第17話 悪魔

 「そうだった……」


 ルカは、すっかり忘れていた。つい先ほど宣言したばかりだというのに。


 すなわち、『ナチュラルズ』の他のメンバーは全員全裸であり、自分だけが服を着ている状態である。そのため部外者であるメレニーを助けに行けるのは自分だけだと。


 正直言って全裸にならないための方便であったが、これが即自分に対するブーメランとなって戻ってきた。しかし、自分の言ったことであるし、何より道理である。彼女を助けに行けるのは自分しかいないのは確かだ。ルカを先頭として一行はダンジョンの通路を進み始める。


「ところでヴェルニーさん、今までもダンジョン内で他の冒険者とかに目撃されたことはなかったんですか?」


「もちろんないよ。あればもっと噂になっているだろう」


 それはそうだ。ベネルトンの町の冒険者のトップに君臨する三人が、実は露出狂であるなどという事実、ゴシップとしては十二分に面白い話だ。


「ん、でもヴェルニーさん達、前回無法者ローグの討伐に行ってましたよね? もし相手が投降してたらどうするつもりだったんですか?」


「投降なんて許さないよ。全員ブチ殺すよ」


 元気があって大変よろしい。柔らかな物腰から「貴人なのではないか」という噂も経つヴェルニーであるが、一皮むいてみれば彼も立派な冒険者荒くれ者である。


 ということはもしも自分もナチュラルズに加入しなかったなら殺されていたのだろうか? ルカは身震いした。いや、いくら何でも無辜の民を殺すなどという非道はヴェルニーはしまいが、しかし。


「もし、僕がいなかったら、偶然ダンジョン内で出会ったのが僕じゃなく別の人だったなら、ヴェルニーさんは助けていましたか……?」


 聞かずにはいられなかった。ルカの問いかけに、ヴェルニーは少し考え込む。スケロクが『全裸の才能』を見出していたルカでなかったなら。もしダンジョンで竜に食われそうになっていたのがメレニーであったなら。


「どうだろうね? 僕たちは正義の味方じゃないからね」


 少し背筋の冷える返答ではあったが、ルカはこれ以上考えないことにした。もしかしたら彼らほどの実力であれば姿を視認させずに助けることもできるかもしれないし、今そんな仮定の話をしても意味はあるまい。


「じゃあ……」


 ようやくルカは玄室の扉の前に立った。


「気を付けるんだよ」


「仲間になったばっかで死ぬんじゃねえぞ」


「玄室から逃げようとすれば悪魔は攻撃をやめるはずよ。無理しないでね」


 ルカはお守り陰毛をぎゅっと握り締める。冒険の中で、主体的に、中心人物として行動し、そして仲間に身を案じられて励まされるなどというのは彼にとって初めての経験だった。


 深呼吸をしてから玄室の扉を開ける。念のため、両扉になっているそれは開けたままにした。三人は扉の裏側に隠れた状態。


 一人、玄室の前に立つ。


 まさか扉を開けた瞬間攻撃を仕掛けられるなどということはあるまいが、軽くひざを曲げて前傾になる。吟遊詩人バードの彼は防具もつけていないし、武器になるものもない。リュートだけだ。あとは、グローリエンにもらったお守り。


「ギッ」


 ルカが玄室の奥に歩みを進めると、小さな呻き声のようなものが聞こえて、悪魔が姿を現した。


 お面のように貼りついた笑顔、聞いた通りナイフのように鋭い爪。それに石造りのような質感の肌。先ほどのイゴールの方がよほど人間味がある。


「メレニー……メレニー!」


 部屋の奥の方は少し段がついて高くなっており、祭壇のようになっていた。そこに気を失っているのか、メレニーが横たわっている。無事を確かめたい。近づいて息があることを確認したかった。


「くっ……」


 しかし、近づけばそれと同じだけ、悪魔の方も近づいてくる。


 ぴょこん、ぴょこん、とユーモラスに体を揺らしながら笑顔の悪魔が近づいてくる。質感はやはり無機質な石のようなものに見える。ゴーレムの一種だろうか。体の大きさは人間と変わらず、細身だ。


「さあ 美しいお嬢さん 持ってきてくれ ウェインズッミル私にワインを


 擦り潰れたような不気味な声を発しながら近づいてくる。途切れ途切れの劣化しきったレコーダーといった風であるが、しかし聞きようによっては謳っているようにも聞こえる。


「持ってきてくれ ウェインズッミル私にワインを


「ひっ……」


 人よりも少し手が長い。奇妙な動きと声に気を取られていたが間合いに入っていた。悪魔は声を発しながら攻撃を仕掛けてきた。ルカはギリギリのところで爪の斬撃を躱す。首元の衣服が破けて千切れた。


くだんの仲間は気を失っているようだね……スケロク、確認できるか?」


 ヴェルニーとスケロクが扉の陰から首だけを出して確認する。


 祭壇の上に倒れている少女。煽情的なチューブトップの服を着ているものの、その体は起伏に乏しく、短い髪と相まって少年のように感じられる。スケロクのニンジャとしての基礎教養により、彼は横隔膜の動きから「寝たふり」と「睡眠中」の人間の呼吸を完全に見分けることが出来る。


「さあ 美しいお嬢さん 持ってきてくれ ウェインズッミル私にワインを


 悪魔の攻撃は続いている。ルカは何とか踏みとどまり、敵の攻撃を躱し続けていた。しかし彼の実力では捌ききれないのか、衣服の下から血が滲み、リュートのストラップも切断されてしまっている。


「ヴェルニー、助けに行かなくていいの?」


 グローリエンが問いかけるが、彼は手を上げて「待て」のサインを出すだけ。


「ナチュラルズの一員になった以上、いつまでもお客様扱いはできないよ。もちろん危なくなれば仲間として助けるけれどね」


 ヴェルニーの判断としては「まだやれる」だった。


「持ってきてくれ ウェインズッミル私にワインを 女とワインが欲しいのさ」


 とはいえ、防戦一方である。


 いや、もともと吟遊詩人バードである彼には有効な攻撃手段が乏しいのかもしれないが、やはり極限状態で攻撃を躱し続けるばかり。だんだんと着用している服がボロボロになってくる。


「まずいな」


 メレニーのことをじっと観察していたスケロクが声を上げる。


「呼吸をしてねえ」


 まさか。すでに遅かったのかと一瞬思われたが、グローリエンは冷静であった。


「死んではいないわ。もし死んでいたらさっきの私のエコーロケーションにも引っかからないはず。なにか、呪術的な処置で仮死状態にされているか……」


 いずれにしろあまり良い状態ではない。そんな処置をしているといえば、やったのはやはり先ほどのイゴールの仕業か。


「そんなことより、ルカくんの方もいよいよ危ないんじゃないの? 本当に助けに入らなくって大丈夫?」


 見れば、悪魔の攻撃によってルカはすでに衣服を引き裂かれ、全裸になっていた。

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