第三章 フィギュア・オブ・ハート ②

 この公民館は、地区ごとの小さな物とは違い、イベントホールもある大きな建物だ。隣の市と合併する前は、隣町となりまち二町にちょうとともにぐんであった大きな町だからこそ存在する。 隣にはこの町の図書館があり、そしてそれなりの広さの公園もある。


 深夜、その公園の端のベンチ周辺で、三人は向かい合っていた。

 二体のカニ怪人と、久鎌井という少年だ。

 今、彼の姿は白騎士ではない。


「改めて自己紹介をするね。僕……あー、わたし? いや、俺……でいいよな、うん。失礼。俺の名前は久鎌井友多。神秘隠匿組織“パンドラ”に所属し、君たちと同じ、アバターの能力の持つものだ。ちなみに高校二年生。天ヶ原あまがはら高校っていう、他県の高校だけどね」

 久鎌井と名乗る少年が一礼した。

「ここまでは、カニ怪人くん、えっと、慎太くんには話したね」

 慎太は昨日の時点で久鎌井への自己紹介は済ませている。

「あ、はい」

 頷く声には、基本動じない慎太にしては珍しく、緊張の色がうかがえた。

「そして、横のカニ怪人くん、いやとりあえずは火の玉くんとさせていただくけど、君には初めましてだ。よろしく」

 久鎌井の言葉に、慎太の横に立つカニ怪人は、その姿を消した。

 いや、本当の姿に戻ったというべきだろう。


 それは、二つの火の玉ではない。

それは、人型ではあるが見えない。

 よく見ると人影が見える。影と言っても暗くなっているわけでなく、何となく蜃気楼しんきろうのように景色がゆがんで見えるくらい。

つまり、透明な人型。

そして、足首にアンクレットのようなものがあり、それが炎のような光を発している。


「去らないでここにいてくれるということは、話を聞いてくれるみたいだね。それじゃあ、アバターについて、“パンドラ”について、話をさせてもらうよ」

 慎太は、隣の人影の顔を見る。

 何も見えないが、相手がこちらを向いていることは何となく分かった。そして同意をこちらに伝えている。

「お願いします」

 それを受けて、慎太が答えた。

「では、まず端的たんてきに言うと、君たち、それぞれの中にある『思い』を核にし、同じ思いが集まって形をしたもの、それがアバターだ」




 人類が人類たる所以ゆえん

 それは道具を使い、また目的に合わせて新しい道具を生み出すことができること。さらに、火の力を食品の加工や道具の作成など目的のためにコントロールすることができることなどがあげられる。

 この他にも多くの事柄が挙げられるのだろうが、一つ忘れてはいけないことがある。


 それは、言葉を用いるということだ。


 言葉は、感情、意思、考えを他者に伝えるための手段だ。それは間違いなく人が文明を築き上げることができた理由の一つといえるだろう。

 しかし、言葉のもたらした業績はそれだけだろうか?

 他者に何かを伝えるための記号。ただそれだけか?


 否。


 言葉は、感情に色を与えた。怒り、憎しみ、悲しみ、喜び……。さらに、言葉によって物事を順序だてて考えられるようになった。そして経験は蓄えられていく。

 知恵が言葉を生み出し、言葉は知恵をより大きなものにしていく。


 そして人々は、それぞれの心の中に望みを持つようになった。願いを抱くようになった。


 大小様々な『思い』がそれぞれの胸の内に存在するようになった。

 それは、ただ種全体として生き残り、繁栄することを目的に行動を仕組まれていた他の生物との大きな違いであった。


 今まで、地球上にはたった一つの『思い』しかなかったのに、人類が文明を開化させることで、そこには多くの『思い』が生まれることになったのだ。特に文明が進んだ国では多くの価値観が生まれ、『思い』は人の数だけ存在してしまった。


 『思い』は人を生かしもするし、殺しもする。


 眼に見えないものでありながら、明らかに人を左右する。


 『思い』はある種のエネルギーと言えた。


 それが地球上に一気に生まれた。


 地球にとって、それは異常事態だった。今までたった一種類しかなかったエネルギーが爆発的に増加し、地球を満たしてしまったのだ。飽和状態となってしまえば、あとは溢れ出すしかない。


 溢れた『思い』は、似た『思い』を持つ人間へと集まり、形を得た。


 それはまるで、細かい塵に集まり、表面張力によって円形となる水分子のように、互いに引き合い、さまざまな外観を得た。カニ怪人であったり、白騎士であったり、目に見えない透明な人型であったりと。


