第四章 メモリー・オブ・ザットデイ ③
「なるほど、堀くんは優秀だね。わたしの推論も、君と同じさ。親からの思いを受けながらも、自分自身の在り方を迷う。そんな思春期らしい葛藤に対する『思い』が、絵に描いたような状況にいる飯島くんの『思い』を核として集まり、“アキレウス”となったのだろう」
鏡谷と名乗る女性は、そう言って頷いた。
「それが、オレの核となる思い……」
“アキレウス”である洸は、彼のアバターの本来の姿である、透明な人型になっていた。しかし、それでも言葉を発することが出来ていた。今までは本人が話そうとしていなかったから言葉を発することが出来なかっただけで、実際は話すことが出来た。
それも、彼が自分のアバターを受け入れたからこそ気づけたことであった。
深夜の公園。
鏡谷と久鎌井が並び、その正面にアバターの姿となった慎太と洸がいた。
鏡谷の言葉に続き、久鎌井が口を開いた。
「俺たちの仕事としては、君たちがアバターの能力を制御できる状態であってくれればいいんだ。実際、俺もアバターの所持者だし、俺の友人にもアバターの所持者はいて、彼女らは普通の生活を送っているよ。君たちはまだそれほど大きな事件を起こしてはいない。だから、今のうちに制御さえできれば、問題なく今まで通りの生活が継続できると思う」
「そんな大きな事件になることもあるんですか?」
慎太が久鎌井に尋ねた。
「ああ、実際に俺がアバターの所持者になった事件を話した方が、分かりやすいかもね」
そうして、久鎌井は自身の身の回りで起こったことを話した。
話の中心は、“アラクネ”というアバターの所持者となった少女の引き起こした殺人事件だ。
中学時代の同級生だった少女が“アラクネ”という
実際の事件はもう少し複雑で”ナルキッソス”や”エコー”といったアバターが関わっていたが、いまは
「そんなことが起こりうるんですね……」
久鎌井の話を聞いて、慎太が神妙な面持ちで頷いていた。
「ああ、そうだ」
久鎌井に続いて、鏡谷が口を開いた。
「負の感情から生まれたアバターは恐ろしい。自分でも制御できなくなってしまえば、人の命を奪うこともある。そのようなことが起きないようにするのが、“パンドラ”の最も大切な任務だ。だからこれから、君たちにアバターについて説明させてもらうよ。しっかりと聞いて欲しい」
ハスキーな声を相まって、二人にとっては気怠さばかりが印象的な女性であったが、今の彼女の口調には教官じみた厳しさすら感じていた。
鏡谷は二人の真剣な視線を感じ取り、話を続けた。
「アバターの所持者には、三つの段階がある。
一段階目は夢遊状態。寝ているときのみ、その姿を現すアバター。現在の堀くんと、飯島くんの状態だ。
二段階目は、同調状態という。自分が覚醒しているときに、アバターの力を自由自在に顕現させることができるようになる。それが今の久鎌井の状態だ」
「そうなんですね。なんで久鎌井さんはあの白騎士の姿じゃないんだろうと思ってました」
「じゃあ、見ていて」
そう言って久鎌井が右手を掲げると、黒色の
「これが俺の能力の一つ“ハルペー”だ。神話では鎌のような剣だけど、俺の“ハルペー”こういう形になった。でも、何でも切ることができる。そして」
今度は左手を掲げた。すると左手に白色の篭手が出現し、一泊遅れて篭手に付属するように盾が出現した。
「こっちは“アイギスの盾”。何でも防ぐことが出来る。後は姿を消す“ハデスの兜”と、君たちをここまで運ぶときに使った“ヘルメスの靴”なんかもある。ここら辺はこの前も話したね」
「さすが英雄。お宝のオンパレードみたいなラインナップですね」
ギリシア神話を読んだことのある慎太は、一人うんうんと頷いていた。その横の洸からは、姿は見えないながらも何のことやら理解できていない様子は伺えた。
「でも、あのボクを軽々と持ち上げた
「いや、あれもアバターの能力を発現することで得られる力だよ。どんなアバターを発現しているかで、力には差はあるけど、大体の場合、普通の人間では発揮できないような力が備わる」
「そっか、だからオレもあの不良たちを簡単にあしらうことが出来たんだ」
「ボクはあっさり負けたけどね」
「まあ、“カルキノス”だからと言えばそれまでだけど、それでも殴られてもそれほど痛くなかったんじゃないか?」
「それは……そうでしたね」
「打たれ強さ、
久鎌井の姿が一瞬で全身鎧の白騎士となった。
「これは出来る所持者と出来ない所持者がいる。まあ、それはいいや」
そう言った次の瞬間には、元の似合わないスーツ姿になっていた。
久鎌井の能力のデモンストレーションが終わったところを見計らって、鏡谷が話を先に進めた。
「それよりも君たちに知っておいて欲しいのは次の第三段階だ。それは同化状態と呼ばれていて、最早、アバターと自我の区別は無くなり、アバターそのものとなってしまう。その思いに
「それが、さっき話にあった“アラクネ”の状態だったんですか?」
「そうだな、最終的にはその状態になりかけていた。最初の殺人の際はまだ同化までは至っていなかった。それでも、人を殺めてしまっていた。同化状態になってしまえば、基本的にはもう元に戻ることは無いだろう。我々としては、そこまで至ってしまった所持者は、命を奪ってでも止めなければいけなくなる。“アラクネ”の時は、久鎌井くんの働きと、いくつかの偶然が重なり、奇跡的に救うことが出来た。しかし、やはり普通は無理だ。だからこそ、君たちのようなアバターの所持者となったものの動向を探り、こうやって話をしているのだ」
「で、結局オレたちは一体どうすればいいんすか?」
洸が鏡谷に尋ねた。
「そうだな。まずは君たちにこれを渡しておく」
そう言って、鏡谷は上着のポケットから小瓶を取り出した。中には錠剤が入っていた。
「それは安定した眠りを誘うものだ。雑念を持たない、クリアーな眠りはアバターとの同調の第一歩だ。これを飲むことで、アバターになりやすいだろう。なに心配はいらない、常習性はないよ」
二人は差し出されたそれを受け取った。
「君たちはこれから、可能な限り毎日これを飲んで、こうやって夜にアバターの姿で会おう。そうして君たちの能力を推し量りながら、君たち自身も扱いに慣れていこうじゃないか」
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