第9話 ドラゴン
「何か、異常だ。ガルノッソ。絶対に引き返した方がいい」
Cランク冒険者パーティー『オニカマス』が第四階層の探索を始めてからすでに二時間が経とうとしていた。
ここまでの探索で、一度もモンスターに遭遇していない。もちろん彼らが慎重に移動しているせいでもあるのだが、それでも一度も遭遇しないというのはあり得ないことだ。ましてや能力の一段落ちる彼らはこの第四階層のモンスター達にとって格好のエサのはず。
「うるせえ! てめえが意見すんな!」
何かが異常なのはリーダーのガルノッソも理解している。しかし何が異常なのかがはっきりと言えない。それよりなにより「お荷物」のルカが意見したのが彼のカンに障った。これでは増々意固地になってしまう。
「ガルノッソ、あたしもルカの意見に賛成だ。今日は日が悪い。一旦引き返そうぜ」
いつもは勝気な
ガルノッソはメレニーの腕を引っ張って少し離れたところまで行って、威嚇するように顔を近づけた。いや、それはパーティー内の「ある人物」に聞かれないようにするためであったのだが、強い焦燥感と怒りを募らせている彼の表情も相まって威嚇にしか見えなかった。
「メレニー、てめえ情に
「そんな! 大怪我を負わせて引退させるって話じゃなかったのかよ!」
対照的な二人ではあるがメレニーとルカは幼馴染である。
「もうついていけないよ! あたし、ルカにこのことを……」
ガルノッソの手を振りほどいてルカの元に駆け寄ろうとするが、背後から尋常ならざる殺気を感じて足が止まった。
「メレニー」
静かな声だった。
「戻ってこい、メレニー」
衣擦れの音から、剣の柄に手をかけたことをメレニーは悟った。
殺気に敏感なメレニーは衣擦れの音だけで、そこまで悟り、何事もなかったかのようにガルノッソの方に振り向き、そして探索を続けた。
しかしもうすでに誰もが事の異常さに気づいている。それは普段からにぶい、にぶいと貶されているルカとて同じであった。
(まさか……まさかパーティーをやめようとしない僕を殺す気で……はじめから?)
心に生まれた疑念の思いは消えず。さりとて口に出して問いかければそれは確定してしまう。ルカも、メレニーも。思い描いた恐怖を先送りするだけなのを分かりながらも、それしか取れる手がなかった。
前を行くガルノッソ、ベインドット、ギョーム。少し遅れて斥候のメレニー、
少しおかしな隊列ではある。メレニーはまだ諦めてはいない。ちらりと後ろに視線を送り、ルカの様子を見る。今なら、全力で迷宮を引き返せば、二人だけで逃げられるのでは? と考える。それよりもギョームの魔法の方が早いだろうか? そう考えて前に視線を戻すと、なぜか後ろを振り向いていたガルノッソと目が合う。
「おい……」
びくりと心臓が躍る。
勘づかれたか? ヤるか? 今勝負をかけるべきなのか? もしそうならルカは察して動いてくれるか? そもそも彼はここで協力してくれるほど自分のことを信じてくれているのか?
ほんの数秒間が何十分にも感じられるほどに、メレニーの頭の中をいくつもの言葉が駆け巡る。
「斥候がそんな後ろに立っててどうすんだ。前に出ろ」
「あ、ああ……」
一瞬ホッとした。が、よくよく考えればこれは自分とルカが分断されることを意味する。そこに気づいたメレニーはまたも、三人を追い抜くために歩みを進めようとして、その刹那のうちに自分がどう動くべきなのか、いくつもの考えが過ぎる。
三人の集団に追いつくと、表情の硬いメレニーのホットパンツごと、ギョームが彼女の尻を思いきり掴んだ。
「へへっ、邪魔者がいなくなりゃあこんな女何とでもなる。貧相な体だがたっぷり楽しんでやるぜ」
カッと頭に血が上った。すべての悩み事を置き去りにして。振り向きざまにギョームの頬をはたいてやろうとした時だった。ダンジョンの壁から異様な音がしたのだ。
「ぐあっ!?」
突如としてダンジョンの壁が粉々に崩れ、土煙の中ギョームが宙に浮いた。
最初は巨人に体を掴まれたのかと思ったが違う。ダンジョンの壁を突き抜けてドラゴンが姿を現し、その勢いのままギョームの体を咥えたのだ。メレニー達とルカを分断する形で。
「あっ……」
この時すでに瀕死であっただろうギョームの体を竜は縦方向に咥えなおし、口を上にあげるとそのままずるりと頭から飲み込んでしまった。
「ひっ……に、逃げろ! ルカ!!」
ドラゴンと通路の壁の隙間からメレニーが叫ぶ。言われずとも、と言いたいところであったが腰が抜けてルカは動けなかった。先ほどまで普通に話していた仲間が突如としてモンスターに一飲みにされたのだ。無理もあるまい。
「ち、ちくしょう!! ギョームを返せ!!」
ドラゴンは人間一匹では満足しなかったようだ。首を左右に振り、冷静に獲物を観察する。腰が抜けて動けないバードと、取り乱しながらも剣を抜いたファイターに盾兵、シーフ。
危険度、優先度がどちらが上かは明白である。
「来い! 来いよトカゲ野郎! 待ってろギョーム、すぐ助けだしてやるからなッ」
遠くで声が聞こえる。ガルノッソ達は口では勇ましいことを言いながらも後退しながら竜と対峙しているようでルカからは少しずつ離れていった。
その間に体勢を立て直せればよかったのだが、足が震えてルカは全く立つことが出来なかった。
「はぁっ、はぁっ……」
呼吸が浅い。自分が何かされたわけでもないのに恐慌状態に陥っていることが分かる。
逃げなければ。いや、助けなければ。自分は『オニカマス』のメンバーなのだ。だがどうにも恐怖で立つことが出来ない。
手は動かすことが出来る。
彼はぎゅっとリュートの柄を握った。大切な赤子を抱きしめるように、リュートを構える。
足は震えて全く役に立たなかったというのに、なぜか手は指先まで思うように動かすことが出来た。離れていく戦闘音と別に、ダンジョン内にリュートの音が響き渡る。
「
歌えば歌うほどに勇気が湧いてくる。これこそが彼のバードとしての能力である。願わくば、音の波に乗ってこの勇気が仲間にも届いていることを。
そう思って通路の先に視線をやったのだが、すでに戦闘音は聞こえていなかった。ダンジョンの中には、彼の歌だけが響いている。
もう、戦闘は終わったのか? 竜を倒したのか? しかし彼の甘い考えと裏腹に、暗闇の中から姿を現したのは、巨大な竜の頭部であった。
「グルルルル……」
もはや仲間はみな殺されたのか、それとも逃げてしまって追うのを諦めたのか。それは分からないがただ一つ確実に言えることがある。それは、彼が次の獲物だということだ。
ゆっくりと開けられた口の、
「歌を止めないでくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます