第4話
シャッター付きのガレージに、
僕は、あんぐりと口を開け、目の前の大邸宅を見上げ思う。
豪邸とは、まさに、こんな家のことを言うのだろうと。
「おい。ボヤっとしてないで、行くぞ」
「え⁉︎ 行くって、中入るの? それはさすがに、まずくない? ほら、ご両親とかに見つかったりしたら」
「それは、大丈夫だ。両親は、海外旅行中だから、家には誰もいない。それに、角丸。今日からここが、お前の家なんだぞ」
「そ、それはそうだけど……そっか。そうだよな」
口ではそう言ったものの、頭の中はまったく整理がついてないし、実感が湧かない。
にしても、知らなかった。音谷がこんな豪邸に住む、お嬢様だったなんて。
いや、そもそも僕は、音谷のこと、名前以外ほとんど知らないんだった。
僕が、てへぺろ顔をしていると、音谷の冷めた視線が、それをすぐさま真顔に戻した。
「角丸。私の左手を貸せ」
「左手?」
「そうだ。早くしろ」
音谷は、僕の背中を押し、門扉の前に立たせると、左手を引っ張り、手首に巻かれたデジタル式の腕時計をインターホンに当てた。
「ピッ。認証しました。お帰りなさいませ」
インターホンから、女性の声を模したアナウンスが流れ、門扉が自動で開く。
「何これ! 凄くない?」
「い、家の前で騒ぐな。早く行くぞ」
ご近所を気にしてなのか、はたまた学校を含む知り合いに見つかりたくないのか、キョロキョロと辺りを見回す音谷の姿は、もはや不審者に近いものがある。
でも、それ、怪しまれるの僕だから、今すぐやめて!
僕は、音谷の後ろに続き、石畳の通路を抜けると、これまた自動でロック解除された玄関ドアを開けた。
「うわーめっちゃ広っ! もうこれ、玄関に住めるじゃん」
「バカなこと言ってないで、早く上がれ。家のこと、教えるからついてこい」
「はい!」
まるで、テレビの住居探訪番組のようなシチュエーションに、テンションが上がる。
しかし、音谷はというと、そんな僕とは、真逆のテンションで、淡々と家の中を案内する。
それはそうだよな。音谷にとっては、毎日生活している場所なわけだし、こんなことにならなければ、呼ぶ必要がなかった陰キャが1人紛れ込んでいるうえに、今日からここで暮らす事が出来なくなったんだから、そりゃテンション下がりますわな。
僕は浮かれた気持ちを抑え、気を引き締めると、真面目にメモを取りながら、一通りの間取り図を頭に叩き込む。
えっと、1階で使っていいのは、トイレと風呂だけで、両親の寝室とウォークインクローゼット、父親の書斎とガレージ、それと、母親が手入れをしている中庭には用がない限り入らないっと。
2階のキッチンにリビング、トイレ、それとバルコニーは出入り自由。にしても、バルコニーもめっちゃ広! もうテント張って、キャンプできちゃうレベルだね。
3階にある音谷の部屋と、トイレも自由に使っていい。
あとは、ホームエレベーターも自由に乗り降りしていいって言ってたな。
……ていうか、家にエレベーターって、凄いな。
「ざっと、こんなもんかな」
「書けたか」
「うん。ありがとう」
「なら。後は、私の部屋でやろう」
音谷の部屋の前まで来ると、僕は自然と足が止まった。
「どうした? 早く中入れ」
そうは言われても、さすがに緊張する。
さっきまでは、変にテンションが爆上がりしていたから、平気だったけど、そもそも僕、女の子の部屋に入ったことなんてないからね。
「ふっ。角丸、お前。まさか、私の部屋に入るの、ためらってるのか?」
「あ、当たり前だろ。僕、女の子の部屋なんて、入ったことないし……」
「緊張する必要ない。だって、お前は、私なんだから」
おっと。これは一本取られた感がすごいな。
音谷のやつ、もうそんな風に切り替え出来てるのか。
たしかに音谷の言う通りだ。僕はもう、僕じゃない……わけでもない。あくまで体が音谷なだけで……だ、ダメだ。まだまだ混乱する。
「そ、そうは、言ったって……」
そんな僕の心境を察してか、音谷が僕の手を優しく取り、部屋の中へと
「大丈夫、だから」
え⁉︎ ちょっと待って。なんか今の僕、めっちゃかっこよくなかった? なんか、星が輝く瞳に、キリッとした顔。僕の周りを薔薇みたいな花が咲き誇っていて、全体的に、キラッキラのエフェクトがかかってなかった?
