第14話 デーモン

 ルカ・アッデ、人生最大のピンチ。


「大丈夫? ルカくん、立てる?」


 もうっているのだ。さらに言うならしゃがんでいるルカの目の前でグローリエンは立って話しかけているので、彼の目の前に銀髪ジャングルがある。もう分っててわざとやってんじゃないのかという具合である。


「だ、大丈夫です」


 そう答えるしかない。実際彼女が何かしたところで何も解決しないのだ。むしろ悪化する可能性の方が高い。


「ルカ君、本当に大丈夫なのかい?」


「無理しねえ方がいいぜ、新人」


 ブルン、と二人の男が前に出る。前に出るというか、やはりグローリエンと同じく二人とも立っているので丁度股間がルカの顔の高さに来る。


「ふぅ……」


 二つの振り子を目と鼻の先に持ってこられて、ようやくルカは冷静さを取り戻して立ち上がった。


「ん? おい、どうしたんだ?」


 そしてリュートを構える。通常リュートの演奏は座った状態で膝に楽器を乗せて行うものであるが、彼はどこでも演奏ができるようにストラップがつけてある。


「勇気の出る音楽でも、演奏しようかと思いまして」


 嘘である。


「何言ってんだお前。こんな静かな場所でそんなので演奏なんかしたら敵に居場所を教えるようなもんだろうが。正気か?」


 正気である。むしろ正気度SAN値を保つための措置なのだ。演奏に集中することでグローリエンの具ローリエンから自分の気を逸らす。さらにもし迂闊にも下半身が戦闘態勢に入ってしまった時においても、この構えは彼の立場を盤石の重きに導いてくれることであろう。即ち股間を楽器で隠すのだ。


「お前勃起してんだろ」


「さあ行きましょう。仲間の安否が心配です」


 リュートの乾いた音がダンジョン内に響く。ギターよりも多く、十本以上もあるリュートの弦を押さえ、弾く指の運びはまるで踊っているようである。


「勃起してんだろお前」


「いいじゃないか、スケロク」


「ヴェルニー……」


「敵に捕捉されたって僕達には脅威じゃない。それに音楽を奏でていれば行方不明になったルカ君の仲間からもこっちを見つけてもらえるかもしれない」


「いやそうじゃなくて……まあいいか」


 まだ何やら気になることのあったスケロクであったが、ようやく追及を諦めたようであった。それよりもルカの奏でる軽快な音に気持ちが高揚してきたのかもしれない。


 吟遊詩人バードの奏でる音には身体能力や魔力を引き上げたり、ケガを回復させたり、いろいろな補助効果がある。通常の魔法も使えるが、戦いの『場』を有利にするための仕込みを色々と行えるクラスなのである。


 つまり、それを駆使してルカは危機を脱したのだ。


「第四階層はここでおしまいだ。ここから先は殆ど探索の進んでねえ第五階層、その多くが未踏領域になる」


 ルカの演奏が続く中、数度のモンスターとの戦闘を経て、下へと続く開口部のあるエリアに一行は到着した。


「バードとパーティーを組むのは初めてだが、なかなか悪くねえじゃねえか」


「そうだね。なかなかレアなクラスでもあるし、僕も初めてだ。グローリエンのパーティーには確かいたよね? バード」


「いるけど、マルコはバードっていうかただのキザな魔法使いね」


 ルカは最後に全ての弦を撫でるように掻き鳴らして演奏を止めた。


「ここまで……メレニー達の痕跡はありませんでしたね」


 やはり、四階層にメレニー達(ガルノッソも)の痕跡は認められなかった。上の階層に逃げてもうここにいないのならばそれでもいいが、しかし、最悪のケースというものもある。


 下の階層に逃げてしまい、敵が強すぎて上層に戻ることもできずに動けなくなっている可能性。いや……


 もっと最悪の可能性がある。


 ギョームのように巨大なモンスターに丸呑みにされ、痕跡もなく消滅している可能性だ。死ぬところも誰も見ず、形見も残さず。残された者達は永遠に探し続け、それでも決して見つかることはない。「詩人のうたになる」こともできず、ダンジョンの泥となる。


「もし第五階層でも見つからなければ、僕は諦め……」

「演奏を止めんな」


 これ以上はつき合わせられない。もしもモンスターの腹の中に収まっているのならば、ダンジョン内の全てのモンスターの腹を掻っ捌いて中身を改めなければならない。そんな非現実的な意地っ張りに付き合ってくれなどというつもりはない。


 その気持ちをルカが伝えた時であった。


 彼はスケロクの言葉の真意を推し量ることは出来なかったが、しかしその語気の持つ強さにも押され、すぐにリュートの演奏を再開した。


 だがすぐに彼も異変に気付いた。第五階層からの階段に、何か黒いもやのようなものがある。いや、何者かが立っているのだ。


 気づけば、ヴェルニーとグローリエンも警戒態勢に入っていた。だが攻撃を開始する様子はない。その「何者か」が敵対的ではない可能性があるという事か。まさかとは思うがメレニーか? そう思ってルカは目を凝らすが、しかしどうにも焦点が合わないのか、靄のせいなのか、はっきりと目視できない。


「ほおぉぉう、めずらしい」


 黒い靄のようなものの中央から何か、にゅっと上方に盛り上がったものがある。いや、よくよく目を凝らせば手を掲げたのだ。そして手にはランタンのようなものがぶら下がっている。


 意識してみてみると、段々と輪郭が見えてきた。ぼろきれを纏った老人のような男。恐ろしく醜い顔に、せむしのように起こり立つ背中、そして魔女のような巨大な鼻。その者の持つ異様な雰囲気に圧されながらも、ルカは楽器の演奏を止めなかった。


「楽師か……? 今日は客が多いのぅ。しかし楽師とは珍しい」


 ぼふりと音を立てて男の纏っていたぼろきれが宙に舞う。それと同時に右手に持っていたランタンがガランと地に落ちた。醜悪な男はその姿を春の霞の如く消していた。


「消えた……?」


「ふぅ……」


 グローリエンとヴェルニーが緊張を解く。


「もう演奏を止めてもいいぞ」


 スケロクにそう言われてルカも弦を爪弾く手を止めた。それと同時に全身の毛穴がドッと開き、汗が噴き出してくる。


「い……今のは?」


魔人デーモンだな……それも中位以上の」


 下位のデイモンはこのダンジョンの第三層、四層で現れることがある。いわゆるレッサーデーモンというやつである。それでも大抵は単独であるか、他のモンスターを指揮するボスとして。もちろんめちゃくちゃ強い。


 だがレッサーデーモンは人の言葉を解さない。少なくとも人の言葉を話したという記録は残っていない。スケロクは彼が人の言葉を発したことから、中位以上のデーモン、または上位魔人グレーターデーモンであると断じたのだ。


「お前の演奏が続いている間は、奴の敵意が低かった。理由は分からんがな。単純に聞き惚れていたのか……それとも向こうもこちらを警戒していて、音楽が敵意を和らげただけなのか」


「そ、それよりも!」


 ルカには一つ気になることがあった。


「今日は客人が多い、とも言っていました。僕達の他に誰かに接触してるってことですよね!」


「ほう」


 スケロクが笑みを見せる。


「あの極限状態でそこに気付くとは、ルカ君もなかなかやるね」


 ヴェルニーも同じように笑みを浮かべる。


 ダンジョン探索はあまり人気のない仕事のため、その内部で他のパーティーに接触することはほとんどない。だからこそヴェルニー達はこんな意味不明なチャレンジをしているのだが、それは置いておいて。


 確かにデーモンは「今日は客人が多い」と言っていた。


 ヴェルニー達以外の客人とは? 思い当たるところなど、一つしかない。

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