第3話

 気がつけば、黒板上の時計の針は、17時を指していた。

 つまりは、HRが終了してから、既に1時間半、美馬さんが教室を出て、音谷さんとのやり取りが始まってから、およそ1時間が経っていることになる。

 まぁ、この時間経過を算出したことに、深い意味など何もない。ただ何となく、どれくらいの時間が経っていたのかな? と、そう思っただけである。


「音谷さん、このアメの効果って、どれくらい続くものなの?」

「……わからない」

「マジで?」

「……マジで」


 音谷さんいわく、入れ替わりの薬は、偶然の産物らしく、効果持続時間を含め、その全てが不明だという。

 実際薬は、アニメや映画の実験シーンによくあるような、調合! 爆発! ケホケホ! みたいな流れで完成したらしく、その時に起こったであろう、なんらかの科学反応によって、今回の効果が得られたのではないかと付け加えた。


「あー。だから、今日の化学は、理科室じゃなくて、教室だったんだ」

「ごめん。私のせいで、理科室、しばらく使えないから、みんなに悪いことした」

「別に、誰も気にしてないと思うよ。僕なんか、教室の移動がなくなって、かえって感謝してるくらいだし」

「そ、そうか」


 顔を強張らせ、両手の人差し指を、クイクイ押し当てていた音谷さんの表情が、柔らかくなる。

 えっと、音谷さんに悪気があるワケじゃなくって、無意識に出てしまっている仕草だというのは、十分に分かるんだけど、いかんせん僕の姿で、それをされると……ね?

 今は、僕ら2人だけだから、なんの問題もないけど、今後は、少し気をつけてもらわないとだな。頃合いを見て、お願いしてみようかな。


「さてと、本題だが……」


 僕は、ここぞとばかりに、昔見た某ロボットアニメの司令官の様に、組んだ両手で口元を隠し、メガネに照明の灯りを反射させた。


「う、うん。これから、どうするか、だったな。まずは、私とお前」

「ごめん。ちょっといいかな」

「な、なんだ」


 話を遮られた音谷さんが、ムッとした顔で、小さく両頬を膨らませる。


「話を遮ったことは、謝るよ。ごめん。話の前にひとつ、確認しておきたいことがあって」

「なに?」

「その、僕らが入れ替わっていることは、周りには知られない方がいいよね?」

「もちろんだ!」


 音谷さんは、コクコクと、高速で首を縦に振った。


「だったら、僕のこと、お前じゃなくってさ、音谷さんって、名前で呼んだ方がよくない?」

「それは……そうだな」

「それじゃ、試しに呼び合ってみようよ。僕、じゃなくて……わ、私から、いくよ?」

「うぇ⁉︎ わ、私って、いつも、そんな感じなのか?」


 僕が、コクコク頷くと、音谷さんは、小さくため息をついた。

 僕も、さっきそうだったけど、あたらめて客観視してみると、気がつくものってあるよね。きっと、音谷さんは、今、自分の何かに気づいたんだと思う。


「あ、あの。角丸くん」

「な、なに? 音谷……さん」


 お互いぎこちなかったけど、初めてにしては、よかったんじゃないかな。


「えっと、とりあえず、くん付けにしてみたけど、音谷さんだったら僕のこと、どう呼ぶのが自然? 僕の方は、くんでも、呼び捨てでも、なんでも構わないけど」

「い、今ので、大丈夫。それにしても、自分で自分の名前を呼ぶのって、やっぱり、変な感じだな」

「そうだね。これも新感覚だ」


 僕たちは、ニヤニヤした顔で笑い合った後、何もなかったように表情を戻し、話を続ける。


「今度こそ、本題へ入ろう。さっき言おうとしていた考えを、聞かせてくれないか?」

「う、うん。まずは、お互いを、もっと知る必要があると思う。だから……」


 そう言って、少しばかり目を細め、顔を近づけてくる音谷。

 え⁈ ちょっ、待って待って。いきなり⁉︎ そういうことは、順を追ってというか……で、でも、ラノベでは、そういう急展開もあるわけで……当然経験なんてないし、キスもした事ないし、女子と手を繋いだこともない。なんなら、まともに会話すらした事ないのに……僕は、どうしたらいいの?

 とはいえ、近づいてくる顔は、僕なわけで。もう、情緒複雑すぎる!


「か、顔……近い」

「んあっ? ああ、ごめん。私、目が悪いから、ついクセで。角丸……くん。あ、いや、音谷……さん」


 んー。凄くややこしい!


