダ”の所持者たち。

 正確には所持者とは少し様相ようそうが異なるため、鏡谷は思い付きで、彼らの立場を因子所持者ファクターホルダーと名付けた。


 その四人の因子所持者ファクターホルダーたちが座る机の、右側の一辺に並んでいるのは、神秘隠匿組織“パンドラ”の鏡谷と久鎌井。そして、一人の生徒。


 堀慎太だ。


「慎太くん、あなたが何でここに?」

 木下の記憶では、彼は本日公欠と聞いていた。忌引きか何かだろうと勝手に思い込んで確認せずにいたのだが、まさかここにいるとは思わなかった。

「彼はSNSの投稿にあった、カニ怪人の正体でね。我々の協力者でもあります。今日は少し我々と打ち合わせがあって学校を休ませてもらいました」

 それを公欠に出来るのは、組織の力であった。

「さて、あなた方の、部屋に入って来た時の様子を見る限り、昨日みた夢のことは覚えているようですね? 特に、久鎌井くんには思うところがありそうだ。さて、話を進めるためにはアバターというものについて説明する必要があるのですが、昨日の夢でわたしと久鎌井以外に、変な怪人を見た記憶はありますかな? あるとすれば、それが堀くんです」

 鏡谷の説明に、四人全員が覚えているようなリアクションをした。

「あれがアバターと呼ばれるもの。そして久鎌井が見せた盾や剣の力、これが同調状態となったアバターの能力です」

 言葉を聞くだけでは、一体何の話をしているのかと首を傾げるところだが、目の前の女性から自分たちが夢として認識している出来事のことを話され、四人全員が何か得体の知れない事態に巻き込まれているのだという実感は湧いてきた。


「あなたたちが“アンドロメダ”の因子所持者ファクターフォルダーであることは確定と思ってよいでしょう。それでは話を続けさせていただきます」


 そうして、鏡谷から最近巷を騒がせていた複数の怪事件と、アバターについての説明がなされた。慎太はここにいるため、カニ怪人の正体として紹介されたが、『恋人のドッペルゲンガー』と『思い人の幻影』の正体が飯島洸であることはせられた。


 アバターという非現実的な存在について教員らは、洸や慎太のようにすんなりとは受け入れられていないようで、戸惑っている様子はうかがえたが、それを嘘だと否定する人間はいなかった。


 そして話は、本題の“アンドロメダ”へと移る。


 動画を見せて、“アンドロメダ”というアバターの存在を伝え、それが久鎌井や慎太のアバターと異なり、複数人がアバター出現の因子となっている、特殊なアバターであることを告げた。

 因子所持者ファクターホルダーは、普通の所持者と違い繋がりが薄いため、彼らの実感には個人差があったが、さすがに昨日のように久鎌井に行動を邪魔されて、かなりストレスとなったであろうことは明白で、印象が強烈に心と頭に刻まれたであろう。だから四人全員が夢としての認識ではあるが、昨夜の出来事を知っていた。


「でも、俺たちの何が、その“アンドロメダ”とやらを出現させているんだ?」

 榊原が疑問を口にした。

「それが重要です。アバターは所持者の『思い』を核として、他の多くの人間が同じように抱く『思い』を、ギリシア神話の登場人物等になぞらえて形作る。それは、複数の因子所持者によって生み出されたイレギュラーなアバターでも同様です。では“アンドロメダ”の『思い』は何か?」

 鏡谷が言葉を切り、教員たちを見渡した。

「それは、午前中に堀くんとも話し合いました。ああ、彼はギリシア神話に対する造詣ぞうけいが深く、頼りになります」

「ども」

 ぺこりと、慎太は首だけで頭を下げた。

 四人の教員も、思わず同様な動きをした。

「さて、最初は『悲劇のヒロイン、あるいは皆を救うヒーローになりたい』という思いかと思いましたが、それでは小島さん中川さんの思いとは少しずれてしまう。だから、『自分のやりたかったことはこんなんじゃない。自分のなりたかった自分はこんなんじゃない』という、理想と現実との不一致ではないかと想定しています。

神話におけるアンドロメダは、生贄に捧げられることで、皆を救うことになるはずでした。その覚悟を決めたはずでした。その立場は、ある意味で、生徒のためになら自分が多少犠牲になってもいいという、そんな教員になろうとした皆さんと一緒なのではないですか?」


 この点においては、四人は程度の差はあれど、全員がうなずいていた。


「しかし、自分の思い描いていた教師像や思い描いていた教育、部活動というものが行えなかったときに、『こんなはずじゃなかった』とか、『自分は頑張っているのに』といった仄暗ほのぐらいい思いが胸を過ぎってしまう。そんなことが少なからずあったのでは? 一人であれば、そこまで強い思いではなかったかもしれない。しかし、それが四人分集まったときに、“アンドロメダ”の核となってしまった。

