古村の話

 古村はとある温泉街の旅館の前に身を隠していた。


 古村は役員を辞任したあと、偽名を使いながら各地を転々とする生活を強いられてきた。


 幸い、それなりの資産はあったのだが、常に人の目を気にして行動しなければならなかったし、捕まればその資産も差し押さえられてしまうだろう。


 そんなギリギリの状況で精神的に追い込まれていた。

 

 あいつ、俺を切り捨てやがった。


 あいつが利益を得るために俺は使われたんだ。

 用済みになった途端これだ。


 俺は田間宮のために散々危ない橋を渡ってきたんだ。何回も何回も。


 その結果がこれかよ。

 

 田間宮は用意周到だった。株の取引は別の人間名義の口座から。俺がアイツと連絡するのはいつも足がつかないように、第三者を経由してだった。

 

 幼馴染なんて言うものがどれほど意味がなく、打算で利用しやすいものか、俺は嫌というほど実感していた。

 

 俺がヤバい立場になったら、最初から切り捨てるつもりだったか。そうだよな、議員様の地位は絶対手放したくないよな。

 

 そうはさせるかよ。お前も道連れだ。


 俺は執念深い男だぜ。


 不用心だよな。ご丁寧に今夜どこにいるかをSNSで投稿するなんてよ。部屋番号だってバレバレだったぜ。

 

 時刻は深夜一時過ぎ。観光客が訪れる温泉街とはいえさすがに人は殆ど歩いていない。


 古村は腰を低く屈め、夜陰に紛れて旅館に忍び込んだ。


 よし、受付には誰もいない。


 そのまま田間宮の泊まっている部屋まで一直線で走っていく。

 

 ここだ。部屋の前に着くと、俺は鍵をこじ開け、ゆっくりとドアを開ける。

 

 電気は消えていた。


 よし、寝ているな。


 室内に忍び込むと、布団でだらしないイビキが聞こえた。悠長なもんだ。今から殺されるとも知らずにな。


 俺は音を立てないように、ヤツが寝ている布団に近づいた。


 そして──布団の上から持っていた刃物でゆっくりと。


 「うぐっ…あ……」


 俺は迷いもなくそのまま刃物を突き立てた。

 

 ザマアミロ。

 散々俺のことをコキ使いやがって。

 

 「テメェだけ助かろうなんかよ、そんな訳いくかよアホが」


 もう一度刃物を突き立てる。


 「ゔゔ…あ…ああ……」


 「おら、なんか言ったらどうなんだよ、田間宮よ。ああ、もう声も出ねえってか」


 俺は一人満足気に刃物についた血に見入っていた。あれ程権力に固執してた癖に呆気ないもんだな。

 

 その時。


 部屋の外で非常ベルが鳴った。

 なんだ、バレたのか?


 俺は急いで部屋を出る。廊下には非常を伝える赤いランプが点滅していた。


 マズイな、人が来る。


 俺はすぐにここを立ち去る判断をした。


 身を低くしながら廊下を駆け降りる。


 途中部屋を出てくる何人かとすれ違ったが、大丈夫、顔は隠している。


 俺は一気に旅館の外に躍り出た。


 そのまま旅館の敷地を出ようとした。

 

 そこに。

 

 突然行手を塞ぐように黒塗りの車が止まった。

 なんだ?どう言うことだ?

 

 「おい古村、何してんだ、早く乗れ!」


 車にはタカギの姿があった。


 俺と田間宮と共に行動していた男だ。


 こいつはいつも、俺たちの仲が離れないように取り持ってくれた。


 でもなぜここに?


 「た、タカギ……お前なんで」


 しかし、既に旅館の周囲は騒ぎになってきている。ガヤガヤと人が外に出ようとしている。


 迷っている時間はない。


 「今そんな事どうでもいいだろ!いいから乗れ!」


 俺は言われるがまま車に乗り込んだ。

 

 「お前…田間宮を殺ったんだな」


 「ああ、そうだ。だったらどうなんだよ」


 「そうか…もしかしたらと思って来たんだが…間に合わなかったか」


 「お前まさか止めに来たのか?」


 「悪いな。放っておけるかよ」


 「んで、どうするんだよ。警察に突き出すか?」


 「バカなこと言うなよ。とにかく今は逃げるんだよ」


 「はは、そうかよ。相変わらず義理堅いな。お前、昔から変わらないよな…」


 「うるせえよ。お前も、田間宮も元は友達だ。このままに出来るかよ。まあ間に合わなかったんだからどうだっていいだろ」


 クソ。


 綺麗事言いやがって。


 俺はお前の事だって信じてなかったのによ。

 俺は複雑な感情を抱えたまま黙りこんだ。

 

 タカギの運転する車は、そのまま三人の生まれ故郷である山間の方へ向かっていった。

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