第四章 メモリー・オブ・ザットデイ ②

 洸は、両親の教育方針で様々なスポーツを行ってきた。

 保育園の頃から幼児向けの体操と水泳。小学校に入って野球とサッカー。小学校二年生になったらバスケットボールを始めた。母親は専業主婦になっていたから生活全般においてサポートしていたし、勉強のごとく自宅でも練習やトレーニングをやっていた。父親も体育教師だから、遊ぶと言えば体を動かすことか、あるいはスポーツの指導が行われた。そんなスポーツ英才教育と、本人の生まれ持っての素質も相まって、全てにおいて抜きん出た活躍をしていた。

 そして、四年生が終わる前に、球技においては何か一つに絞って専念しようと母親に提案された。


 洸はどれにしようかと迷っていた。

 洸にとっては、サッカーも野球もバスケットボールも、どれがいい、どれが好きということもなく、どれも同じだった。

 どれも等しく、惹かれるものはなかったのだ。


 運動は嫌いなわけではなく、競技そのものも嫌いではなかった。

 それでも、気持ちが熱くなるものはなかった。


 自分でもよく分からなかったが、どうしても周囲の目が気になった。

 ヒーローの如く活躍する自分に期待する目。

 レギュラー枠を奪われ、嫉妬する目。

 あいつは自分たちとは違うと、差別する目。


 活躍しても、何かスッキリできない自分がいた。

 その点では、水泳は個人競技であったから、そういう目は比較的少なかった。しかし、それでも指導員は目に見えて結果を伸ばしていく洸に対して、期待に満ちた目を向けてくる。それも疲れてしまうのだ。


 何よりも気になるのは両親の目だった。

 もともと理屈っぽい母親は、専業主婦になったことですべての関心が子供に向いていたため、運動や競技に関して『こうした方がいい』『ああした方がいい』という知りえた情報や、指導者の助言をすべて取り入れ、洸に強いていた。小さい頃は親が構ってくれることは嬉しく、親と一緒に体を動かすことは何でも楽しかった。しかし、いつからか出来ないことを叱られるようになり、結果が伴わなければ落胆されるようになった。


 出来るようになり、結果が出るようになれば喜んでくれるのだが、その喜びように、子供ながら何か違和感を覚えるようになってきた。


 自分を見てくれているようで、見られていない気がする。

 親自身のこととして喜んでいる気がする。

 結果を出しても何をしても、気持ちの悪い感覚が付きまとうようになってしまったのだ。


 すべてやめてしまえたら楽だろうと、洸も何度も思った。

 それでも、親の言うことに歯向かうだけのエネルギーも、彼にはなかった。


 そんな時、ドッジボールをやっている慎太に出会った。


 丁度、サッカーの練習の休憩の時に、体育館でドッジボールの練習をしていて、それをたまたま見たのだ。


 お遊びのドッジではない、競技のドッジボールだ。


 十人くらいが一直線のラインに並び、内野役と外野役が投げるボールの間を行ったり来たりしていた。


 洸は、そのラインの端に慎太の姿を見た。

 保育園から一緒で、顔は知っているし、話したこともある。機会があれば話はするだろうが、例えば学校が終わってから遊ぶような友人関係ではなかった。仲が良いとまでは言えない、知り合いか友人か難しいところだ。


 慎太の動きは、競技ドッジボールのことを知らない洸にも分かるほど、周囲から遅れていた。途中尻餅をついたしまうこともあった。ボールも当てられていた。


 しかし、何度か繰り返し行っている練習の中で、一回だけ慎太がボールを取った。


 そのボールの軌道は、慎太には当たらず、その横をワンバンしながら外野から内野にパスするボールだった。その軌道を慎太は読んだのか、ボールが手から離れる直前に、ラインから一歩離れた。