そのような思いを抱くこと自体は、よくあることと言えるでしょう。むしろだからこそ、皆さんの『思い』を核として多くの『思い』が集まり、アバターが生まれてしまった。そして、そのアバターは同じような行動を繰り返した。自作自演で、自らが化け物に倒されることで皆を守ることが出来たという寸劇のようなものだ。それはきっと、あなた方の心を少し癒すことは出来ていたのでしょう。ちょっとしたストレス発散です。しかし、次第にエスカレートしてきた。あなた方に『自分は頑張っているのに』とか、『なんで自分ばかりがこんな目に合うのか』とか、負の感情が積み重なっていくことで。“アンドロメダ”の行動もエスカレートしてきたのだと、考えます。つまり放置できない状況になりつつあるのです」


「じゃあ、どうすればいいんだ?」

 小島が立ち上がって鏡谷に尋ねた。

「それは――」


「先生たちが認めればいいんです。自分の考えは、子供じみたわがままに過ぎないと」


 慎太が鏡谷の言葉を遮って言い放った。

「堀くん、言い方があるだろう?」

 鏡谷が落ちついた様子で慎太をたしなめるが、彼は引き下がることなく、話し続けた。

「だってそうでしょう? 洸くんは、本当は部活をやりたくないんだ。それでもやれっていうのは、榊原先生のわがままでしょう? 木下先生も、高橋くんを助けたかった気持ちは分かりますが、どうしようもないじゃないですか。もうやめるって言っているんですから。どこぞのドラマのようにハンマーをもって相手の家に乗り込むのも一つかもしれませんが、それを彼が望んでいるかも分かりませんよ。彼以外に学校に来て、先生を慕っている人もいます。それでも高橋くんのことに拘るのはわがままじゃないですか? 小島先生はそれとは反対に行動の仕様があるはずじゃないですか。ダメならダメで相手をしない、無視する。冷たくする。それをしないで、いい顔しつつそれでも分かってくれなんて、無理な相手には無理ですよ。中川先生は、自分の得意不得意を認めるべきです。それを認めずにただ『自分は頑張っているのに!』と考えるのは、頑張る方向性が違うか、ただ耐えているだけだということ。総じて皆さん、周りに対して自分への理解を押し付け、それでいて周りに変わることを望んでいる。それはわがままであると、ボクは思います」


「じゃあどうすればいいのよ!!!」

 中川が、机を叩きながら大きな声を上げた。


 しかし、慎太は驚いた様子もなく、冷静に答えた。

「認めればいいと言っているじゃないですか。認めるんです。認めたうえで、じゃあ、この先自分はどうすべきかを考えるんです。認めた上であれば、立ち止まるのも、引き返すのも、このまま突き進むのも自由です。でも認めなければ前に進めません。

 あの“アンドロメダ”は、生贄になれなかったところで止まっているんです。神話のアンドロメダは、生贄にされなかった後、自分を救ってくれた英雄ペルセウスと結婚して、幸せな家庭を築きます。多くの英雄は非業ひごうの死をげることが多いですが、ペルセウスは珍しく違います。つまり“アンドロメダ”は夫の不幸な死に見舞われることもありません。そして、二人の末裔まつえいにはかの有名なヘラクレスも現れます。生贄にされなかったことを受け入れることで、輝かしい未来が待っているはずなんです。だけどいま現れているアバターの“アンドロメダ”は違う。生贄になりたがっている。そこにこだわっている。進めていないですよ、前に。この精神性、これこそが、あの“アンドロメダ”の本質だと思うんです。だから繰り返している。同じようなことを自作自演で繰り返している。そこから抜け出すには、まず、いまの自分を見つめ、認めるしかないんです」


 中川は慎太の冷静な説明に、冷や水を食らったように落ち着きを取り戻していた。

 他の三人も、視線を下げながらも、慎太の言葉に思うところがあるような表情を見せている。


「そこで、あなた方にこの薬を渡したい」

 皆の表情を確認してから、鏡谷がポケットから小瓶を取り出した。


「これは睡眠導入剤です。堀くんやそこの久鎌井も使用しているものだから安心して欲しい。これはクリアな眠りを誘うことで、夢遊状態のアバターの出現率を高めるものだが、あなた方の場合は、“アンドロメダ”とあなた方との同調性を高めることを期待し、今日はこれを就寝前に服用して欲しい」

 そう言って、四人の目の前においていく。

「今日の夜。我々は学校の校庭で待機します。“アンドロメダ”が学校周辺の住宅街で出現する可能性は高いため、どこに出現しても対応はするつもりですが、もしもあなた方で“アンドロメダ”の行動を制御できるのであれば、学校の校庭に来て欲しい」

 四人が、おずおずと小瓶を手に取った。

 それぞれが、それぞれの思いで小瓶を見つめている。

 怒りなのか、不安なのか、苛立ちなのか、戸惑いなのか、それはそれぞれにしか分からない。


 慎太が立ち上がった。

 その物音に、皆の視線が集まる。

「ボク、待っていますから」

 そう言って部屋を出ていった。

「そうですね。教員の意地を見せていただけると、我々も助かります」

 そして、鏡谷と久鎌井もその場を後にした。


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