第3話 新生活と探索者登録

「お母さま起きて大丈夫なの?」


「いいのよ、何だか体が軽いの」


「まだふらついてるじゃないか。家のことは僕たちに任せて寝ててくれよ、母さん」


左隣の部屋の住人たちの声で目を覚ました。寝ぼけ眼で時計を見ると6時だった。


今日は土曜日。


世間様は休日だが無職の俺にはなんの関係もない。早くも曜日感覚が狂いはじめていた。


母親と姉と弟の3人か。どうも母子家庭のようだな。


どうやら母親は体調が悪いようだ。


ていうか、このアパート壁が薄いよ。声がまる聞こえじゃん。


ちなみに右隣の部屋は空き室だ。幽霊が出るという噂の部屋の両隣はやはり人気がない。家賃が安いというメリットはあるが、やはり人は幽霊が怖いのだろう。


もっとも俺は、この部屋に入居してから幽霊の気配などまるっきり感じていないのだが、それは俺が鈍いせいだとは思いたくない。


きしんだ音を立てる安いパイプベッドから起き上がり、シンクで水を汲んでコップ1杯の水を飲む。


神棚の水を新しく入れ換えて軽く掃除してから手を合わせて祈る。


「難陀様、今日もありがとうございます。感謝しております」


祈りをすませると寝起きで固まっている体を柔軟体操をすることによってときほぐす。


柔軟体操を終えると朝食の準備をする。


レタスをちぎって皿に盛りドレッシングをかけ プチトマトを2つ乗せる。トーストはトースターで1枚焼きアプリコットジャムを塗る。目玉焼きは2つだ。焦げ付かない4000円もするフライパンで焼く。キツい出費だが、この俺の料理技術では目玉焼きを焦がさずに焼くことはできない。このフライパンでなければならないのだ。


出来上がった朝食を丸いローテーブルに並べて そこに座り朝食を食べ始める。


うん、おいしい。


スマホで朝のニュースをチェックする。


『政府は少子化対策で一夫多妻制度の導入と結婚年齢の引き下げを検討しており、 法案は今週中にも可決されるものとみられます』


『医師の診断で出産可能とされれば、14歳から結婚ができるようになるということです』


『子供が増えて経済的に育てられなくなったら、国が責任を持って引き取ります』


それは倫理的にどうだろうと思うようなニュースが流れている。


『次のニュースです。ダンジョンで若返りの薬が発見されオークションにかけられた結果、10億円で落札されました』


すげーな、10億か!


ダンジョンには一攫千金の夢がある。


その後もダンジョンがいかに魅力的であるかというニュースが続いた。


なにか作為的なものを感じるな。メリットばかりが提示されてデメリットには全く触れられていない。


誠実さに欠ける。


そう思うと急に冷めてしまって、天気予報を探してチャンネルを切り替えた。


うん、今日の降水確率は10%。いい天気で気持ちがいい。







昨日中に入居に伴う様々な雑事を終わらせたので、今日はいよいよダンジョンに行くことにした。


ダンジョンにもいろいろあるが、検討に検討を重ねた結果、近所の甘南備山頂ダンジョンにいくことにした。


••••••ダンジョンの情報集めでずいぶん時間がかかったように思う。だが、おかげで俺はすでにダンジョン博士だ。ダンジョンのことならなんでも聞いてくれ。


甘南備山頂ダンジョンを選んだ理由は、自転車で片道30分という近距離なのが一番だが他にも理由がある。


そのひとつが甘南備山頂ダンジョンが死に戻りダンジョンであることだ。


死に戻りとは、死ぬと生き返って強制的にダンジョンの入り口に戻されることである。


これは甘南備山頂ダンジョンが特別というわけではなく、ダンジョンの約80%は死に戻りができる。死に戻ると生き返る上に、基本的に怪我も治っている。これが重要だ。


実に命に優しい仕組みだ。


ダンジョンを作った神様は、俺の幼なじみのように優しい人に違いない。


まあ、デメリットもある。


ありていに言って死ぬのは死ぬほど痛くて死ぬほど怖いので、死に戻り経験のある者は二度と死にたくないと思うようになる。


それでも何度も死に戻りの経験をしたものは、例外もあるが大抵3~5回で探索者をやめる。


そういう理由で探索者を長く続けられる者は少ない。長くてもだいたい5~10年ほどでやめてしまう。


ダンジョンによっては死に戻るときに死ぬときの痛みや恐怖を忘れさせてくれるものもあるが、全体の1%に満たない少数だ。


当然そういうダンジョンには探索者が多く集まり、探索者が集まるということは儲けが少なくなる。モンスターの取り合いが発生するのだ。ダンジョンに発生する宝箱もダンジョンで採取できる素材も、ほとんど残っていない。


