第13話

 帰りのホームルームが終わり、渋江しぶえ先生が、お決まりのドヤ顔で教室を出ていく。

 いつもなら、クラスの全員が帰るまで、適当に時間を潰す、待機モードに突入するわけだが、今日は違う。

 僕の隣りには音谷おとや。目の前には、信じられないことに、美馬みまさんと大鷲おおわしさんが立っている。

 これまでの僕には、あり得ない光景だ。


「音谷さん、角丸くん。昼休みの約束、覚えてる?」

「え、えっと、駅前のカフェに行くって言ってた話?」


 音谷のやつ、よく覚えてたな。僕は、美馬さんとカフェなんて、非現実すぎて、記憶から消えかけてたというのに。


「それ! 3人でって言ったけど、あやちゃんも誘ったから4人で行こ!」

「なんかさ、あそこのチーズケーキ、めっちゃ美味しいらしいじゃん?」

「そうなんだよ、あやちゃん。実は私、昨日食べたんだけど、めっちゃ美味しかったよ! だから、今日は、みんなで食べ行こうよ!」


 昨日も食べた……のに、今日も食べるんだ。

 あれ? 待てよ。そういえば、さっき、ホームルームはじまる前に、ジャムパンかじってなかったっけ?


「み、美馬さん。さっき、ジャムパン食べてたよね? なのにケーキなんて、大丈夫?」

「え? ぜんぜん大丈夫だよ?」

おとちゃん。心配ないって。ほのちゃんは、そのくらいなんでもないから」


 お、音ちゃん⁈ 大鷲さん、音谷のこと、そう呼んでたっけ? ……いや、そんなことない。だって、体育の時は、音谷ちゃんって、呼ばれてたし。きっと、がちゃんと聞こえなかっただけだ。


「あ、あの。大鷲さん」

「ん? 音ちゃん、どした?」


 またしても、が聞こえなかったように思う。

 これは、いよいよ耳鼻科に行かなきゃかもしれない。


「い、今、音ちゃん、って言った?」

「言ったよ?」

「音谷ちゃん、ではなく?」

「ないない。音ちゃんって言ったよ。だって、うちら友達じゃん。そう呼んだってよくない?」

「……いい」

「でしょ! じゃあさ、音ちゃんも、うちに、なんかあだ名つけてよ!」


 驚く僕の隣りで、音谷も目を丸くしている。そりゃ驚くよね。


「あだ名⁉︎ いいなぁ。私もつけてほしい! 音谷さん、お願い! 私にもつけて!」

「え? ほのちゃんは、ほのちゃんでいいじゃん」

「えー」

「嫌なの? うちはそう呼んでるのに?」

「もちろん嫌じゃないよ。でも、音谷さんだったら、なんてあだ名つけるか、楽しみじゃない?」

「おー、それは興味ある。んじゃさ、音ちゃん。カッくんも入れて、うちら3人に、あだ名つけてよ」


 カ、カッくん⁉︎ あだ名で呼ばれるなんて、何年振りだろう。いやむしろ、呼ばれたことなんてあったっけ?

 これまでの人生を思い返してみても、角丸くん、角丸以外の呼ばれ方が思い浮かばなかった。

 ということは、これは、初あだ名認定してもいいってことだよね?


「どう? 音ちゃん。なんかいいの、思いついた?」


 いけない! 初あだ名に浮かれるあまり、みんなのあだ名をまったく考えてなかった。


「え、えっと……む、難しい」

「だよね! ごめんね、音ちゃん。今のは無茶振りだったね。じゃあさ、とりあえず、ほのちゃんは、ほんのちゃん。カッくんは、カッくん。うちは……あやちんで!」

「……」

「ありゃ。ダメだった?」

「だ、ダメじゃないけど……その、いきなりは、呼べない、かな?」

「ぼ、僕も」


 やはり音谷も同じか。大鷲さんには、申し訳ないが、普段あだ名呼びに慣れていない僕らには、少しばかり荷が重い。


「そだね。私も、あやちゃんのことは、ずっとあやちゃんだったし、音谷さんは、音谷さんって感じだし、角丸くんのことも、いきなりカッくんとは呼べないかな」

「そっか。そうだよね。んじゃ、これまで通りでいっか」

「あ! もうこんな時間! みんな早く行こ!」


 美馬さんが、指差した時計の針は、もうすぐ16時をさそうとしていた。

 

 美馬さんと大鷲さんに続き、廊下に出ると、既にラッシュは過ぎているものの、まだそれなりに生徒の姿がある。

 普段、ほぼ誰もいない状態で帰路につく僕にとって、これは、荒波の立つ海に、泥舟で漕ぎ出るようなもので、いつ沈没してもおかしくない。

 緊張し、冷や汗をかく僕は、美馬さんの後ろに隠れるように、僕の後ろには、音谷が同じようにピッタリと張り付いた。


「ねぇねぇ、何それ? めっちゃウケんだけど」


 大鷲さんが、僕らを指差し笑う。


「で、電車ごっこ」


 音谷よ。それは、流石に言い訳としては、苦しくないか? 僕ら高校2年生だぞ?


