第17話 弥勒の事情・前編
○ 弥勒視点。
私の名前は、
東城家は古くから医薬品の開発や製造販売で財をなした名家で、星蘭女子高校は名家の子女が通う名門高校です。
名家である東城家は裕福で、私は何不自由のない生活をしていました。そう、ダンジョンができるまでは。
ダンジョンができて、そこから現代医学では到底再現のできない奇跡の効果を持ったポーションが産出されるようになりました。 また、ダンジョンが探索者たちにもたらすスキルが、医薬品の普及を妨げるようになりました。そう、ヒールやキュアと呼ばれる傷を治し病気を癒すスキルです。それによって私の家の経済状況は徐々に悪化していきました。
ダンジョンから発掘されるポーションはとても高価で、最高級のものでは10億になるものまであります。またヒールやキュアなどのスキルも、例外はありますが、ダンジョンの中やダンジョン付近でないと使えないものですので、医薬品が全く不要になるということはありませんでした。でも、それでも事業規模の縮小を余儀なくされました。
事業規模の縮小に続く縮小。それでもなんとか 東城家は人並み以上の生活ができていました。そんな時、事件は起こりました。
社長が、会社のお金を持って逃げたのです。
社長は、お母さま『
それによって、お母さまの奮闘の甲斐なく会社は倒産 。私たちは多額の借金を背負って路頭に迷うことになりました。
財産は全て没収され、当然、住む家もなくなり、幽霊が出るという噂の、腐った水のような匂いのするアパートに住むことになりました。
幸か不幸か、学校には通えることになっていました。学費を全て、前もって入金していたからです。
私たちの不幸は続きます。働いてくださっていたお母さまが心労と過労で倒れたのです。
貯金などありません。すぐにお金は尽きて食うや食わずの生活となりました。もう3日も水しか飲んでいません。
飢餓は本当に辛いです。まるで世界の全てから虐待を受けているような惨めな気持ちになります。気を抜くと泣き叫びそうになります。
ダンジョンで荷運びのお手伝いをして小銭を稼ぐことも考えました。
でも、荷運びは社会の最底辺の仕事。名家、東城家の名前に傷が付きます。今さらと笑われてしまうかもしれません。でも、お母さまが、まだ、会社の復興を諦めていないのです。東城家の名前に傷をつけて、そんなお母さまの足を引っ張りたくありません。
○
学校のお昼休みの時────。
銘々にお弁当を広げて、クラスメイトのみなさんが食事をされていました。
「助けて……」
こんなこと、言うつもりはありませんでした。言われた方もご迷惑でしょう。
でも、一旦こぼれ落ちた心の声は、堰を切ったかのように溢れだして止まりませんでした。
「助けて……誰か助けて!」
教室が静まり返りました。
そして……ひとり、またひとりと、教室からクラスメイトが出ていきます。やがて私は、広い教室で一人ぼっちになってしまいました。
私は、ひとりぼっち。
でも仕方ありません。悪いのは私です。
名家が没落して貧乏になることなんて、それほど珍しいことではないのです。
現に私だって小学生の時に、没落して貧乏になったクラスメイトを助けてあげることができませんでした。
そんな私に、彼らを責める資格などあるはずがありません。
その日は、学校の終業時間まで、結局誰一人、教室に帰ってきませんでした。
私はたった一人で、教室で泣いていました。
○
涙を拭って家に帰りました。
家に帰ると驚きました。あの腐った水のような匂いが、完全になくなっていたのです。
昨日、お隣さんが入居されてから匂いはどんどん少なくなっていって、今日はもう完全にその匂いはなくなっています。きっと、お隣さんはとても高性能な空気清浄機を持っていらっしゃるのでしょう。
「ただいま、お母さま」
「おかえりなさい、鈴音」
私は不覚にも嬉しさで涙が出そうになりました 。
寝たきりだったお母さんが上半身だけでも起き上がって、きちんとした声で私に向かって喋ってくださったのです。
お母さまは昨日からとても体調が良く、昨日なんか起き上がって歩くことができていたほどです。すぐに疲れてお布団に戻ったのですけれど。
気持ちの問題でしょうか。部屋の中もキラキラと輝いているような、そんな明るい気配がします。
「ただいま、母さん、姉さん」
弟の理人も帰ってきました。
私たちは水を飲んで、できるだけお腹を空かさないように、横になっていました。
極限状態
今の私たちを言い表すならば、その一言でしょうか。
弟の理人は、この状況を受け入れることができないのでしょう。とても辛く苦しく悲しい、思いつめた顔をして家から飛び出していきました。
私には、そんな弟を追いかける気力も体力もありませんでした。
どれだけ時間がたったでしょう。部屋の前で、理人の声と誰か男の人の声がしました。
しばらくすると勢いよくドアが開いて、理人が駆け込むように入ってきました。手にカロリーバーを2つ持って。
「お母さん姉さん、晩御飯を手に入れてきたよ 食べてくれ」
「どうしたの、それ?」
「まさか、あなた……」
「盗んできたんじゃない。ちゃんと仕事をしてきたんだ」
「ほ……本当なの?」
「ああ、本当だ。疑うなら隣のおじさんに話を聞いてきてくれ」
「ああ、本当なんだね。良かった……」
「ああ、だから遠慮なく食べてくれ。母さんにはお湯でふやけさせたほうがいいかな」
「それは私がやるわ。お母さまは座ってて、まだ立つのも辛いでしょう?」
「ありがとうね。じゃあ座って待たせてもらおうかしら」
私は理人からカロリーバーを受け取って、鍋でお湯を沸かし、おかゆのようにカロリーバーを崩して茹でました。
美味しそうな匂い。
待たされ続けた私の胃袋が、うるさいほど活動を始める。
カロリー バーで作ったお粥をお母さんの前に出して、私も理人から受け取ったカロリーバーを少しずつ少しずつ大切に大切に、かじるようにして食べました。
涙が出るほど美味しかったです。
今まで生きてきて一番美味しかった食べ物は、このカロリーバーです。そう、はっきり言えるぐらいに美味しかったです。
ゆっくりおかゆをすするお母さまを見ました。
多分お母さまも、私と同じ意見だと思います。
思いっきり時間をかけてカロリーバーを食べて、お水を飲んで眠りました。
その夜は、夜中に空腹で目を覚ますことがありませんでした。久しぶりに熟睡できたのです。
○
朝が来ました。
驚くほど、スッキリとした目覚めです。
空気も、まるで森林浴をしているかのように清々しいです。
緑の深い山の頂上にひっそりと立つ神社が、このような清浄な空気をしていたのを思い出しました。
──────────
【あとがき】
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