第8話 ミンクオイル
「もらったぁ!!」
ダンジョンの中、空中でナニかがぶらんと揺れる。直後、大きな音を立てて巨大なオークの体が縦に真っ二つに裂けた。ヴェルニーの
通常では考えられないほどの遠間からの跳躍にオークの群れが騒ぎ立つ。慌てて曲刀を振るうが、狭いダンジョンの通路では全力でそれを叩きつけることができない。ヴェルニーのツヴァイヘンダーはあれほどの躍動感を持って襲い掛かってきたというのに。
まごまごしているうちにオークたちの間を何かが激しく煌めいた。薄暗さに慣れているオークの目にもとまらぬ迅雷の如き光。それはスケロクの短剣がオークの急所を切り裂いた印。
曲刀がまるですり抜けるようにスケロクの体の芯を外し、そして一瞬遅れて三頭のオークが頸部から血を噴き出して倒れる。残る一頭のオークが恐怖に駆られ背中を見せて逃げ出した。
「集いて貫け、リネア・ロッソ!!」
背中側からレーザーのようにグローリエンの炎がオークの心臓を貫いた。
オークは何が起きたか分からず、しかし自分の体を支えることもできずに膝をつき、不思議そうに自分の胸を両手で押さえ、そしてどうと倒れた。
五頭のオークを倒すのに要した時間は、ほんの一分にも満たなかった。
再び静謐さを取り戻したダンジョンの中で立っている者は、一糸まとわぬ姿の三人の男女のみ。すなわち『ゲンネスト』のヴェルニー、『黒鴉』のスケロク、『ワンダーランドマジックショウ』のグローリエンである。
「
「ああ。でも油断するなよ、スケロク。うちはヒーラーがいないんだから」
今の動きを見ていれば、全く危なげない。敵の攻撃が当たる気配がない。紙一重でオークの攻撃を躱していたものの、それは余裕があるからこその『紙一重』であった。反撃に転じるときの動きを最小限にするために、あえて紙一重で躱しているのだ。
とはいえ、油断しているといつどんな不意打ちを食らうかも知れないし、何より実際に二人の体の表面には、いつついたのか分からない小さな傷が複数ある。
これは戦闘でついたものとは限らない。狭いところを通るときに引っ掛けたり、少し休憩を取った時に岩に寄りかかったり、荷物を提げているベルトが擦れたり。そんなことで裸体は容易に傷つくし、そこから雑菌が入って化膿することもある。
「ああ~、こないだの、ルカくんだっけ? 彼が仲間に入ってくれたらうれしいんだけどねえ~」
グローリエンが嘆くが、その時は他ならぬ彼女自身が反対したのだ。この『ナチュラルズ』の趣旨に合う者でないと、仲間には加えられないと。
それはそうである。
何度も言っているが、三人は全裸。
全裸であることが、この『ナチュラルズ』に求められる絶対の条件なのだ。
しかも男女混交パーティーである。グローリエンがその美しい肢体を惜しげもなく晒しているにも拘らず、ヴェルニーとスケロクのリトル・サンはピクリとも反応していない。
もう慣れてしまっているのか、それとも女体に興味がないのか。それは分からないが、おそらく「仲間をそういう目で見ない」ことも『ナチュラルズ』に加盟するための条件なのだろう。もちろんグローリエンも二人の裸体に興味がある様子は全くない。目の前であんなにぶらぶらしているのに。あんなにぶらぶらしていたら男でも気になる。
「まあ、そのうち会えるかもしれないぜ?」
にやりと、スケロクが笑みを見せる。
「何かあてがあるのかい? スケロク」
「無いが……俺様のカンが言ってるのさ。奴には才能がある、とな」
スケロクの言葉にヴェルニーは柔らかい笑みを見せる。具体的に「どこが」とは言えないのだが、地上にいる時とは違う、自然な笑みだ。極限まで
ここでは、誰にも遠慮することはない。百パーセントの自分を思う存分解き放つことができる。世間体からも、人間関係からも、全てのしがらみを引きちぎって、ただ一匹の獣になることが出来る。
この世界で最も自由な人種であるはずの冒険者。しかしその最高峰の一角に位置するはずの三人はその生き方に息苦しさを感じていた。そんな彼らがたった一つ自由になる方法、それがこれなのだ。
「ダンジョンの冷たい空気が心地いいな」
ダンジョン、洞窟の気温は一年を通じて二十度に満たない。普通に考えれば相当寒いはずである。実際ヴェルニーのヴェルニーも大分縮んでおり、乳首も立っている。それでも、この格好は彼らに必要なものなのだろう。
通常のパーティーよりも少人数であるとはいえ、五階層まで踏破されているダンジョンの四階層は彼らには
「いっそのことこのまま未踏破領域までチャレンジしてみようか?」
「それは、ちょっと……新しい発見した時、ギルドに報告できなくない?」
ヴェルニーの提案にグローリエンが突っ込みを入れて笑う。しかしスケロクは何か別の物を見ているようだった。不思議に思ってヴェルニーが尋ねると、スケロクが応えた。
「誰か……いる」
「え?」
彼らにとってはモンスターよりも恐れる存在。同業者。スケロクは先ほど倒したオークの死体の少し奥、不自然に並べられた岩を見ていた。
「誰かが腰かけに使ったな……? ほんの少しだけ、まだ体温が残ってる」
円形に並べられた岩に手を当てて体温の残りを確認し、さらに岩の匂いまで嗅ぐ。しゃがんで、地面に置いてある岩に鼻を近づけているのでケツの穴が丸見えであるが、ヴェルニーとグローリエンは気にする様子はない。
「何か……油の匂い? どこかで嗅いだことが……どこだったかな? つい最近だった気がする」
「食用の油じゃないのか? ギルドで食べた食事とか」
「いや……」
それでもずっと気にして匂いを嗅いでいる。ということは、何か特徴的な匂いだったのだろう。ヴェルニーとグローリエンも彼に近づいて何か痕跡が残っていないか確認するが、そう簡単に見つけることはできなかった。
「どうする? 先客がいるんなら今日はもうお開きかな」
せっかく調子の上がってきたところではあったが、しかしこの『秘密』を誰かに知られることは社会的な死を意味する。いつもならここで引き返す。たとえその先で冒険者に危機が訪れていたとしても、やはり助けることはできない。
いつもならそうするのだが、しかし明らかに他人の痕跡を認めたにもかかわらず、スケロクはまだ匂いを確認していた。まだ何か気になることがあるのだろうか。
「思い出した。こいつは楽器の手入れに使うミンクオイルの香りだ」
「楽器?」
三人の頭の中には同じ人物が思い浮かんだ。
「ちょっと様子を見てみねえか?」
スケロクが提案した。
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