「あの、音谷さん。2人のときは、普通に呼び合っていい気がするんだけど、どうかな?」

「そ、そうだな。私たちだけの時は、それで問題ない。それにしても、角丸……くんは、視力良いんだな。メガネ無しで、こんなにハッキリ見えるなんて、何年ぶりだろう……羨ましい。それはそうと! お前、いま、もの凄く変なこと考えてただろ?」


 そんな事ない! と即答できなかった僕は、言葉にすることを諦め、全力で首を横に振った。


「ふん。まぁいい。とにかくまずは、この後、私たちが直面する事態に備える必要がある」

「直面する事態って?」

「いつもの私たちなら、この後何をする?」

「何って……んー。家帰って、ご飯食べて、風呂入って、寝る……かな? あ! 宿題! いやでも、今日は木曜日だから、23時からのアニメをリアタイで見なきゃ!」

「アニメ! それって、あのゆうか?」

「え? その口ぶりはもしかして、音谷さんも、あの勇見てる派?」

「もちろん! あの勇者は、また何処へ消えた? 通称あの勇。作家さんになろう発のドタバタ異世界ラブコメファンタジーだろ?」

「そう、それ! ほんと、毎回勇者のヤツ、大事なところでどっか行っちゃってさ。仲間の苦労が絶えないのなんのって」

「うんうん。前回の、三人のヒロインたちから言い寄られるシーン、よくあの修羅場から雲隠れ出来たなと、ドン引きしながらも、ちょっと感心してしまった」

「わかる! あれは、作者天才だよな。まーあそこで誰か選んでたら、今後の展開に絶対ひびくし、僕的には、あれで良かったんだと思うな」

「だな! ……ゔゔん!」


 音谷さんは、大袈裟な咳払いをすると、輝かせていた瞳を曇らせ、無表情な顔に戻る。


「それは、それとして。これから、私たちがする事といえば、おま、じゃなくて、角丸……くんもさっき言ったとおり、まず、家に帰るよな?」

「そうだね」

「で、角丸……くんは、どこに帰る?」

「どこって、自分んちだけど?」

「自分んちとは? 角丸家のことか?」

「音谷さん、何言ってるのさ。そんなの当たり前だろ?」

「当たり前? その姿でも、言えるのか?」


 僕は、音谷さんの言葉に思わずハッとした。

 わかっていたようで、全然わかっていなかった。

 そうだよ。今の僕は音谷さんで、音谷さんは僕。つまり、僕らはそれぞれ、この体の持ち主の家に帰らないといけないんだよな。

 ってことは、当然だけど、僕は、今日から音谷 萌として、音谷さんの家族と暮らさないといけないってことだ。

 それは、音谷さんも同じで、僕として家族アイツらと暮らさないといけない……本当に、大丈夫か?


「言われてみれば、確かに。音谷さん、頭良いね!」

「うぇ⁉︎ ほ、褒めても、何も出ないぞ」


 音谷さんは、照れくさそうに前髪を引っ張り、必死に目を隠そうとしたが、僕の髪の長さでは、残念ながら眉毛を隠すくらいで精一杯だ。


「角丸……くん」

「あの、音谷さん。名前、呼び捨てにしない?」

「な、なんでだ?」

「だって、音谷さん。さっきから、名前呼ぶとき、なんか無理してる気がして」

「なんで、わかった⁈」


 ワナワナと震える音谷さんって、なんか小動物みたいで、ちょっと可愛いな。でも、残念なことに、側から見たら、僕が震えているようにしか見えないんだけどね。


「何となくだけど、わかる気がしたんだ。僕もほら、人と話すの、得意な方じゃないからさ。だからこの際、呼び捨てにしない? その方が楽でしょ?」

「……うん。なら、そうしよう……えっと、じゃあ、角丸」

「なに? 音谷」

「うん。確かにこっちの方が、自然に呼べる。けど、私は、呼び捨てにしていいって言ってない」

「え? それじゃ、不公平だよ。僕を呼び捨てにするなら、僕も音谷さんを呼び捨てにしたってよくない?」

「うう……わかった。それでいい」


 ダメだと言われるかと思ったけど、すんなり了承してくれてよかった。

 音谷って、僕がイメージしてたよりも、ずっと素直な子なのかもしれないな。


「な、何、ニヤニヤしてる。また変なこと考えてたのか?」

「いやいや、考えてないって。別に今もさっきも、変なことなんて考えてないよ?」


 ええ。本当は、ちょこっと考えてましたけど。


「そうか。それならいいけど」


 音谷は、僕に向けた疑心を自らはらうかのように、窓の外に視線を移すと言う。


「そろそろ行こう。帰りが遅くなるのは、よくない」

「だね」


 教室を出て、夕日がさす廊下を早足に抜けた先、薄暗い階段を下る途中で、音谷が僕の隣りに並んだ。


「角丸。まずは、うちを教える。それと、親の事とか、いろいろ教えておきたい。恥ずかしいけど、背に腹はかえられない」

「うん。僕も僕のこと教えるよ!」

「頼んだ」


 下校口をくぐり、校門から校外へと踏み出す。


「う、うぐっ……」


 学校の外へ出たというだけなのに、足取りが急に重く感じる。帰り道が、こんなに遠く、険しく感じるのは、生まれて初めてのことだ。

 胸の鼓動が、とにかくうるさい。心臓が飛び出しそうなくらい、緊張している。

 1歩先を行く音谷も、言葉を発することなく、前を向いたまま、黙々と歩き続けている。

 音谷のやつ、さっきからずっと、同じ側の手と足が同時に出てる。やっぱり、あいつも緊張してるんだな。

 普段なら、笑える光景なのだろうが、今は、それを見る度に緊張が増していく。

 互いに、緊張感増し増しで、歩き続けること約20分。1軒の戸建ての前で、音谷の足が止まった。


「角丸。つ、着いたぞ。ここだ」

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