1999年 4月 ②

 ランドセルの紐をぎゅっと握って、ちぐさを見上げた。踵を上下させると背中でかたかた陽気な音がする。

「きょう午前中で始業式が終わったら、まどかちゃんに会いに行こう?」

 ちぐさの眉がひょいとあがった。

「いーけどさ、おまえ、なんでまどかにそんなに会いたがるわけ」

「まどかちゃんも舟に乗るでしょう?」

 はいはい、とちぐさが笑う。

「あとでまどかに連絡しておくわ。おまえは学校だ」

 ちぐさにぽんぽんとランドセルの背中を叩かれて玄関を出た。見上げれば、あわあわとした春の空が広がっている。ゆるたい風があづみの前髪を揺らす。


 まどかちゃんを前に口を滑らせないようにしないと、とあづみは頬に力を入れた。舟のことは秘密にしておくことをちぐさと約束したのだ。世界を沈める雨が降り出した日、はじめてまどかちゃんに舟を見せるというのがちぐさの計画だ。


 学校の図書室で「春読書」のために本を借りた。そのなかに、すべての動物をひと組ずつ乗せる大きな方舟を作るノアという男の話があった。大洪水のあと、鳩がオリーブの枝葉を運んでくるシーンがあづみはたいそう気に入っている。

 ノアはさぞかし嬉しかっただろう。守りたいものを、ぜんぶ守ったのだから。やれるだけの手をつくして目的を達成したのだから。


 あづみの足で歩いて30分の小学校にたどり着くと、ぱらぱらとクラスメイトを詰め込んだ教室の机のうえに真新しい教科書が重ねてあった。

 いやでも目につくいちばん上に算数があったので、手に取っておっかなびっくりめくってみる。ものの十数ページでテストの惨憺たる結果が想像できてしまい、あわててページを戻した。

 国語の教科書に、以前読んだことのある「大造じいさんとがん」が載っていた。記憶をなぞりながら読んでいると、背中に「またおなじクラスだな」と声がかかった。目をあげて振り返ると坊主頭も青いあづみの友だち、外山新汰がこちらに笑いかけていた。

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