第15話 いります

 「僕は『魔人デーモン』というものがどういう存在なのか、いまいちわかっていませんが」


 根本的なところである。デーモンは基本的にダンジョンの浅層には表れない。中層以下の深い場所、それもボス級として現れるものである。まだ若手冒険者の範疇に入るルカが知らないのも無理はない。


「ルカ君は、この世界の姿についてはどのくらい知っている?」


 ヴェルニーの質問にルカは少しムッとした。


 正直なところ、通信手段も移動手段も乏しいこのヴァルモウエの世界においては、通常自分の生まれた町や村から一歩も出ずにその生涯を終える者がほとんどである。


 中世のヨーロッパで一生のうちに会う人間の数と、現代の世界で一日に出会う人間の数がほぼ同じであったと言えば想像がしやすいであろうか。とにかくそのくらい世界が「狭い」のだ。この世界もそれと同じくらいと考えてもらってよい。


 例外があるとすれば町から町へと渡り歩く行商人、軍人、そして冒険者くらいである。そんな世界では普通の人々が「世界」に想いを馳せることなどない。


 だがルカは「冒険者」であり、しかも「吟遊詩人バード」なのだ。といえども矜持はある。


「この世界は円盤状の平らな地平の上に存在しています」


 もちろんSランク冒険者のヴェルニーも知っていることであろうが、ルカは説明を始めた。


「世界のうち南半分は女神が守護し、人間を中心とする世界『ヴァルモウエ』、北半分は魔王の支配する修羅の世界『ガルダリキ』があり、その境界は『大断絶』と言われる奈落で分けられてます」


「模範的な回答だ。そして付け加えるなら魔人デーモンはガルダリキの住人らしい」


「それは……聞いたことはありますけど」


 ルカはちらりと五層に続く階段を見る。


 ダンジョンは人間界への侵攻を試みる悪魔たちの前線基地だという噂がある。だがその噂の出処は不確かであるし、どちらかというと与太話のたぐいだと考えていた。


「なぜガルダリキから鳥や、飛行能力のあるデーモンが飛んでこないのかは知っているかい?」


「それは……太陽のせいですよね?」


 世界を分かつ奈落『大断絶』百キロ以上の距離もさることながら、その中心には『太陽』と呼ばれる光球が昇降し、世界を照らしている。『太陽』は命を育む大切なエネルギー源であるとともに、強大な裁きの炎でもある。『大断絶』を無理に飛行して渡ろうとすれば、この『太陽』に焼かれ、灰となって『世界』の『外』である宇宙アストラルシーに散華することとなる。


「ダンジョンのマスターはデーモンであることが多い。おそらくはガルダリキから何らかの方法でこの世界にリンクするために無理やりつなげた通路なのさ、ダンジョンはね」


「じゃあ……最深部まで行けば、そのままガルダリキに行くこともできる……?」


「かもね? たいていの場合はダンジョンマスターを倒すとダンジョン自体が消滅しちゃうからただの洞穴になっちゃうけど」


 概要としては分かった。ならば、魔界の尖兵である魔人はやはり倒すべき敵であるようにルカには感じられた。


「今まで僕が出会ったデーモンは、言葉は通じても会話は通じないって感じで敵対的だった。でもさっきのはそうでもなさそうな気がするんだ。興味深くないかい?」


「あいつがダンジョンマスターとは限らねえぜ。知性は高そうだが身分は低そうに感じた」


「まあ、それも行ってみれば分かるさ」


 スケロクの言葉にヴェルニーが返す。彼の言うとおりだ。行ってみなければ何も分からない。グリフォンの巣穴に潜らなければ黄金は手に入らない、という諺もある。


「そうね。まずは五層に降りないと。でもその前に」


 グローリエンが言葉を止めて、改めてルカを見る。いや、上から下まで舐めまわすように見定める。


「服を脱いだ方がいいんじゃないかしら」


「なぜ」


 まだ諦めていなかったようである。


「ルカくん、あなた少し覚悟が足りない気がするのよね」


「うっ……」


 このタレントぞろいの『ナチュラルズ』で、彼の能力がかなり見劣りするのは分かっている。しかしそれでも仲間を助けるために全力を尽くすという覚悟は持っているつもりであった。だがそれでもなお力が足りないのは否めない。


 とはいうものの、本当に服を脱いだら回避力と魔力が上昇するものなのか? まずそこが怪しいとルカは思っている。


「その『仲間』って……女?」


「ぐっ……」


 図星である。いや女以外の仲間もいるのだが、少なくともルカがどうしても救いたい一番大事な仲間は幼馴染のメレニーである。いや他も「まあ余裕があったら救ってやってもええよ」とは思っているが、優先度は低い。


「なるほどね。さすがに全裸で女友達の目の前には出られない、と」


 当然ではあるが、もちろん男友達でも嫌ではある。


「か、仮にですね? この先に僕の仲間がいたとしましょう」


 ルカも一端の冒険者。打たれるばかりではない。反撃の体勢に入った。


「グローリエンさん達も『ナチュラルズ』のメンバー以外に裸を見られたくはないですよね?」


 彼らは全裸で冒険がしたいだけで、裸を他人に見せつけたいわけでは(多分)ない。少なくともそれで社会的に死ぬことを恐れてはいる。活動を秘密にしていることからもそれは間違いないだろう。


「だったら、仲間を助けに行けるのは、この中では服を着ている僕だけということになります!!」


 なるほど、道理は通っている。「ふぅん」とグローリエンは笑みを見せた。


「そこまで覚悟が決まってるんだ。それって、もし仲間が敵に捕らわれていたら、たった一人でも救出に行くってことよね?」


 おそらくは自分で言った瞬間にそのことをルカも理解していたのだろう。ひたいに汗を浮かべながらも「当然」とばかりに首肯する。


「じゃあ、あなたにいいものをあげるわ」


 そういうとグローリエンは軽く足を開き、両足の付け根に自分の右手を持って行った。


「ふんっ」


 むしり。


「はい」


 いんもう


 はいと言われて差し出されても。


 これを一体なんとする。


「どうぞ」


 どうぞ、と言われたということはやはり受け取れということなのだろう。ヴェルニーとスケロクの方を見てみると、やはりこの事態は彼らも予想だにしていなかったものらしく、目を見開いていた。


 しかしこのままでは話が進まない。ルカは仕方なく手のひらを差し出す。するとその上にグローリエンはぱらぱらとそ《・》を振りまいた。


 よくよく観察してみる。


 プラチナブロンドの、縮れた短い毛。


 やはりいんもう


「これを……どうしろと」


「エルフの陰毛をお守りにして戦場に持っていくと生きて帰ってこられるという言い伝えがあるわ」


「初耳です」


 各地の風俗に詳しい吟遊詩人ですら知らないということは、あまり一般に知られていない風習なのだろう。


「いらないの?」


「…………いります」


 しばしの沈黙ののち、ルカは薬などを入れておく小さな袋を取り出して陰の毛をそれに仕舞って、懐に入れた。


 よくよく考えてみれば、人の数倍の長さを生きる長寿のエルフ。その生命の源泉たる女の股。そこを守っている毛なのだ。いかにも霊力がありそうである。

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