 『思い』の集合体は、触媒となった人間の精神と同調しているために、その人間の精神が入眠などにより解放されたときに姿を現す。その人間の精神までも取り込んで現れる。




「それが、君が夢だと思っていたものの正体。カニ怪人の正体だ。そしてそれを、我々は『思い』の化身、アバターと呼んでいる」

「おおぉ」

 慎太は、思わず感嘆の声を上げた。

 小説を書く慎太にとっては、このファンタジーな内容に、胸躍る感覚があった。

 火の玉の方は、いまいち理解できなかったような困惑の色が伺えた。

「ってことは、ボクのこのカニ怪人も、何かしらの『思い』の集まったものということですか?」

「そうなる。だが、この前も言ったが、君は実はちょっと特殊な気がする、と俺の上司が言っていた。隣の火の玉くんの方が、分かりやすい。とこれも上司が言っていた。えっと、もう少し説明を続けさせてもらうね」

 久鎌井は、しばらく黙って頭の中で話すべき内容をまとめた後に、続きを話し始めた。




 正の方向性を持つ『思い』があれば、逆の、負の方向性を持つ『思い』もあった。

 他者を憎み、ねたみ、うらみ、がいそうとするもの、歪んだ趣向ゆえに他者を傷つけてしまうもの。そんな『思い』から形を成してしまったアバターは問題であった。


 街で起こる狂気的な殺人の犯人がアバターであることもあった。

 幽霊や都市伝説で語られる話の実態がアバターであることもあった。

 民話で語られる化物が実はアバターであることもあった。


 しかし、アバターは決して普通の人間に倒すことができない存在ではなかった。

 力を合わせた村の大人たちに、あるいは民を守る国の公的な機関に退治されることもあった。だが、多くの犠牲を払うことになる。


 だからある組織が誕生した。


 神秘隠匿組織“パンドラ”。


 『思い』から生まれたアバターを、核となった自らの精神で制御することができる者と、その協力者によって結成された組織だ。

 パンドラはアバターの引き起こす事件を積極的に解決し、一般人に被害が及ばないようにするとともに、情報操作により事実を隠蔽いんぺいし、世間に混乱を引き起こさないようにしていた。


 また、同時にアバターに関する研究も行っている。

 アバターは、何時、何処で発生するか分からない。それは突発的だ。

 しかし、研究により以下のことははっきりしている。


 一つ、文明の発達した国で発生し、未開の地域では発生しない。

 一つ、アバターが一体発生すると、連鎖するように数体のアバターが近い地域で発生する。

 一つ、アバターの所持者は、相手が隠そうとしない限り、他のアバターの存在を第六感的に感じることができる。


 “パンドラ”という組織の発祥はヨーロッパであるが、以上のことから現在は世界各地に支部を置いており、もちろん日本にも存在する。




「それが、俺たち。“パンドラ”の中でも、アバターの引き起こす問題に対し直接的に介入しつつ、できるだけ穏便おんびんにことを収めようとする機関“プロメテウス”の日本支部に所属している。そして、君たちも昨日見たと思うけど、俺もアバターの所持者だ」

「あの白騎士ですね」

「ああ、やっぱり君たちも白騎士というよね。そうあれが、俺のアバター。“ペルセウス”というコードネームを与えられている」

「“ペルセウス”? ギリシア神話の?」

「そう。アバターの能力は、何故かギリシア神話の英雄などの登場人物の逸話と不思議な一致が見られるんだ。その姿にもね。ちなみに俺の“ペルセウス”は、『大切な人を守りたい』という思いが集まって形になったアバターだ。能力はいろいろあって、昨日の黒い鉤爪もそうだけど、分かりやすいのはこれだね」

 そう言って、久鎌井が左手に意識を集中させると、左手が白い篭手こてに覆われ、そこに盾が現れた。

「ペルセウスの盾……アイギスの盾ですか?」

「そう、良く知っているね」

「まあ」

 小説を書くものとして、神話について慎太はそれなりに読んできている。

「あの鎌のような鉤爪かぎづめのような篭手こては、ハルペーですか? ここに来るまでに見せてくれた姿を消す能力と、宙に浮かんでホバークラフトのように移動してきた能力は――」

「“ハデスの兜”に、“ヘルメスの靴”だ。俺のアバターのことはこれくらいにして、君たちのアバターがいったい何なのか、ということについては――」

「それは、わたしから説明させてもらおう」

 振り返ると、離れたところから歩み寄ってくる人影が見えた。


 少ない街頭に照らされたその顔は女性であった。

「すまないな、煙草たばこ休憩をしていたのと、久鎌井くんに説明の練習をさせていたから姿を隠していた。ここからはわたしが説明を引き継がせていただく」

「えっと、俺の上司、鏡谷かがみやのぞみさんといいます。君たちのアバターが何なのかは、この人がしっかりと説明してくれます」

鏡谷かがみやだ。よろしく頼むよ」


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