第三章 フィギュア・オブ・ハート ①

 次の日、慎太は珍しく、最後の授業が終わり次第、荷物をまとめて教室を出た。

 向かった先は、飯島洸のいる教室だった。


 部活があるにも関わらずのんびりと準備をしていた洸は、教室の入り口に慎太の姿を認めると、急いで荷物をまとめて駆け付けた。

「どうしたの?」

「例の夢の話で進展があってね、その報告というか相談というか」

「あの夢じゃなかった夢の話ね。聞くよ?」

「うん」

「じゃあ、行こうか」

 二人はゆっくりと歩き始めた。周囲は騒がしく、誰も二人の話の内容など気にしないだろう。昇降口に向かいながら、慎太は話を始めた。


 昨日の夜、慎太は久鎌井友多と名乗る人物に会った。そして、その男――本人の話では高校二年生であるらしいから、慎太たちとも一学年しか違わない――は、慎太のカニ怪人の状態のことを理解していて、それはアバターと呼ばれているとのことだった。さらに細かいことは今日話をするため、今夜カニ怪人になるようだったら、最後に別れた公園に来て欲しいと言われたのだと。


「で、慎ちゃんは行くの?」

「まあね。だって、カニ怪人のことは何も分からないから。それをその久鎌井とかいう人は知っているというんだから、行かない理由はないかな」

「昨日、全部は教えてはくれなかったの?」

「うん。ただね、ニコイチ火の玉くんがいつの間にかいなくなっていたから、できれば一緒に話をしたいんだってさ。そこが困っているところなんだけどね」

「そうか……ま、何にしろ良かったね。分かる人間と出会うことが出来て」

「ボクとしちゃあね。ただ、火の玉くんがいないと話をしてくれないみたいだから、今夜もあの堤防でいつも通り落ち合えるといいんだけどな」

「そうだね……」

「いくら相手が悪い人じゃなさそうでも、少し不安はあるから、一緒に話を聞いてもらいたいのもある」

「そりゃそうだよね。……ごめん、そろそろ部活に行かなきゃ」

 すでに昇降口に辿り着いていて、二人はその場で周囲の生徒がまばらになるまで立ち話をしていた。

「あ、ごめん」

「こっちこそ、聞くしか出来んかったけど」

「いや、ボクとしてはそれだけで十分だよ。ありがとう。少しスッキリした」

「そりゃあ何より。じゃあね」

「じゃあ」

 洸は手を振り、駆け足でその場を去っていった。

 慎太はその姿を見送りながら、彼に聞こえないような声で何かを呟いた。



 — * — * — * —



 夜、慎太は無事カニ怪人になることが出来ていた。

 そして、堤防に座って、火の玉が現れるのを待った。


 しばらくして、火の玉は現れた。


「ボクの方が待っていたのは初めてだね」

 返事はない。


 慎太は堤防から道に降りた。


 火の玉も慎太に近づいてくる。


 今まで気にしていなかったが、火の玉が動くとき、地面をうように、二つの火の玉が交互に動いていた。


 その動きに、昨日のもう一人のカニ怪人を思い出した。

 あの時、足首あたりにあの火の玉は存在していた。

 その時と、火の玉の動きが一緒だ。

 今まで気にしていなかったし、火の玉が動く場面もあまり見てはいなかったが、二つ火の玉が交互に動くその動き方は、不自然であった。

 ただ、人の足首にアンクレットが付いている状態を想像し、その人が歩いているときのアンクレットの動きを想像すると、まさにそれであった。


 どうやら、あの火の玉は、普段は姿を見せていないが人型をしているらしい。


 人型をしていて、その足首にアンクレットのように輪っかが付いており、それが火の玉のような光を発しているようだ。よく目を凝らすと、わずかながら人型に景色がにじんでいるようにも見えた。

 それがニコイチ火の玉の実態であった。


 実は、慎太が久鎌井という少年から聞かされた内容は、洸に話したものとは少し違っていた。

 あの時、久鎌井は慎太に火の玉と話がしたいのだと言った。以前に接触を試みたことがあったが、近づいただけで逃げられてしまい、話をすることが出来なかったらしい。

 夜に火の玉の行動を見張っているところで、カニ怪人となった慎太が現れるようになった。

 そして、原付に乗った少年たちの一件があり、一般人を巻き込んだ騒動がこれ以上大きくなる前に、声を掛ける必要が出て来た。結果として昨日のような事態になったのだが、原付の一件がなくとも、久鎌井側には、火の玉に早めに接触しなければいけない理由があるというのだ。