ダンジョンによっては戦闘のときに受けた傷の痛みも感じなくしてくれるものもあるらしいが、そんなダンジョンは輪をかけて少数であり世界中でも数えるくらいしかなく大変混雑している。モンスターよりも探索者のほうが多いと聞く。行政が入場制限をかけてもである。


なお、死に戻りのないダンジョンは国によって厳重に管理され、許可されたものしか入ることができない。


また、ダンジョンからモンスターが出ることはできないが、世界のほんの数か所だけダンジョンからモンスターが出てくるダンジョンがある。


いくつか例をあげれば日本では北海道の網走にある網走監獄ダンジョン、アメリカのカリフォルニアにあるヨセミテダンジョン、モンゴルと中国の国境付近にあるチンギスダンジョンなどである。


これらはその国の軍隊などによって包囲され、厳重に管理されている。


そういうわけでリスクとメリットを考えれば近所にある甘南備山頂ダンジョンは俺にとっては とても都合の良いダンジョンということになったのだ。


モンスターに殴られると痛くて、死ぬ恐怖もあるが、死に戻りがあるので生存が保証されている。ある理由から過疎••••••というほどではないが、探索者の数が少ないので、モンスターの取り合いをすることはないだろう。つまり儲けることができるということだ。


目指せ、老後資金2000万円。







自転車で甘南備山頂ダンジョンに息を切らせて乗りつけると、そこは1つの街のようになっていた。


甘南備山の山頂にあるゆえに大変見晴らしのいいところだった。


5月の新緑溢れる山裾が広がり、その先に市内が一望できる。


夜景観賞のできる若者のデートスポットでもある街だ。


さて、その風光明媚な街に訪れて一言。


「坂道、きっつううう! 明日は絶対筋肉痛ぅううう!」


50歳おじさんの体力、すでにレッドゾーン。


ふもとでバスに乗れば良かったのだが、バス代をケチったのだ。標高200m程度の山とあなどっていた。


市内を一望できる公園のベンチに座って息を整え、明日からはバスに乗るかどうしようかと真剣に思案したのだった。







街は、探索者向けの用品を売る店などが並び、またダンジョンで得られた資源を購入する企業などが店兼倉庫を建てていてそこに買取業者が常駐していたりする。


探索者向けの宿泊施設などもいくつか見える。ひと際目を引くのは高さが15m幅8mほどもある両開きの大きな門が山頂広場の中央にドンと立っているところだろう。ロダンの地獄門のようなデザインだ。常に開け放たれているあれがダンジョンの入り口だ。その隣に建てられた鉄筋コンクリートの建物が、おそらくダンジョン庁の探索者ギルドだろう。『探索者ギルド甘南備山頂ダンジョン支部』と書かれている。間違いない。


100台は停めれるであろう広い駐車場の一角にある駐輪場に自転車を停めて、探索者ギルド甘南備山頂ダンジョン支部(以下単にギルド)の入り口をくぐると、そこはいくつもの受付がある役場のようなところだった。


新規登録受付という釣り看板が下がったカウンターに行く。そしてそこの受付嬢に話しかけた。若い綺麗な女性だ。年の頃は20歳前半といったところだろうか。


その女性を一目見て惚けた。


タレ目ぎみで穏やかそうなブラウンの瞳、泣きボクロが色っぽい艶のあるグラマラスな美女だ。亜麻色の髪は長く腰辺りまであり毛先を輝くような虹色のリボンで結んでいる。非常に俺の好みのタイプだ。理想の女性といっていい。


妻••••••おっと元妻だな。元妻と同じリボンを持ってるんだな。


「探索者の新規登録をしたいのですが、こちらでよろしかったでしょうか」


「こちらで間違いないですよ~」


少し間延びしたおっとりした風で受付嬢は応えた。


座ることを勧められパイプ椅子に座ると 冊子を渡され、それを見ながら探索者の基本的なルールを説明してもらった。


ざっくりいうと日本の法律や倫理道徳を遵守することと、武器の取り扱いに注意を受け、後は実際にやって慣れろということらしい。ダンジョンに特有の法律についてはしっかりと説明を受けた。


「魔石さえ持って帰ってくれれば何でもいい」


そう言われた気分になって説明が終わった。


モンスターの情報とダンジョンの地図は有料だった。モンスターの冊子が1000円で地図が1層500円。今日は様子見だけのつもりだったので購入は見送った。そもそもネットで調べれば事足りる。


おすすめの武器防具なども教えてもらうことができたが一言言おう。高い。


最も安いダガーで1万円。ショートソードなど4万円もする。ヒノキの棒というものが5000円で売っているが、これは役に立つのだろうか。


防具は一番安いもので野球のキャッチャーのプロテクターのようなものが3万円。


「お子さんが使わなくなった野球のバットなどを武器に持ってくる探索者さんもいらっしゃいますよ~。 防具は初心者の方ですとジャージやツナギなど動きやすい服装をしてヘルメットと膝パットと肘パットだけという形で潜られる方も多いですね~」


考えた結果、武器は家から持ってきた果物ナイフ。防具はなしということにした。 大丈夫、今日は本当に様子見だけだ。


なお俺の服装はゴルフウェアだ。


もう一度、自分の姿を見る。


これで大丈夫か?


