第四章 メモリー・オブ・ザットデイ ①

 土曜日の昼食後、慎太はテレビを観ていた。

 大阪の新喜劇と呼ばれるコメディの舞台劇だ。

 大人しい彼は、お笑いなど興味がない人間だと思われがちだが、そうでもない。人前で大笑いするタイプではないが、彼は面白いと感じており、むしろお笑いのことは大好きである。

 特にこの舞台劇は、起承転結がはっきりしているし、登場キャラクターが個性的だし、全体の流れの中でどこにギャグを入れるかバランスもよく考えられている。ストーリーにもちゃんと落ちがあり、笑いの落ちも最後につけている。


 面白くて勉強になる。そう思って、慎太は毎週欠かさず観ていた。


 丁度それが終わる頃、部屋に妹が黄色い声とともに飛び込んできた。

「お兄ちゃん! 飯島さんが来たよ!」

 飯島洸が来た。それは小学校の頃は特によくあったことだが、妹の兄に対する態度が一変する瞬間である。

「あ、うん」

 慎太はいつもと変わらない様子で玄関に向かった。その後ろを、妹もソワソワした様子でついてきた。


「飯島くんは相変わらずイケメンねえ」

 母親が玄関で対応しているところだったが、身長の高い洸は、三和土たたきからでも母親の頭越しに慎太と目が合った。

「よう! 新喜劇見てた?」

 洸が片手を上げて挨拶をし、慎太も同様な仕草でそれに返す。

「見てたよ。どうしたのさ?」

 慎太が到着すれば自分がいても邪魔だろうと、母親は台所の方へと姿を消した。

「いやあ、この前からちょいちょいと話してるじゃん? 久しぶりにおすすめのアニメやら漫画やらゲームやらを見せてもらおうと思ってね」

「そう言うことね。連絡を先にくれればいいのに」

「ま、思いつきだからね。いなかったらいなかったで諦めてたし」

「じゃあ、とりあえず部屋にくる?」

「お邪魔しまーす」

 洸は、奥に下がった慎太の母親にも聞こえるように、大きな声で挨拶をすると、靴を脱いで玄関を上がった。

 妹の横を洸が通り過ぎるとき、彼女はキラキラした視線を洸に送っていたが、彼は気にした様子はなかった。こういう視線には慣れているのだ。ただ、さすがに親友の妹であれば完全に無視をするのも申し訳ないと思ったのだろう。洸は小さな声で「お邪魔するね」と声を掛けた。その一言だけで妹は舞い上がって、裏返った声で「お茶をお持ちします!」と返答していた。


 妹が着替えて、うっすら化粧すらしてお茶を持ってきた後、その時は訪れた。


 それは洸が慎太の本棚のラインナップを見ているとき、慎太は漫画のおすすめシーンを探してページをめくっているときだった。


「なあ、慎ちゃん。ホントはもう分かっているんだよな?」


 急に呟いた洸の言葉に、慎太は漫画のページをめくる手を止めた。

「何のこと?」

「もういいよ、とぼけなくて」

 洸は慎太に背を向けたまま、慎太も漫画に視線を落としたままだ。

「……昨日はかばってくれてありがとう」

 昨日、彼をかばった。それは、夜の話以外ありえなかった。


「いや、別に……困っていると思ったから」

 その一言で、慎太も認めた。

 “アキレウス”のコードネームを与えられた、あの透明な人型のアバターの正体が洸だと気づいていたことを。


「いつから気づいていたんだ? 慎ちゃんは頭がいいから、まさか最初から?」

 洸が、ゆっくりと振り返った。

「あるよね~、ドラマでそういうの。でも名探偵や名警部じゃないんだから、そんなことはないよ。怪しいなと思うことはあったけどね」

 SNSの情報について話をしたとき、すぐに何の話か分かったこと。あの投稿はわざわざ探しに行かなければ見つからなかった。

 また、久鎌井と名乗る人物にあった翌日、細かいことを話さなくても状況を理解していたこと。それも気になったが、それは偶然であったり、話を合わせているだけだったり、それだけのこととも思えた。


 慎太にとっては、もっと確定的なことがあった。


「実は、久鎌井さんから“カルキノス”のことを聞いた時に確信したんだ。アバターは人の思いが集まって形になったものだって言ってたよね? “カルキノス”のエピソードを考えると、核になる可能性のある思いはただ一つ」

「ただ一つ?」

 慎太が顔を上げると、二人の視線が交錯する。


「“カルキノス”は『友達思い』らしんだ。親友を助けるために、自分じゃ敵わない英雄に立ち向かった化け蟹なんだって。そうすると、“アキレウス”の正体はボクの親友じゃないか? と言われたんだ。そうなるともう、君しかいないからね。ボクの親友は」


「そっか」

 そう呟いた洸の顔には、恥ずかしそうな笑みが浮かんでいた。


「洸ちゃんは、いつからボクが気づいてるって思ったの?」

「昨日の夜、アバターっていうんだっけ? あの状態のオレを、君が『彼』って言ったからさ。ただ他に言いようがなくてそう言っただけかもしれないけど、男だってことは分かってたのかなって」

 それに加えて、あの時の凛とした慎太の態度は、全てを分かった上で行動しているようにしか、洸には思えなかった。

「てか、正直、学校で話をするたびに、ばれてんじゃないかなってひやひやしてたよ」

「そうなんだね。でも本当に、初めてボクがあの姿で君に会ったときも、そのあと君に話をしたときも、あの火の玉が洸ちゃんだとは思っていなかったよ。だから、その時からボクに友人である君を助けようという強い思いがあったわけじゃない」

 そう思うと、自分の中にある『友達思い』が核となり“カルキノス”のアバターが発現したことに、慎太は違和感を覚えた。

「それを久鎌井さんに伝えたら、今回はイレギュラーなケースかもしれないって。アバターの性質として、他のアバターに引き合うと言われているから、もしかしたら、“アキレウス”の助けを求める思いに、引き寄せられるようにして発現したんじゃないかって」

「……」

 洸の視線が下がる。

 そんな洸を、慎太は優し気な眼差しで見つめて言った。

「……それだけ、苦しんでいたんだね、助けを求めるほどに……。あの時、ボクは傍にいることしか出来なかった。君から思いは伝わっては来たけど、言葉を交わすことはなかったから……」


 無言。


 今は生身の二人。無言のままでは、その思いも何も伝わることはない。

「……オレは」

 洸が、意を決して口を開いた。


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