第16話 イゴール

「来たか……待ちくたびれたぞ」


 ベネルトンの町東のダンジョン。現在確認されている構造は第五層まで。しかし実際には第五層は少し行って行き止まり。おそらくは何か呪術的な封印が施されておりほとんど探索ができないまま放置されている状態である。ここまで大した財宝が出土しておらず、魅力的な素材を持つモンスターもいないことから冒険者からも敬遠されてきた、そんな場所。


 つまり、ここからは実質的に人類未踏の領域となる。


 そうヴェルニーから説明されてルカは高鳴る胸を押さえ、懐のお守りをぎゅっと握って階下へと進んだ。


 だが降りてすぐの場所に先ほどの不気味なせむしの魔人デーモンが立っていた。なんと、待っていてくれたのである。上の階で陰毛だなんだとアホなことをやっていた間。


「ほれ、まずは腕試しといこうか」


 デーモンが片手で印を結び、その上にふっと息を吹きかけると手から黒い霧が噴き出し、人の形をとった。


「ミストゴーレムとは珍しいわね。ファイアボール!」


 だが対応が正確で早い。ヴェルニーとスケロクは微動だにせず、グローリエンが杖を掲げると炎が吐き出され、ミストを文字通り雲散霧消うさんむしょうせしめた。


 「誰が」「何を」やるべきか、それがはっきりとしており、言葉を交わさずとも全員がそれを理解している。


「これならどうじゃ」


 今度は右手を前に出し、ぎゅっと力強く握る。すると握りこぶしの中から血がしたたり、床に落ちる。


 じゅっ、と煙が上がったかと思うと沼から出てくるように床から黒犬が出てくる。ブルッと一回身震いしてからヴェルニーに飛びかかってきたものの、すんでのところでスケロクと交差。喉笛を切り裂かれて床に伏した。


「ほう、実力は十分か」


 さらに両手で印を組もうとした。だがその前にルカが調律ねじをなにやらいじって、すさまじい速さで弦を掻き鳴らす。先ほど四層で奏でていた小気味良い曲ではない。何かの曲なのかどうかも分からない、まさしく「掻き乱す」といった感じの演奏。調律も乱れている。


「むぅ……? 集中できん」


「戦いが望みなのか?」


 ルカのリュートがコンセントレーションを乱した。だがおそらく長続きはしまい。そしてその効果が十分に発揮されているうちにヴェルニーが問いかける。


「ほっほっほ……」


 吐息を吐いているだけなのか笑っているのか、いずれにしろ魔物を召喚する手は止まったようだ。


「わしとしたことが熱くなってしもうた。名乗らせていただこう、わしの名はイゴール。ガルダリキの海に沈む宝石、ヴァルメイヨール伯爵の忠実なるしもべなり」


「俺様僕はゲンネスのエルフ詩人のケロクニーのアッデ」


「一度にしゃべるな」


「イゴール殿」


 ルカが一歩前に進み出る。


「今日は客人が多い、と先ほどおっしゃっていましたが、今日、私たち以外に誰か人間と遭遇したのでしょうか? もしかしたら私の友人かもしれません。今、どこにいるかもし知っていたら教えていただけないでしょうか」


「ほ……」


 ぼろきれの先から見える枯れ木のような貧相な手。それを口に当てて、ほっほっほ、とイゴールは嗤う。


「この醜いおきなめに礼を尽くすとは面白い。まっこと面白い連中じゃ。いいじゃろう、教えて進ぜよう」


 イゴールは親指で後ろを指さす。何やら黒い瘴気が辺りを漂っていてはっきりとは見えないが、太い通路の先には扉があるようだ。


「女盗賊ならこの先の部屋におる。他には知らぬ。もしお主が『試し』を抜けられるようであれば、返してやるぞ」


 そう言うと、イゴールはぼろきれの中にうずくまり、そのまま渦を巻くように消滅してしまった。


「敵対的ではないものの、何やら目的があるみたいだね。イゴール氏は」


「待って、ヴェルニー」


 ヴェルニーは前に進んでイゴールのいた場所を調べようとしたが、それをグローリエンが制止した。彼女はくるりと杖を回転させると高く掲げる。


 ぼやっと杖が弱い光を放ったかと思うと、そのまま杖の尻でコン、と床石を突いた。衝撃で形の良い胸が揺れる。


「今のは?」


「杖で床を叩いた振動波に魔力を乗せたの。たまに斥候スカウトの人が壁や床に耳を当てて遠くの音を拾ってるでしょ? アレを見て思いついたのよ」


 とはいうもののルカには彼女が何を言っているのか全く理解できなかった。床を叩いて音を出した、ということだけは分かる。


「波紋は何かにぶつかると反射して帰ってくるでしょ? 魔力を持つものがあれば、帰ってきた波がその存在を教えてくれる」


 要はソナー、エコーロケーションというものである。振動波は気体よりも液体、液体よりも固体の方が強く伝わる。その条件下で「魔力を持つ者を索敵」したのだ。


「多分、あの扉の奥に何者かいるわ。強い反応が一つと、小さい反応が一つ。でも、大きな反応の方はイゴールじゃないと思うわ」


「例のだね」


「そうね」


 ヴェルニーとグローリエンは何か心当たりがあるようだ。しかしルカはなにがなにやらわからず、といった風である。


「実を言うとね、僕とグローリエンはこのダンジョンを五層まで探索したことがある。本パーティーの方でね」


「俺はねえな。黒鴉クロガラスはダンジョン探索はしねえからな。まあ、噂くらいは聞いてるが」


 それは当然、Sランクパーティーの『ゲンネスト』がここで探索を諦めた理由があるということだ。ここまでのヴェルニーの実力を見れば「モンスターが強すぎて諦めた」などということは考えづらいが。


「現在この第五階層まで探索のできたパーティーはたしか五つほどだったかな? そのいずれもが、あの玄室で探索を終了している。強いボスがいるわけじゃない。それ以上先への進み方が分からなかったからだ」


 ダンジョンで「詰まる」理由にはいろいろある。長すぎて物資が底をつく、敵が強すぎる、そしてダンジョンの「ギミック」だ。何らかの「キーアイテム」を入手できていなかったり、「謎解き」がクリアできなかったり、そんな理由で探索を諦める場合がある。


「この先の玄室には一匹の『悪魔』がいる。鋭い爪を持った、とても素早い悪魔だ。踊るような動きで歌いながら襲い掛かってくるその敵の攻撃をかいくぐりながら『謎解き』をしないと先に進むことはできない」


「……なぜ、それを今僕に?」


「なんでって……」


 ヴェルニーとグローリエンが顔を見合わせてからルカの方に向き直る。


「君が一人で行くんだろう?」


 そうだった。

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