「ぷっ! カッくん、マジで? おもろ!」

「なになに? どしたの?」


 大鷲さんの笑い声に、先頭を歩いていた美馬が振り返る。


「カッくんってば、面白いんだよ」

「へ? 何してるの?」

「電車ごっこだって。懐かしくない?」

「懐かしい! 角丸くんも音谷さんも、実は、すごく面白い人だったんだね」

「本当だよ。何で、いままで隠してたのさ」


 いやいや。何でそう思う? 今は、奇跡的にこんな感じになってるけど、本来、僕らは面白いことなど言わない、しない、モブキャラなんだぞ? 隠すも何もないだろ?


「それじゃ、出発進行!」

「おお――! ほのちゃんが運転手なら、うちは、車掌ね!」


 ちょっと美馬さん! 大鷲さん! は、恥ずかしいよ!

 何ごとかと、みんなの視線が集まってるじゃないか!

 僕と音谷が下を向き、顔を赤らめる中、美馬さんと、大鷲さんは、楽しそうにはしゃぎながら、廊下を進み、階段を下り、学校の門をくぐった。これが、陽キャというものなのか。


「はぁー楽しかったね。でも、ここからは、普通に行こっか」

「だぁね」


 美馬さんと大鷲さんが、並んで僕らの前を歩き、僕たちは、2人から少し距離を置いて歩く。

 ウワサのカフェに着くと、そこには、行列ができていた。


「わ! 結構並んでるね」

「や、やめる?」

「角丸くん。ここまできて諦めるのは、どうかと思うよ?」

「そうだよ。カッくん。ここで諦めらたら、試合終了ですよ。ってね」

「ご、ごめんなさい」


 2人から軽く攻められ意気消沈する音谷。

 僕と音谷は、互いに苦笑いを浮かべた。


 列に並び、待つ事20分。

 僕たちは、カフェ店内へ案内された。


「うわぁ! どれもこれも美味しそう!」


 席につくなりメニューを開いた美馬さんが、目を輝かせる。初めて見るような顔をしているけど、昨日も来てたんだよね?


「あやちゃん、ほら、見て」

「わっ! めっちゃ美味しそうじゃん!」

「ほら、ほら。音谷さんも、角丸くんも見て」

「わぁ」


 それまで、肩を落としていた音谷の目の色が変わり、メニューに釘付けになった。


「カッくん、意外と甘いもの好きなんだ」


 僕は、どちらかと言えば、ポテチとかみたいな塩味のあるものが好きだけど、ケーキも嫌いってわけじゃない。ただ、誕生日みたいな特別な日にしか、うちでは食べてこなかったから、こうして何もない日にケーキを食べることに、少し違和感があるだけだ。

 って、言われたのは、僕なんだけど、僕じゃないんだよな。実際は、音谷が言われてることなんだけど、ついつい自分のことのように考えてしまう。

 で? 音谷はやっぱり、ケーキ好きなの?

 僕の疑問は、食い入るようにメニューを覗き込む音谷を見れば、その答えは、一目瞭然だった。うん。これは……大好きだね。


「みんな、決まった? 私、昨日は、お店の1番人気のベイクドチーズケーキにしたから、今日は、レアチーズタルトのストロベリーソースがけにしよっかな」


 うん。やっぱり美馬さんは、昨日、ここにちゃんと来てたね。


「なにそれ! ぜったい美味しいやつじゃん! うちもそれにしよっかな。あーでも、こっちのブルーベリーのやつも美味しそう。カッくんと、音ちゃんは?」

「ぼ、僕は、ベイクドチーズケーキ。まずは、看板メニューから」

「おお! なるほど。カッくんは、王道を行くって感じだね。音ちゃんは?」

「え、えっと……わ、私もベイクドチーズケーキ」

「ほーん。2人ともそうくるか。そしたら、うちは……やっぱり第一印象のブルーベリーにする! うちの直感がそうしろって言ってるしね!」

「おーし! みんな決まったね! すみませーん! オーダーお願いしまーす!」


 店員さんを元気に呼ぶ美馬さん。ただ、それだけのことなんだけど、学校外の、今まで知らなかった美馬さんの姿を見れたことは、とても新鮮だった。

 注文したケーキを待つ間、僕たちは、学校での話を中心に、話題になっているSNSの話や、好きな音楽やアーティストの話などで盛り上がった。

 ケラケラと笑い合う中、ふと見た窓の外に、どこか見覚えのある人影が。


「ん? アレって……」

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