第三章 フィギュア・オブ・ハート ③

 姿を現したのは声のハスキーな女性だった。


 久鎌井と同じくスーツ姿ではあるが、こちらは板についており、パンツスタイルが非常に似合っている。

 ただ、話し方やたたずまいからくたびれた感が否めない。肩口あたりで切りそろえられた髪型にはうねりがあり、それがパーマをかけたものなのか、天然なのか、はたまた寝癖なのか、慎太にはよく分からなかった。年齢も20代後半~30代前半か、はたまアラフォーか、暗がりなのもあってそれもよく分からなかった。


「君、カニ怪人の君には、“カルキノス”のコードネームをつけさせてもらった。“カルキノス”は蟹座のエピソードで登場する化け蟹だ。まあ、正直なところ見た目からのネーミングではあるが、久鎌井くんから聞いた話では、その力も、一般人と戦って負けてしまうほどだと――おっと、失礼。まあそのなんだ」

「ボクの話はいいです。多少は久鎌井さんから聞いていますから」

 慎太は、少しむっとした声色で言った。

「ああ、すまない。ただ、隣の君は、まだ知らないのだろう? であれば少し話しておかねばな。ただ、我々が話をしたいのは、その隣の君のアバターについてだから、お言葉に甘えさせていただこう」

 そう言って、鏡谷と名乗る女性は、“カルキノス”こと慎太の隣にいる火の玉を真正面に見据えた。


「君に話をしたい理由というのは、君も自分自身で分かっていると思うが、例の『恋人のドッペルゲンガー』あるいは『思い人の幻影』の件で、世間を騒がせてしまったからだ。我々は、アバターによる事件を大事にならぬように収めるのが仕事だ。だから、君には自身のアバターのことを理解し、その力を、能力をコントロールできるになって欲しいんだ」


 鏡谷の言葉に、その火の玉は何の反応も見せなかった。

 しかし、彼女は、透明な人型の部分、一見何もないその空間を見つめながら言葉を続けた。


「力のコントロールのためには、アバターそのもののこともいろいろ教えなければならないのだが、まずはやはり、君のアバターがどんな思いから形作られ、どのような能力があるのかを理解する必要がある。そして、わたしたちは今までの君の行動から推測し、そこの彼の“カルキノス”のようにコードネームを用意させてもらった。それは、“アキレウス”だ」


「アキレウスと言ったら、アキレス腱で超有名な英雄じゃないですか」

 そう声を上げたのは、慎太だった。

「君は良く知っているね。そう、そのアキレウスだ」

 慎太の様子に、鏡谷は少し嬉しそうな声色を滲ませた。

「足首をよく見て欲しい。その炎のようなエネルギーを発している何か。それは一見アンクレットのように見えるかもしれないが、よく見ると、手の形をしている」

「……あ、ホントだ」

 生々しい手形ではなく、デフォルメされてはいるが、帯のように見えていたそれは、所々分かれており、よく確認すれば五本の指であることが確認できた。


「アキレウスはアキレス腱が弱点だ。それ以外は無敵なのだが、それは何故か。

 子供の頃、我が子に不死身の肉体を与えるために、母親がステュクス川という川に子供の身体を浸したのだ。その際に、足首を持っていたため、両足のその部分だけが川につからず、不死身ではない、弱点の場所となってしまった。最終的にそこを毒矢で射抜かれ、アキレウスは絶命する。しかし――」

 そう言って、鏡谷が腕組みをする。

「最高の英雄の一人と言っても過言ではないアキレウスが、どんな思いを核にして形になったのか、あるいはどのような能力を持っているのか興味深いところなのだが、今の姿を見ても、足首の手形以外は、影のような存在だ。そして、他者の影響を受けて姿を変えている。不思議な能力ではあるが、足首の手形はあまりにも特徴的であるため、“アキレウス”で間違いないのだ。そう決めつけてしまうと、いくつかの要素があるんじゃないかなと推測できるのだ。“アキレウス”の君、そう例えば、『親の重すぎる思い』『英雄のごとき、恵まれた――」


「もういいじゃないですか」

 鏡谷の言葉をさえぎったのは慎太だった。


「ボクは、いままで彼の話を聞いてきました。聞いていたと言っても、何となく感じる彼の感情に寄り添っているだけでしたけど、それでも、彼の心は助けを求めていたんです。それがアバターになったことにも影響しているとしたら、彼の心を他人の言葉でさらしものにするのは、彼を苦しめることになります」


 慎太の言葉も態度も、非常に力強いものであった。普段の慎太からは想像できないほどに。隣にいた“アキレウス”のコードネームを与えられた彼も、驚いている様子だった。


 しかし、次の瞬間、“アキレウス”はその場からいなくなっていた。


「おっと、すまない。勇み足だったか」

「そうですよ鏡谷さん。ようやくここまで漕ぎつけたのに」

 久鎌井が肩を落とした。

「”カルキノス”の君も……堀慎太くんだったかな?」

「はい」

「君にも申し訳なかった。せっかくここまで協力してもらったのに、最後は少し君にも嫌な思いをさせてしまったね」

「いえ」

 そう応えながらも、慎太の声には不満の色がうかがえていた。

「でも、次のチャンスがあるかは分からないですよ」

「ああ、とりあえず堀くんと久鎌井くんは連絡を取り合えるようにしてもらえるかい? それにしても――」

 鏡谷は自身の顎を撫でながら、“カルキノス”の姿になっている慎太の顔をまじまじと見た。


「友人を守るための君のその力強い態度は、まさに“カルキノス”にふさわしいな」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る