 そして、取った。


 その様子に、洸は心が震えた。


 十回中九回はうまくいかないような洗練されていない動きの中で、たった一度うまくいっただけのキャッチ。


 でも、下手な人間が努力し、必死でボールをつかみ取る様子に、洸は感動したのだ。


 それを見た瞬間、洸はドッジボールをすることに決めた。


 両親は驚いていたが、洸からやりたいと言ってくることが少なかったため、特に反対もしなかった。


 洸は、ドッジボールでもすぐにエースアタッカーとなった。

 しかし、洸にとってはそんなことはどうでも良く、慎太に話しかけていた。

 何事にも動じない慎太は、何を気にする様子もなく、洸に返答していた。むしろ周囲が二人の仲の良さそうな(実際は洸からの一方的なアプローチだが)様子に驚いていた。


 ある時、洸は慎太に尋ねた。

 何故、ドッジをやっているのかと。

 返答は実にシンプルだった。

 好きだからだと。

 洸には、不思議だった。あんなにうまく出来ていなくても好きなのか、楽しいのかと。

 自分はどれだけうまくできても、自分が感動することがないのに、そのスポーツを好きになることが出来ないのに。


 だから洸は決めた。

 慎太のためにドッジボールを頑張ると。


 六年の時、洸は入ったときからずっとエースアタッカーだったが、慎太は六年で何とかレギュラーをものにした。もちろん、ラインの端の働きを期待してだ。

 そして、全国に繋がる県大会で惜しくも二位だった。

 洸は、あの時が今までの人生で一番悔しかったことを覚えている。

 いや、初めてだった。結果を悔しいと思えたのは。

 慎太を全国に連れて行ってあげたかったのだ。


 中学に入ってからも洸はスポーツを続けていた。続けさせられていた。

 一方慎太は、スポーツはやめ、自分の趣味に時間を割くようにしていた。


 それでも、ドッジを通じて深められた二人の友情はずっと続いていた。




「オレにとって、慎ちゃんは憧れの存在なんだ。ドッジにしたって、小説にしたって、自分のしたいことをシンプルにやる。オレには真似できない。たった一人の尊敬する友人だ」

 洸の言葉に、何事にも動じない慎太も、さすがに照れて頬を掻いている。

「オレは、親に言われてスポーツをやっている。その成績はいいけど、でも自分の本当にやりたいことをやっているわけじゃない。このままでいいのかどうか、不安で」

「そういうことか」

 洸の話を聞いて、慎太にもようやく分かった。


 “アキレウス”から伝わってきていた。不安の正体が。


 言ってしまえば、思春期のよくある悩みではある。

 ただ、親の思いが強すぎて、子供の頃からその期待を浴びすぎて、自分がしたいことが何なのか、もっと言えば、自分の意思そのものが曖昧になってしまっている。


「あの“アキレウス”の姿は、あの足首にある手形は、親の思いで、それ以外の部分は、まだ何者でもない。自分ですらない。神話の中のアキレウスも、周囲から戦争に参加することを期待されながら拒んでいた。親の思いと、不安定な自分自身、それに対する反発と苦悩。一言では言い表せないけど、それがアバター“アキレウス”の核になる『思い』なのかな」

「……そうだろうね。そう言われると、自分でも納得できる。でも、つい周囲に流されてしまう。……そうか、だからオレは姿が勝手に変わったんだ。初めて“アキレウス”になったとき、自分でもよく分からずに近くにいたカップルの男の方の肩に手を掛けたんだ。そうしたら、姿が変わった。相手から、相手の一番望む姿が伝わってきて、姿が変わった」


「じゃあ、ボクのカニ怪人の姿になったときは?」

「あの時はちょっと違った。あいつらを見返してやりたくて、あえて慎太のカニ怪人の姿になったんだ」


「そうなるとだよ、君の姿は、自分の思うようにも変えられるんだ」


「オレの、思うように?」

「そう、君の思うように……。それにしても良かった。今日みたいに言葉を交わすことが出来て。いつもはずっと聞き役だったからね」

 慎太のいう『いつも』は、夜の時の話だ。


 慎太はいま、饒舌じょうぜつだった。普段は物静かではあるが、彼は口下手ではない。むしろ話をまとめて人に伝えるのは上手い。ただ、前に出ようとしないから、彼の特質が学校という中では目立たないだけなのだ。友人と二人きりであったり、あるいはどんな場面で会っても言うべき時には、しっかりと自分の思いを伝えることが出来る人間だ。


「ずっと言おうか迷っていたけど、今日は言わせてもらおうかな。今の話を聞いて、言うべきだと思ったから……」

 慎太は大きく頷き、言葉を続けた。

「結局は、君次第なんだよ」

「オレ次第……」

「このまま親の言うようにスポーツを続けるのも、すっぱりとやめるのも。いっそこのまま迷い続けるのも。だって、続けるのもやめるのも、どちらもエネルギーがいることだから簡単には出来ない。だったらこのまま省エネでいるのもいいさ。それも君の選択だからね」

「それは、分かってるつもりだけど」

「うん、『だけど』ってなるよね。『そんな簡単なことじゃないんだ!』って、言いたくなる。でもやっぱり他人のボクから言えるのはそこまでなんだ。だから、ボクから君に伝えられる言葉はもう一つしかない。それは……」

「それは?」


「どの選択をしても、ボクは今までと同じように友達ってことだよ」


「……ありがとう」

 洸は下を向いて、涙をこらえて鼻声になっていた。




 その日の夜。二人は再びそれぞれ“カルキノス”と“アキレウス”の姿になってあの公園にいた。今度は詳しくアバターの話を聞いて、自分の心と向き合うために。


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