第18話 弥勒の事情・中編

○ 弥勒視点です。


もちろん朝食はないので、できるだけ体を動かさないようにして体力の消耗を抑えるのが私たちの朝の常です。


水を大量に飲んで空腹をごまかし、横になっていると大きな声が響いてきました。


「おーい、バイク。出てきてくれ~」


昨夜、理人に仕事を与えてくださって、その報酬にカロリーバーを2本もくださった、お隣のヒロさまの声です。


でも、バイクってなんでしょう?


それを聞いた理人が、大慌てで入り口に向かう。


「誰がバイクだよ! 変な名前で呼ぶな!」


「バイクが自分のことだと、よくわかったな」


むちゃくちゃな人です。


「なんだ、バイクって呼ばれるのは嫌か? じゃあ、不動でどうだ? 不動明王の不動だ」


「う……それはカッコよくていいかも……」


「じゃあ、お前の名前は不動な。けってー」


本当にヒロさまは、むちゃくちゃな人です。傍若無人に振る舞って、世間の常識を無視しているように感じます。


「それよりなんだよ、こんな朝早くに」


「ああ、これなんだが……」


と言ってヒロさまは、タッパーの蓋を開けて、ゆで卵を見せてくださいました。


「賞味期限が切れそうなんだわ、食べてもらえると嬉しいんだ」


賞味期限が切れそうだなんて嘘です。


私は若輩者ですが、本音と建前の区別くらいつきます。


おそらくヒロさまは、私たちの窮状を知って助けようとして、私たちに遠慮や気遣いをさせないように、嘘をついてくださったのでしょう。


ヒロさまの気遣い……優しさが胸に染みて、声が震えます。


「い……いいんですか?」


「いいんだいいんだ。置いといても腐らせて捨てるだけだし、ゆで卵も捨てられるより食べてもらったほうが幸せだろ?」


ゆで卵の幸せのために、食べてやってくれ。


ヒロさまは、そう言うのです。


目的はあくまで、ゆで卵のため。


俺はお前たちを助けるんじゃない。ゆで卵を助けるんだ。


お前たちのためにするんじゃないから、気を遣う必要なんかないんだぞ。


ヒロさまは、そう言っているのです。




優しい……。




ヒロさまは、喜びに震える私にタッパーを押し付けて、


「タッパーは夕方に不動が来る時に持ってきてくれ。じゃあな」


そう言って、引き止める間もなくご自分の部屋に戻られました。


私は去り行くヒロさまの背中を、ただ見つめていました。


ありがとうございます。


そう、感謝の念を送りながら。


ヒロさまは小柄な方ですが、その背中は、私にはとても大きく見えました。



ゆで卵を家族で分けあって朝食を取り、お弁当にゆで卵を1個持って学校に行きました。


教室は、何事もなかったようにいつも通りでした。


いつも通り授業を受けて、お昼休みにはヒロさまからいただいたゆで卵を食べて空腹をしのぎました。


その様子を、クラスメイトのみなさんがチラチラとうかがっていらっしゃいましたが、声をかけてくる者はいませんでした。


お昼休みも終わり帰宅し、洗って干してあったタッパーを持って、ヒロさまに理人と2人でお礼を言うために、お部屋の前で待っていました。


やがて、ヒロさまがご帰宅されました。


「よう、お二人さんお待たせ」


ヒロさまは、まるでお友達と接するかのように気軽に声をかけてくださいます。


馴れ馴れしい感じはなく、気安い感じが嫌味を感じさせないです。そこに、ヒロさまの出来た人柄を感じて好感を持ちました。


「お帰りなさいませ。ヒロさま」


「……おかえり」


理人……反抗期の弟が、ぶっきらぼうに返事をしましたが、ヒロさまは気を悪くした様子がまったくありませんでした。なにか、反抗期の少年の相手をすることに手慣れた印象を受けます。