気が変わって、念のためヘルメットと膝パットと肘パットを購入した。8,000円の出費だ。懐に痛い。


ヘルメットは工事現場で使うような緑十字マークの入ったチープなものを選んだ。選定理由はもちろん金額が一番安かったからだ。


受付嬢から先輩探索者の講習を受けるように勧められたが今回はいいだろう。


「では探索者証を発行いたしますので、一度ダンジョンに入ってきていただけますか~」


なぜ探索者証を発行するのに一度ダンジョンに入る必要があるのか。


それは14歳以上の年齢の初心者がダンジョンに入ると、ダンジョンからギフトと呼ばれる初期スキル(技能や能力)とキャラクタークラス(以後単にクラス)と呼ばれる職業のような役割を与えられるからだ。それらが与えられると、モンスターとの戦闘に耐えられる力が得られる。


探索者証にはそのクラスとスキルを登録しなければならないことになっている。


クラスの例をあげれば勇者とか戦士とか魔法使いとか僧侶である。レベルアップでそのクラス特有のいろいろなスキルを使えるようになる。


まるっきりファンタジーのロールプレイングゲームだ。笑ってしまった。


これだからダンジョンをゲーム感覚で潜ろうとする人が絶えないんだよなぁ。


蛇足だが、ダンジョンをゲーム感覚で潜る人は長続きしないと言われている。


考えてみよう。例えばスマホでゲームをしていて、キャラクターが攻撃を受けるとプレイヤーの自分まで痛みを感じるとしたら誰がそのゲームをやるだろうか。


スマホのゲームで大怪我をしましたなんて、洒落にならない。


閑話休題。


ギフトの例を挙げれば勇者ならば雷の攻撃を放つサンダー、戦士ならば強力な斬撃を放つスラッシュ、魔法使いならば火の玉を飛ばすファイヤー、僧侶ならば回復魔法であるヒールなどである。いわゆる初期スキルというやつだ。


俺が探索者に希望を見出しているのは、例えば魔法使いのクラスに就いたとしたら遠距離からファイヤーを飛ばすだけでモンスターを倒すことができるのである。


これならば肉体労働はダンジョンの中を歩くだけということになる。


戦士のように重たい防具を着て重たい剣を振り回さずに済む。


魔法使いならば腰のイカれた50歳のご老体である俺にも探索者が続けられるのではないだろうかと考えたのだ。洋画の魔法使いには老人キャラが多いしな。



全てはギフトとクラスで決まる。



「魔法使い来い!」


俺は脇目もふらずまっすぐにダンジョンの入り口を目指して歩いた。


やがて入り口に着く。波打つ光の壁のような入り口を見つめ、俺はドキドキしながら開け放たれた門をくぐった。


ダンジョンの中は緊張感を感じさせるヒヤリとした空気に満ちていた。


ちょっとすえたような匂いがするのは、これは何の匂いだろう。


横幅8m高さ5mほどの洞窟。自然洞窟のように見える。意外に広い。


数人の探索者らしき人たちが行き来している。混雑するほどではないが無人ということではないのだろう。


洞窟の壁は光ゴケのようなもので覆われていて 中はうっすらと明るい。これだけ明るければモンスターとの戦闘に支障はないだろう。


どこか幻想的な風景で感動する。冒険映画の登場人物になった気分だ。なにか叙述詩的な壮大なストーリーが始まる予感がした。脳内では荘厳なBGMが流れている。


初めて見るダンジョンに目を奪われていると、頭の中に電子音声のような女性の声が響いた。


『プレイヤー【ヒロ】はクラスとギフトを受け入れますか?』


ん? こんなアナウンス、ネットに上がってたっけ?


疑問に思ったが、反射的に「あ、はい」と答えてしまった。


そして••••••、


『 プレイヤー【ヒロ】はクラス【チビデブハゲ 】とギフト【変態】と【元気】を獲得しました』


••••••••••••••••••


••••••••••••


••••••


•••


「えっ?」



──────────

【あとがき】

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