1999年 2月 ⑤

 世界がどんなに優しくなっても、どんな雨に沈んでも。

「どこにいても、どこに行っても、僕は僕だから大丈夫だよね」

 あづみは噛みしめるようにつぶやいた。ちぐさがぱっと顔をあげ、やや驚いたようにあづみを見る。

「おまえさ、もうほんとに子供こどもしてると思うと、たまーにびっくりするほどかしこいこと言うよな」

「僕はかしこいよ」

「……そうだなあ」

「ちぐさみたいに、大きくなったら怖いものはないんだよね?」

 黙ったまま、兄は弟の髪をふわふわかき混ぜた。


 この会話を思い返すたびに、あづみは思う。

 こわいものも、不安なことも、ぜんぶちぐさが引き受けてくれていた。だから、雨が降っても大丈夫だと、地球が滅びるのも怖くないと、そう思えていたのに。


 ちぐさのこわいものは、なんだったんだろう。


 兄とおなじ年齢になって、はじめてわかったことがある。

 おとなになることは、こわいものや不安なことがなくなることではないということ。そして、おとなには不格好な姿でもなれてしまうということ。

 こどもじゃなくなることが、おとなになるということに過ぎないのだとしたら。まだつま先の大きすぎる靴のような「おとな」と、もう窮屈な「こども」のすきまであづみは思う。


 ……ちぐさ、なにがこわかった?


 答えはない。もうなにも聞こえない。永遠に聞くことはない。ただ、あづみの問いかけだけが思い出のむこうにはるかにのびる。

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