第22話 混沌の闇
○ 3人称視点です。
ヒロが帰り、他の探索者たちも次々と帰って行ったギルドの食堂。
酔いつぶれた探索者たちが死屍累々と転がる食堂で、夢エルフは1人静かに曲を奏でていた。
深く熟睡できて疲れがとれる安眠の曲だ。
優しく閉じられたその瞳が、ふと訝しげにゆがんだ。
ダンジョンの奥底からアレの気配がする。
そして、その気配が急速に近づいてくるのだ。
夢エルフは、あまりもの嫌悪感に吐きそうになった。
夢エルフは、アレに捕まるのは嫌だった。
どうしても嫌だった。アレに捕まるぐらいなら死んだ方がましだ。そう思えるくらいに嫌だった。だけど、死ぬのも嫌だった。
いつもならダンジョンの途中で、モンスターや四大精霊、探索者たちに撃退されるのだが、驚くことに突破されていた。よほど強力な個体なのか。
夢エルフは逃げ出した。できるだけダンジョンから遠ざかろうとした。だけど、神無備山から外に出ることはできなかった。
ダンジョンの扉がある広場。その外周で夢エルフはまるで壁にぶつかったかのように足を止めた。
なんとか壁の向こう側に行こうと足掻く夢エルフの背後に、それは歩み寄ってきた。
夢エルフによく似た外見だけど、その肌は暗闇のように黒かった。
振り返ってそれを見た夢エルフは、一瞬、思慕の情を顔に映したが、その顔がみるみる深い悲しみに歪んでいった。
声を
ね え さ ん
という形を刻んでいた。
ダークエルフの口も声なく次々と形を刻んでいく。だが、その形を見る限り、発せられるであろう声はおおよそ愛のある声ではない。恨み、憎しみ、怒り、不安、恐怖。そんなドロドロとした汚れた情念のような形を刻んでいた。
一歩ずつ、ゆっくりと、呪詛を吐き続けるダークエルフが、夢エルフに近づいてくる。
夢エルフは恐怖と悲しみに涙をにじませて、イヤイヤと弱々しく首を振った。
夢エルフの口が形を刻んだ。
だ れ か た す け て
夢エルフは、自分の体内の魔力をむちゃくちゃに暴走させた。
爆発するぐらいに膨張した魔力が溢れ出そうとした時、夢エルフの頭に、ある人物のイメージが浮かんだ。
その人物とは、何度も何度も私にハイタッチをしてくれようとしたチビデブハゲのおじさんの姿だった。
た す け て !
体内で暴走する魔力が爆発した時、夢エルフは時空を跳躍した。
夢エルフが跳んだ先は、ワンルームマンションの小さな部屋。そこに置いてあるベッドで惰眠を貪るヒロの上だった。眠るヒロは緩み切っただらしない顔をして、よだれを垂らしている。まったく起きる気配がない。
暴走した魔力は、夢エルフの体をズタズタにした。夢エルフはヒロの上に倒れ込み、重なるようにして荒い呼吸をした。あまりの痛みに気絶することさえできなかった。ヒロに重なって夢エルフは、もがき苦しんだ。
○
ダンジョンの入り口広場に取り残されたダークエルフは、その濁り切った、死んだ魚のような目をギョロリと麓の方に向けた。
ダークエルフは体内の魔力を暴走させ、怒り、憎しみ、恨み、恐怖、不安といった人間の負の情念を辿って次々と転移していった。
転移するたびに取り憑いた人間の情念を吸収し、 ダークエルフはどんどんどんどん肥大化していった。
その体は人の姿をなくしていき、まるでドロドロの粘液の塊のような姿へと変わっていった。
○
気絶することもかなわない激痛の中で、夢エルフはダークエルフの接近を魔法的な力で感知した。
逃げ出したい。でも、体は全く動かず、魔力も 枯れ果てていた。
逃げられない────。
それがわかった時、夢エルフは魂の底から神に願った。
わ た し を こ ろ し て
でも、心が叫んでいた。
し に た く な い
ついに、物言わぬはずの夢エルフの口から、声がこぼれた。