もちろん今のは、僕の姿をした音谷がやったことなんだけど、そうなんだけど、少しだけ、ドキっとしてしまった。
これが……もしかして、乙女心ってやつ?
体が入れ替わってるから、そういう感情も感じるってこと?
「おい、その顔。お前、また変なこと考えてただろ?」
「そそそ、そんなことないよ。ないない」
不自然な早口になった僕を、音谷がジト目で睨む。
「ふん。そこに座れ」
音谷の部屋に入ると、僕は、音谷に促されるままに、部屋の真ん中に置かれた丸テーブルの前に座った。
すると、音谷が顔をしかめ言う。
「お前、それ、ぜったい学校とかでやるなよ」
そう言われ、音谷の指差す方向へ視線を落とすと、あぐらをかいた両足に引っ張られ、傘のようにバサっと開いたスカートが目に入る。
向かいに座る音谷を見ると、その瞳には、バッチリと、スカートの中が映っていた。
「ごめん! 以後気をつけます!」
「わかったなら、今回だけは許してやる」
音谷は、やれやれと言わんばかりの顔で、僕の横に座ると、側に置いた音谷のカバンからルーズリーフ数枚とペンケースを取り出し、僕の前に差し出した。
「角丸。今夜、私が角丸家をどう乗り切ればいいか、ここに書き出してほしい。出来れば極力、家族と会わなくて済む方法で」
「そうか。そうだよね。これから音谷は、僕の家に帰らないとだもんね。えっと、そうだな……」
音谷は頷くと、僕がペンを走らせるルーズリーフを覗き込む。
帰ったら、まず廊下の先にあるリビングに向かって、ただいまと声を大にして言う。
その後は、返事があってもなくても部屋に直行。
晩ごはんまで部屋にこもっていれば、ひとまず誰にも会わずに済む。
晩ごはんに呼ばれたら、リビングに向かい、キッチンからテーブルへ食事を運ぶのを手伝う。
席につく。僕の席は、キッチンのカウンターから見て右側の手前から2番目。隣りが父、対面が姉。姉の隣りが母だが、父は仕事で遅いから、休みの日以外はほとんど食事をともにする事はない。
姉は、たしか、今日は、バイトだったはずだから、いないと思う。
「なるほど。それなら、お母さんとの食事を乗り切れば、なんとかなりそうだな」
「うん。あとさ……その、お、おふ」
「おふ?」
「お風呂は、どうする?」
「おお、お風呂⁉︎」
「僕の方は、入らなくても、ぜんぜん構わないけど、お、音谷の方は?」
僕が両手の人差し指で音谷の体を指すと、音谷は、しばらく考え込んだ後、はぁと深いため息をつき言う。
「今夜は、入らなくていい。お風呂に入れないのはイヤだけど、仕方ない」
「わかった。服も制服のままでいい? で、そのまま寝ていい?」
「……それも仕方ない。でも、シワはつけるなよ」
「なにその無理ゲーみたいなミッション」
「……だよな」
音谷は深いため息をつくと、虚ろな目で天井を見上げた。
「うわっ! 角丸! もう19時になる! そろそろお前の家に行かないと、まずいんじゃないか?」
天井を見上げた際に、壁掛け時計が目に入ったであろう音谷は、慌てて顔を下すと、僕にその顔を近づけてきた。
うーん。まだ、自分の顔が迫ってくる感覚に、まったくと言っていいほど慣れないな。
とはいえ、今はそんな事を気にしている場合ではない。
「本当だ! これ以上遅くなったら、晩ごはんに間に合わない!」
「そ、そっち? 怒られたりするんじゃないのか?」
呆れ顔の音谷に、僕はにっこり微笑み言う。
「うん。うちは大丈夫。でも、帰った方が無難だね」
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