 久鎌井によると、夏休みに噂になった、『恋人のドッペルゲンガー』と『思い人の幻影』の騒ぎが、実はこの火の玉によるものだというのだ。


 このアバターという能力、現象により火の玉の姿——実態としては透明な人型——となり、別の姿になる能力を持った誰かが、恋人、あるいは思い人の姿になって、人々を驚かせていたようなのだ。火の玉本人に悪さをしようという自覚があったかどうかは分からないが、原付少年たちとの騒動と同様で、騒ぎが大きくなることを未然に防ぐのは、神秘隠匿組織名乗る者の本分ほんぶんであり、早急に火の玉に接触する必要があるのだという。そういう意味では、もちろん慎太にも接触する必要はあった。


 そのため、久鎌井から慎太に対してアバターについての説明とともに、火の玉との接触のための協力要請があったとういうのが、昨夜の話だ。


「昨日の白騎士は、ボクたちのカニ怪人や、君のその姿と同じものらしい。あの後、公園まで移動して、少し話をしてくれたんだ。公園についたら白騎士は人の姿になった。それで、ボクに、今のこの状態をアバターと呼んでいることを教えてくれた」

 慎太の言葉に、火の玉からは何の返答もなかった。


「少しだけ、君のことも聞いたよ」

 慎太は、それでも火の玉に話しかけ続けた。

「君は、噂になった『恋人のドッペルゲンガー』や『思い人の幻影』の正体だったんだね」

 火の玉から、控えめな同意が伝わってきた。

「昨日も、ボクと同じ姿になっていた。あ、そう、まずお礼を言わなきゃだった。ありがとう助かったよ。というか、ボクはこの姿になっても自分がたいして強くないことにびっくりしたよ」


 火の玉は、昨日と同じように、自らの姿をカニ怪人に変えた。


「おお、これこれ、ボクはこんな姿をしているんだ。君は、自分の姿を別のものに変えることが出来るんだね。違いは……」

 慎太が目の前のカニ怪人の足元を見た。

「足首にアンクレットみたいなのがあって、それから火の玉みたいな炎のようなものが上がっている」

 ようなものと言ったのは、実際には熱を感じないからだ。

 目の前のカニ怪人は、困ったようにうつむいた。

「ん? 違うの?」

 慎太が尋ねると、テレパシーのように返答が伝わってくる。

「自分でもよく分からないんだね。普段は自分に姿がない影のようになっていて、誰かの思いに触れると、その人の思っている姿になる? ああ、だから例の騒ぎが起きたんだ。今のこの姿は? へえ、自分で思うように姿を変えられたのは初めてなんだ」


 会話が続き、少し場が和んだところで、慎太は再度切り出した。


「あの白騎士、久鎌井さんは、今日は昨日よりも詳しく教えてくれるって言っていたんだ。ボクも今のこの状態が何なのか、教えてもらいたいと思っている。君も、分からないことだらけで不安じゃないかい? だから一緒に来てくれないかな?」

 目の前のもう一人のカニ怪人から、わずかながら同意の感情が伝わってきた。

「ありがとう。 じゃあ、また昨日の連中が来てもいけないし、あの人が待っている公園に移動するね」

 慎太が歩き出すと、少し遅れて、その背後をもう一人のカニ怪人がついてきた。


「おっと、話はついたみたいだね」

 その声とともに、久鎌井友多が忽然こつぜんと姿を現した。

「久鎌井さん」

 慎太が声を上げた。

 もう一人のカニ怪人からは、不安と警戒の感情が伝わってきた。


「驚かして済まない。この姿を消せるのも俺のアバターの能力だ。深夜、この町でも多少は車の行き交いがある。歩いている君たちの姿を運転手に見られる可能性があるから、昨日の慎太くんみたいに、二人とも抱えて移動させてもらうね」

 そう言うと、久鎌井は二人の腰を持って、軽々と抱えてしまった。


 それは、明らかに超人的な力であった。


「この力も、そして、今から移動に使うこの力も、共に俺のアバターの能力だよ。でもさすがに二人は重いな」

 久鎌井の身体が、地面から少し浮き上がった。

「うわあ」

 慎太は思わず声を上げた。人に小脇に抱えられる状況など、大人と子供の差がなければあり得ない。彼にとって物心がついて以来、昨日に続いて二回目の経験だったが、決して心地が良い状態ではない。

「少し我慢してね」

 もう一人のカニ怪人も、不安も警戒心もあったが、今更いまさらじたばたしても仕方がないと思ったのだろう、まな板の上の鯉よろしくなすがままにされていた。

「じゃあ、移動しよう」

 久鎌井は、二人を抱えたまま、まさに地面を滑るようにして高速で公園へと向かった。


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