「今朝は結構なものをいただき、本当にありがとうございました」


本当に助かりました。


「ああ、いいよいいよ。気にしないでいてくれると嬉しい。卵もきっと、賞味期限切れで捨てられずに食べてもらえて嬉しかったと思うぞ。卵が喜んでる。そうだろ?」


そう、おどけて言うヒロさまに、理人が噛みつきました。


「……卵が喜ぶわけないだろ」


「何言ってるんだ? 喜ぶに決まってるだろう 。ほら、卵なんて、ゆるキャラみたいなもんだし」


「何で卵が、ゆるキャラなんだよ」


「なんでって……それはお前……、だって卵って丸いじゃん!」


「何キレてんだよ、おっさん! わけわかんねえよ!」


口論を始めた2人を、慌てて止めました。


「2人とも、ケンカは、やめてください」


私の顔を見た2人が焦ったようにして、慌ててお互いに肩を組んで笑顔で仲良しアピールをしました。


「ケ……ケンカなんか、してねえし」


「そうとも。俺たちは仲良しフレンドだ。わっはっはっ」


ああ、良かった。


私は、ホッとして胸を撫で下ろしました。


2人は、とても仲良しに見えました。



ぜひ、お礼をしたい。


私がそういうと、逆にお仕事をいただきました。


報酬は破格です。朝食、おやつ、夕食までいただけるのです。しかも私と弟と母を含めた3人分。


お仕事のメリットとデメリットをきちんと説明されて、ご自身が大変えっちであることすら包み隠さずに明かしてくださいました。


全て明かした上で、判断を私に委ねてくださいました。


そんな必要なんか全然ないのに、私に謝ってくださいました。


ヒロさまは「悪いのは俺だ」と言って頭を下げるのです。


とても誠意を感じて、さらに好感を持ちました。


ヒロさまは表情が豊かで、なにを考えているのかが丸分かりになります。さらに、率直な物言いに正直な言葉で話されます。とても分かりやすい方です。


なんでしょう、ヒロさまのそばに居ると、とても安心してしまいます。




もう、大丈夫だ。




根拠なんかまったくないのに、そんな気持ちになるのです。


心を許す────。


私のそんな気持ちに、その言葉がぴったりと当てはまりました。


ヒロさまは、私のことを弥勒菩薩だと思ってらっしゃるそうです。


独特の感性を持たれているのですね。相手を仏さまのように敬い尊重するヒロさまの気質が感じられます。


さらに、好感を持ちました。



ちょっとした事件が起きました。


理人が調理中に掃除を始めたのです。


そんな理人を、ヒロさまは優しく叱りました。


「不動、掃除をしてくれてありがとうな。でもな、掃除をすると埃が舞って料理に入っちまうんだ。だから掃除をするのは待ってもらえるかな? お前が進んで掃除をしてくれるのは、俺、すごく嬉しいよ。本当にありがとうな」


私は驚きました。


驚愕と言っていいかもしれません。


だって、父だったら烈火のように怒って怒鳴り付けます。


ヒロさまは、そんな父とは逆に、理人を叱る言葉の前後に「嬉しいよ、ありがとう」と言って、真心で包んで叱ってくださいました。


これが、大人の男性の包容力────。


父は、怒鳴ることによって不機嫌と恐怖で人を操ろうとしましたが、ヒロさまは、自分が上機嫌で喜ぶことによって、嬉しさで人を動かそうとしています。


父とは全く違います。真逆です。


父が叱る時、結局何を言っていたかを一言で言うと「お前が悪い」でした。


ヒロさまは、叱る時何を言っているか一言で言うと「お前っていいやつだな」です。


衝撃的でした。


こんな男の人がいるんだ。


私は、本当に衝撃を受けました。


生まれて初めて、そんな男の人に出会ったのですから。


胸がドキドキしました。


熱がのぼり、頬が赤く染まりました。




好きです




声が勝手に口から出ようとしたのを、とっさに止めました。


あ、分かりました。


これ、恋です。


私は生まれて初めて、恋という言葉の意味を知りました。


「ん? どうした、弥勒」


「いっ、いえ。なんでもありません」


好きですなんて、絶対に言えませんっ。



ヒロさまは素人の私に、料理の方法を、とても分かりやすく丁寧に教えてくださいました。


私に教えるヒロさまが、とても楽しそうに見えます。とても、上機嫌です。


「おっ、上手いじゃなんか。すごいすごい!」


ヒロさまは、ちょっとしたことでも、大げさなくらい褒めてくださいます。


えへへっ、うれしいです。


私、お料理が大好きになりそうです。



ヒロさまがお手本で焼いてくださったお肉は、理人によって、すぐにお母さまのところに運ばれました。


壁を通して、お母さまの喜びの声が聞こえてきます。


良かった……、本当に良かった。


ふと、ヒロさまを見ると、私と同じ顔をしていました。


心から良かったと思ってホッとした顔です。


ああ、ヒロさま……。好きです。


歳の差なんて関係ありません。この世には若返りの薬だってあるんですから。



私が初めて焼いたお肉は生焼けでした。


「ごっ、ごめんなさいっ」


あれだけ丁寧に分かりやすく教えてくださいましたのに、私はなんてダメなのでしょう。


私は、落ち込みました。


そんな私に、ヒロさまは優しく言ってくださいました。


「一人でやって50点だったら、みんなで100点にすればいいのさ。弥勒、お前は一人ぼっちじゃないんだぞ」




ひとりぼっちじゃない。




私は、誰にも助けてもらえず、ひとりぼっちで教室で泣いていた女です。


そんな寂しい女が、初めて恋に落ちた大好きな男性に「お前は、ひとりぼっちじゃないんだぞ」なんて言われて、うれしくないわけがありません。


私は、うれしくてうれしくて、弟の前だというのに、まるで子供のように泣いてしまいました。


思いっきり泣いて満足すると、私はヒロさまに告白しました。


この恋は初めての恋。でも、私の直感が言っていました。


この恋は、最後の恋だ、と。


私は絶対に、この人と添い遂げる。


私は、ヒロさまをまっすぐに見つめて告白しました。


「私を一人ぼっちにせずに、ずっと一緒にいていただけますか?」


これは私の決意表明────、


一世一代の、プロポーズです。


──────────

【あとがき】

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