「たすけて!!!」
○
ダンジョンのある甘南備山ほどの大きさになった元ダークエルフのドロドロの粘液の塊は、ついにヒロのアパートの近くに来た。
ヒロのアパートに近づくと、ダークエルフは転移するのではなく、じわりじわりと這いずるように近寄ってきた。
愉悦に
しかし、ダークエルフは、闇に汚染された自分の魂が嫌悪する、嫌な気配を感じて、その歩みを止めた。
アパートの前に、神々しい純白の光を放つ大蛇のような姿をした龍が、とぐろを巻いて鎌首をもたげ鎮座していたのだ。
威厳ある目を不快そうに歪めて、龍は口を開け、大きく息を吸い込んだ。そして……、
世界が白に染まった。
まるですべてを焼き尽くす閃光のようなドラゴンブレスが放たれたのだ。
ダークエルフだった粘液の塊は、一瞬で蒸発した。
何事もなかったような静けさを取り戻した世界。しかし、白蛇の竜王は忌々しそうに目を細めた。
粘液の本体が、体の大半を犠牲にして、自分の横をすり抜けてヒロの部屋に入って行ったのだ。
振り返りダークエルフを追おうとして、中にある気配に気がついて、仏教を守護する八大龍王の長、"難陀龍王"は、その体を休めるように地面に横たえた。
街は、それらの出来事が、まるで夢幻であったかのように、変わらぬ日常の中で眠っていた。
○
ダークエルフは、まるで透過するように扉を抜けて、ついに夢エルフの元へとやってきた。
恐怖に叫び声をあげようと口を開く夢エルフに、ダークエルフは手を差し出す。
こ っ ち に お い で
愉悦にゆがんだ口が、そう形を刻む。
その口が、次の瞬間に、驚愕に大きく開かれた。
部屋の中央。突如、夢エルフとダークエルフの間に、大きな光輪が現れたのだ。
光輪から、まばゆい光と共に、光が人の形をしたようなものが現れた。
高校生くらいの体躯をした光の少年の姿。
その姿は、人の形をしていながら人ではない。
千本もの腕を持っていた。
ダークエルフは、たまげるほどの恐怖の表情をして、なりふり構わず逃げ出そうとしたが、それは叶わず、その千本の腕に抱きしめられた。
千本の腕に抱きしめられたダークエルフは、色を落とし、光り輝く夢エルフと同じ、神々しい真っ白な姿へと変わっていった。
その、ありえないような、神話のような光景を、夢エルフはただ呆然と見ていた。
千本の腕の中で色彩を取り戻した元ダークエルフの瞳は、優しく笑みを作り、声を出さない口が夢エルフに語りかけた。
なにを告げたのかは、わからなかった。
だけど、その口の形は、間違いなく親愛を告げる形だった。
そして、次の瞬間には、まるでダンジョンのモンスターが倒されたかのように、光の粒子となって消えていった。
ね え さ ん !
夢エルフの、愛する姉を想う声なき声が、部屋に響いたような気がした。
○
夢エルフは、その場に泣き崩れた。
声なき、悲しみの慟哭だった。
千本の腕を持つ光の少年は、いまだにだらしない顔をして眠るヒロに振り返って、その口を動かした。
パ パ だ い す き だ よ
その口の形は、声がなくとも、確かにそう言葉を刻んでいた。
完全に熟睡しているヒロが、寝言でそれに応えた。
「デヘヘ、不二子ちゃ~ん。エッチしよ~」
どうやらヒロは夢の中で、元妻とチョメチョメの真っ最中のようだ。
そのヒロの手に、瞳に愛を取り戻したダークエルフのモンスターカードが、光と共に舞い降りたのだった。
光の少年は、消える前に、夢エルフに触れた。
神の奇跡か、仏の
ただそれだけで、夢エルフの傷と魔力は完全に回復したのだった。
──────────
【あとがき】
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